私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

自民党を支持しないように仕向ける毎日新聞

2012年12月15日 23時56分55秒 | 偏向マスコミ

憂楽帳:目に見えないものは?

毎日新聞 2012年12月15日 大阪夕刊

 カトリック大阪大司教区の池長潤大司教(75)は、日本に17人いる現役司教で組織する日本カトリック司教協議会の会長も務める。クリスマスに向け、忙しい毎日を送る中、不安が頭をよぎる。この国はどうなってしまうのだろうか、と。

 司教団は昨秋、「いますぐ原発の廃止を」のメッセージを発表した。原発の是非は神に与えられた人間の生命にかかわる問題なのだから、宗教者として発言する責任があると考えたからだ。衆院選でも原発問題は争点の一つだが、どれだけ深い考えに基づく主張なのかが伝わってこない。加えて「憲法改正」「国防軍」の言葉も聞こえてくる。不安が増す。

 「東日本大震災は私たち一人一人に、命の大切さと真の幸せとは何かという課題を突き付けたはずです」。しかし、その課題に真正面から取り組もうとする主張は聞こえてこない。政党、候補者だけの問題ではない。「日本は今、目に見える世界しか見えず、関心がもてない社会になっているのではないでしょうか」

 明日は投票日。目には見えない大切なものは何だろうか。じっくり考えてから投票所に向かいたい。【鈴木敬吾】


(引用終了)


 明日16日には衆議院選挙が行われるが、民主党に引き続き国の舵取りを托するのか、それとも3年4カ月前に下野した自民党に再び政権を担ってもらうのかの選択がなされる訳である。偏向マスコミの論調は、前回の衆院選の時のように民主党を必死で持ち上げている様子はなく、民主党候補者の街頭演説の際の聴衆が極めて少なく、有権者からほとんど無視されているかのような報道までなされている。  

 もし、民主党が壊滅的な大敗を期したならば、それは同時に偏向マスコミの敗北であると思っている。その理由は、前回の衆院選では民主党を必死で持ち上げていることからして、偏向マスコミがお勧めするならば良い政党なのだろうと信じて支持してしまった有権者まで、3年4カ月続いた民主党政権のデタラメさに呆れて支持しなかったからである。だから、そのようなデタラメな政党を必死で持ち上げたのは、我々を騙したことに他ならないと言う思いを抱くようになった結果であって、まさに偏向マスコミによる世論操作によって政治が歪められて来た時代は終わりを迎えたと言えるだろう。  

 偏向マスコミが読者などの意見と自分たちの意見をごちゃ混ぜして記事を書くことは多いが、毎日新聞が15日に掲載した「憂楽帳:目に見えないものは?」はまさにそうであり、カトリック大阪大司教区の池長潤大司教(75)が、昨秋、「いますぐ原発の廃止を」のメッセージを発表したことを記事にしているが、その記事の中で「加えて『憲法改正』『国防軍』の言葉も聞こえてくる。不安が増す。」と書いているのは、大司教の意見なのか、それとも、この記事を書いた鈴木敬吾記者の意見なのか分からないのである。

 支那や南北朝鮮が、話し合いで懸案事項が解決出来る国でなく、友好関係も維持されていないし、それどころか、わが国の領土を占拠し、あるいは占拠しようとしていることや、弾道ミサイルを発射して、わが国を威嚇していることに対して不安が増しているにも関わらず、それに目をつぶり、憲法改正により国防軍を保有することの方が不安だとは呆れてものが言えない。

 毎日新聞のような偏向マスコミがこのような記事を掲載することにも不安を覚えるが、わが国が憲法改正と国防軍保有により安全保障に関して、今より安心感が増すことになるし、支那や南北朝鮮にとって、わが国が普通の国になることに対して不安が増すと思うならば、むしろ良いことである。  

 衆議院選挙を前にして、自民党の安倍総裁が公約として掲げている「憲法改正」と「国防軍」を持ち出したことは自民党に投票するなと書いているも同然で、特定の政党を支持したり、あるいは支持しないように仕向ける記事を掲載するのはマスコミの使命を逸脱したものだと言えるだろう。
(2012/12/15)