私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

自衛隊の超法規的な他国軍救援はあるか

2004年01月20日 18時57分49秒 | 防衛省・自衛隊・安全保障
  わが陸上自衛隊の先遣隊がイラクのサマーワに到着した。いよいよイラク人道復興支援のための活動が始まる。国旗を装着した軽装甲機動車と高機動車などが連なって走っている場面がテレビに映し出されると「これで良かった。日本もようやく普通の国になった」と思わず感激して涙をこぼしそうになった。

 ところでイラクでは、いまだにテロ活動が続き、決して安全な所ではないようであるが、一番心配されるのは、もし自衛隊が襲撃された時の対応が十分出来るかということである。憲法の制約とか言って、反撃をためらうことがあれば死傷者を出してしまう訳であるから、その点を危惧している。防衛庁は武器使用に関して、例えば不審車両が突然接近してきた場合には直ちに危害射撃を行えるようにする方針を固めているとは言え、武器使用と武力行使の区別もよく分かっていないで政治家もいるようであるから、もしテロ攻撃を受けて、そのテロリストを殺傷することになった時に、反撃した自衛隊員を法廷の場に立たせるなどバカなことがないようにするのが派遣命令を出した日本国政府の責任であり義務であると思っている。

 次なる問題は、他国軍がテロリストの襲撃を受けて自衛隊が救援を求められた時である。その場合、集団自衛権の行使となるようだが、私は「日本は集団自衛権の権利を保有しているが行使は出来ない」との奇妙な法制局の見解など無視し、すなわち今までのそのような憲法解釈を越えて超法規的に自衛隊は応援に向かい、敵を撃退すべきだと思う。そのような時に、憲法がどうのこうのなど言っている暇は現場にはない。自衛隊がサムライなら犠牲をいとわず助けることだ。憲法の制約など考える余裕などなく、それは戦闘となれば死ぬかも知れないからである。

 政府は「自衛隊は人道復興支援のために行くのだから、他国軍がテロリストに襲撃されたからと言って自衛隊が救援に行くなどの任務はない」と言っているが、もし自衛隊が憲法の制約から救援せず無視したとしたら、世界から「日本はなぜ助けなかった」とすさまじい批判が起こることは目に見えている。その責任は政治家だけではない。自衛隊を軍隊として国際社会と同じように位置付けをするために憲法の改正をしようとしなかったばかりか、またその論議さえしない政治家を選んだ国民と、そんな憲法を死守しようという空想的平和主義者を必死で守り、祭り上げてきた偏向マスコミにある。

 自衛隊員がイラクにおいて憲法の制約により戦死という事態になったり、他国軍の救援要請を自衛隊が無視し、その他国軍に戦死を出した時、日本国民は「やはり自衛隊のイラク派遣は間違いであった」として自衛隊は撤退して、一国平和主義に戻るのか。あるいは憲法改正の機運が高まるか。私は、その時は、自衛隊員の戦死という大きな犠牲を無にしないためにも、またこの日本が主権国家としての気概を持つためにも自衛隊を陸海空軍として位置づける憲法の改正が絶対必要であると思っている。

 どなたかが「日本はミサイルの1発でも落ちないと平和ボケは直らない」と言ってたが、それではあまりにも犠牲が大きすぎる。であるからイラクのおいて「自衛隊員が戦死」という事態はあってはならないことだが、現憲法と心中したいと思っている空想的平和主義者のために自衛隊員は苦しみ、犠牲を覚悟しているのではないかと思っている。

 平和主義者とか平和団体とか「平和」と言う文字が付けば良いことをしていると誤解されがちだが、実際は、どうして平和を守るかについて、憲法第九条をご本尊としているカルト宗教の信者であり「平和、平和」とお題目をあげていれば平和が来ると信じているのである。そんな反自衛隊を掲げた平和教信者のために自衛隊が侮辱され、犠牲になるやも知れないというのだから、「何が平和だ」と大きな声を出したくなるのである。
(2004/01/20) 

この記事は「今日のコラム」
自衛隊の超法規的な他国軍救援はあるか
としてHPに掲載されていたものです。