きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「オーバー・ザ・ムーン」ヴィゴ強化週間2-7

2005年08月05日 | 映画
オーバー・ザ・ムーン

 人類が初めて月に降り立った1969年。17歳で娘のアリソンを出産したパール(ダイアン・レイン)は、家族で夏の避暑地へ来ていた。TV修理工の夫(リーヴ・シュライバー)は平日は自宅から会社へ出勤、週末のみ避暑地へ来る。毎年行く場所、避暑地でも馴染みの社会が構成されている。変わらぬ平凡な毎日に満たされない思いを抱いていたパールは、避暑地に洋服を売りに来ていたウォーカー(ヴィゴ)と知り合う。パールが浮気したことを知った夫は・・・。
 ジャケットの雰囲気は良かったので結構楽しみにしていたのですが、観たら苦手な恋愛映画系でしたよ Orz 。衣装とかウッドストックの開放感とか月面着陸とかベトナム戦争の話題とかで、当時の雰囲気は出ている。だから、出産した女性は母としてしか生きられない時代だというのも良くわかり、その中での悩み、ってのも伝わってくる。21世紀では、子供がいても社会に進出する女性も多いけど、当時はあまりなかったもんね~。後半の、ヴィゴが出てこないあたりの夫婦の葛藤とか、やり直す過程とか、その辺はいいと思うのよ。ただ、ヴィゴがさ~。こういう映画でありがちな、そりゃ~普通の女性なら惚れずにいられないだろうっていうくらいヴィジュアル&性格が良くって、自分(女性側)から誘わなくても寄ってきて、かといってガツガツしているんじゃなくて(誰でもいいからヤリたい、って男ではなく、自分だから惹かれた)、最後は物わかり良く笑顔で身を引く「都合のイイ男」なんだよねえ。女の方が満たされない気持ちを持っていることは描かれても、男の方が女に惹かれる理由が全然描かれない。たんなる話の盛り上げに使われているのよね。その辺が引っかかって、どーしても話に張り込めませんでした。
 ヴィゴは移動衣料用品店=ブラウスマン。バスに洋服を積み込んで、あっちこっち移動して売りに行く。どっちかというと金髪。長めの髪をかきあげる仕草がステキ。長いモミアゲだと思っていたのは髭だった。家庭に縛られている女性から見ると、なにものにも縛られない自由人、ってコトなんだろうけどねえ。最初はフェロモンたっぷり~、と思ったけど、だんだん普通の人になっちゃったなあ。屋外のアレも、「絵」として良くても、あんまり色気はないなあ。シュライバーは、無骨で石頭な夫をうまく演じていましたが、ダチョウ倶楽部の誰かに似ている気がする。娘役のアンナ・パキンはちょっとムチムチ。夫の母(パールの姑)が、嫁が浮気相手に会いに行くのを止めないのが謎だったなあ・・・。
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「サイコ」ヴィゴ強化週間2-6

2005年08月05日 | 映画
サイコ (1998)

 不動産会社に勤めるマリオン(アン・ヘッシュ)は会社の金を持ち逃げする。その金をもとに、貧乏な田舎の金物屋の恋人サム(ヴィゴ)との生活を夢見るが、途中立ち寄ったモーテルで殺される。サムとマリオンの妹ライア(ジュリアン・ムーア)と不動産会社に雇われた私立探偵(ウィリアム・H・メイシー)はマリオンの行方を追うのだが・・・
 私はオリジナルは見ていないのですが。殆どオリジナルを変更せず、役者を変えて、ついでに画面もカラーにして撮ってみました、という印象です。ヒネりもなにもないようなカンジ。オチも、オリジナル当時なら衝撃的だったんでしょうが、現代だと「ふ~ん」っていうか、それ以外は無いだろう、って思います。展開読めすぎ。だからといって周知のオチまでひっぱる努力はなにもないようです。サスペンスとかサイコ・ホラーに分類されるハズの作品だと思うのですが、その辺の緊張感はまるでありません。殺人者ノーマン(ヴィンス・ヴォーン)も最初から怪しすぎるし。「自宅」の外観はあまりにも漫画っぽく、むしろ微笑ましいぐらい。ヴィゴが出たヒッチコック・リメイクの「ダイヤルM」は、ネタのアレンジを少々失敗していますが、夫・妻・愛人が違うだけで新鮮味というか「オリジナルとは別物」感がでましたが、こっちは、どうなんでしょう。新しい作品を作る、リメイクを撮る、とはちょっと違う。好きな漫画をトレペに写して楽しんでいるだけ、みたいな。なんでこんなものが世に出たんだろうねえ・・・。B級とかC級とか、そんなレベルにも達していません。
 ヴィゴは初っ端は裸。尻よりも腰骨の入墨にクラクラです。情事の後の濃厚なオーラが良いですわ~。明るめの亜麻色の髪を短めに。襟足が刈り上げてあって、触ってジョリジョリ感を楽しみたいですね~。髭はほんのわずかなのでケツあごも楽しめます。後半は、薄紫と灰色を混ぜたような地に白い水玉のシャツ、とダサダサなシャツを着ていますが、これが結構似合っています。お金はあまりない田舎の善人ってカンジ。
 とにかく、久々の「善人役」のヴィゴ以外はあんまり見どころがない作品でした。このあとに、キラーKのあさことか邪気に戯れるオサとか「グラシャスアラビアーナ」で踊るブラック・オパールなマミちゃんを見ずにはいられないくらいの脱力感。そして、ヴィゴ以外の印象は、それらにほぼ上書きされちゃいましたよ。駄作にすら達していない「こだまっち作品」を見た気分でしたわ。
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「聖なる狂気」ヴィゴ強化週間2-5

2005年08月03日 | 映画
聖なる狂気

 狂信的なカルト教団に入信している両親(とパッケージに書いてあるけどただの厳格なクリスチャンな気もする)に育てられたダークリー・ヌーン(ブレンダン・フレイザー)。両親が町の住人に殺され、夢中で逃げた先は森の中。そこで暮らすキャリー(アシュレイ・ジャッド)は、大工(棺桶職人でもある)で口のきけないクレイ(ヴィゴ)と住んでいる。キャリーは傷ついたダークリーを家族として受け入れようとするが、厳格な倫理観を両親によって植え付けられたダークリーは、奔放なキャリーに惹かれつつも、彼女が罪の塊に見え、精神を病んでいく。
 話の導入部分とか、前半の画面とかは割と好きです。ダークリー・ヌーン(薄暗き真昼の意)とキャリーだけの場面は、微妙な緊張感が漂い、心地よいです。しかし、後半がよくわからなかったです。誰かの心象風景だと思っていましたが(それもありがちなんだけど)、そうではなく、すべて現実なんですね~。暗い森=罪の意識に囚われる、燃やす=浄化、「愛している」=罪を許される、森を出る=告解などなど、いろいろ考えていたのですが、暗喩かもしれないけれど、表面的には「絵」の通りで終わってしまったというか。ダークリーの両親の幻影はなんなんでしょう。彼の内にある異様な倫理観なのか、彼らが息子に常に強迫的だったとか、そんなことを表しているのでしょうか?私は、話全体が、「信仰の篤い両親を殺して、その罪から逃げている(許されたいと思っている)男」の内面を描いているのか、と思っていたんですけど、違いましたねえ。でっかい銀の靴も謎です。森から出られる道具=解放の手段を自らの手で焼いた???原題は「THE PASSION OF DARKLY NOON」。自身の体を傷つけることが宗教行為のようにも見えましたが、その辺が「THE PASSION」に繋がるんでしょうか。鉄条網に括られている鳥を自分に擬え、信仰を試されていると思って(あるいは魔女に誘惑された自分を罰する?)自分の血を流すのかな、と。キャリーがリンゴを食っているのは堕落したイブを意味している?「ゴッド・アーミー」はネタがわかれば宗教観など関係なく楽しめるのですが、こっちはさっぱりでした。最後のダークリーの化粧の意味すらわかりませ~ん。でも、ある意味パズルみたいな映像は面白い。「柔らかい殻」も同じようなら見てみようかしら。
 フレイザーは顔が小さいのか首が太いのか。狂気と繊細、凶暴と小心が同居する役をうまく演じています。罪を犯すのは無垢だからなのよね。ジャッドに色気があるか、ワタシ的にはビミョ~。ちょっと遠野あすかちゃん風よ。「五線譜のラブレター」と比べると肌はピチピチです。若いです。
 ヴィゴは口がきけない役のため、逆に表情が豊かです。台詞が無くても、こんなにいろんなことが伝わるんだ~。金髪に短い髭少々。かわいくもあり、野性的な表情もあり。「ヤクザ・・・」の時より腰も引き締まりセクシ~。クレイに飛びつくキャリーの気持ちがわかりますなあ。舌で煙草の火を消すのが、ビックリと同時に色っぽくてドキドキよん。ダークリーと戦い負けるところでは、「ミイラと戦う男相手に勝てるわけないよ~」と思っちゃいました。王様でも無理ムリよ。
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「ゴッド・アーミー/悪の天使」ヴィゴ強化週間2-4

2005年08月02日 | 映画
 神父任命直前に信仰への疑問を覚え、数年後刑事となったトーマスは不思議な殺人事件を担当することになる。眼球が無く両性具有の死体が持っていた聖書には「天国の2番目の戦い」という存在しないはずの最終章が記されていた。同じ頃、天使シモンは、極悪人ホーソン大佐の魂を手に入れるが、大天使ガブリエルに追われ、ナバホ族の少女マリアに託す。殺人事件の捜査でマリアに辿り着いたトーマスは、ガブリエルがマリアの身体を引き裂きホーソン大佐の魂を取り出そうとしていることに気づき、阻止しようとする。なぜ大天使ガブリエルはそのようなことをするのか?それは神の寵愛が人間に移ったことにより、彼の天国での権力が失せようとしていたからだ。邪悪な人間の魂は彼の元で兵となる。兵力を拡大し、ガブリエルは天界の制圧を目指す。
 と、ネタは壮大ですが、話自体はそれほどでもありません。軍団とかなんとか言ってたけど、結局はホーソン大佐の魂を巡っての攻防戦だけです。でも、雰囲気(クールでちょっと官能的)や映像も良いですし、欲望バリバリの天使の設定もユニーク。天使も悪魔も人間も、みな同じような感情を持っているさ。そして、ガブリエル役の
クリストファー・ウォーケン
良いのですわ。大天使でありながら、邪悪である。動き、表情、すべてが普通ではない」ことを表している。それでいながら、どこか貧乏臭く間抜けっぽい。浮世離れした雰囲気に俗っぽい行動ってのがイイのですわ~。彼無しでこの作品は成立しませんわ。
 嫉妬により、かつてはルシファーを天界から追い落とし、今度は人間を殺し自分の兵力を増やそうとする。このテの話における「神」って、ナニを考えているんだろうな~、とよく思います。ガブリエルがすり寄ってこうようとするのを、どんな思いで見ているんだろう。関心が無くなった者に対して冷たすぎるよねえ。
 マリアに宿ったホーソン大佐の魂は、結局はナバホ族の呪医によって祓われるのですが(→非キリスト教の手によるってのが面白い)、その後はどこに行っちゃったの?
 ヴィゴはルシファーです。ガブリエルの企みが上手くいくと第2の地獄が誕生し、苦労して作った自分の世界が脅かされちゃうので、ガブリエルを殺そうとするのです。亜麻色の髪を後ろに撫でつけ髭あり。薔薇の花やガブリエルの心臓をボリボリ食べてます。ガブリエルが悪魔的な天使なら、ルシファーは天使的な悪魔で、その対比が楽しいです。短い出番でもインパクト大。獣じみた雰囲気がたまりませんわ!
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「ヤクザvsマフィア」ヴィゴ強化週間2-3

2005年08月01日 | 映画
ヤクザvsマフィア

 ニック(ヴィゴ)は服役後の就職先で、ロサンゼルスへ進出したヤクザの天銅組と地元マフィアのカンパネラファミリーの抗争に巻き込まれる。天銅組の澤本(石橋凌)を助けたニックは、澤本の誘いを受け、彼と共に行動するようになり、友情を深め、ついには盃を交わす。
 
  親の血を引く兄弟よりも 固いちぎりの義兄弟
  こんな小さな盃だけど 男のいのちをかけて飲む

 
実はニックは天銅組の壊滅を目論むFBIの潜入捜査官だったが、上層部がマフィアの天銅組への殴り込みを黙認することを知り(=自分たちの手を汚さず天銅組を壊滅できる)、澤本の元へ行き自分の素性を打ち明ける。一度は激怒する澤本だったが、組長が殺され、一人生き残り、マフィアのボスの元へ赴く彼に、ニックもついていく。
 
  「兄弟 水くせえじゃねえか 俺も行くぜ」
 
ニックが差し出す銃を受け取る澤本。二人の間のわだかまりは消え、共通の敵に立ち向かうのだった。
  
  俺の目をみろ なんにもゆうな 男同士の腹のうち
  ひとりくらいはこうゆう馬鹿が 居なきゃ世間の目はさめぬ

 

 と、まあ、一昔前(もっと古いか。鶴田浩二の時代ぐらいのイメージ)の任侠映画を、アメリカ人がアレンジしてみました、ってカンジです。私なんぞは、すでにパロディでしかしらない展開ですが、まあ、予定調和ですので、それなりに楽しく観ましたわ。日本語吹替版だったので、下っ端ヤクザが英語を喋るを見ることができず、ちょっと残念。字幕版ならファンタジー度120%増しだっただろうなあ。ヴィゴのアヤシイ日本語も聞きたかったよ!

 潜入捜査官っていうのは、どこまで「自分の役」を押し通さなければならないのだろう(目の前で人が殺される、あるいは自分に殺せと命令が出た時、どこまで回避できるのだろう)とか、日本の暴力団のアメリカ上陸について、地元がどう思っているかなどは、ありがちな話のスパイスになっていました。ヤクザも暴力団も嫌いだけど、日本人がアメ公やイタ公に舐められるのもイヤだよねえ~。
 ヴィゴは明るめの亜麻色の髪(日差しが強いと金髪に見える)で髭無し。心もち、腰・尻回りがふくよかに思うのは気のせいか?な~んで、こんな映画に出てるのよ~、って思いつつも、結構溶け込んでいるのが嬉しいやらなんやら。ネタがネタなんで、「フェイク」のジョニー&デ・ニーロぐらい、二人の関係を描き込んでくれよ~と思ったりもするのですが、まあ、これぐらいの方が気楽に観られてイイのかなあ。石橋さん(元ARB)は存在感がありますねえ。英語を喋っている自分に、日本語吹替をしているんで、台詞回しが平坦なんですが、それすらも魅力だったりして。最後、ヴィゴが石橋さんをお姫様抱っこするところが一番の見所ですな(笑)胸に入れた盃で弾が止まるとかはないのね~。

 という私は、今週末に元ARBの田中一郎さんを見に行ったりして(一番のお目当ては卓治だけど)。一郎さんのギターはイイようっ!歌声も素敵よっっ!俳優業に進まなくて良かったにょ、と聞く度思います。
 
 
参考文献:らっぽり任侠版『兄弟仁義』(新書館刊行)
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