きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「聖なる狂気」ヴィゴ強化週間2-5

2005年08月03日 | 映画
聖なる狂気

 狂信的なカルト教団に入信している両親(とパッケージに書いてあるけどただの厳格なクリスチャンな気もする)に育てられたダークリー・ヌーン(ブレンダン・フレイザー)。両親が町の住人に殺され、夢中で逃げた先は森の中。そこで暮らすキャリー(アシュレイ・ジャッド)は、大工(棺桶職人でもある)で口のきけないクレイ(ヴィゴ)と住んでいる。キャリーは傷ついたダークリーを家族として受け入れようとするが、厳格な倫理観を両親によって植え付けられたダークリーは、奔放なキャリーに惹かれつつも、彼女が罪の塊に見え、精神を病んでいく。
 話の導入部分とか、前半の画面とかは割と好きです。ダークリー・ヌーン(薄暗き真昼の意)とキャリーだけの場面は、微妙な緊張感が漂い、心地よいです。しかし、後半がよくわからなかったです。誰かの心象風景だと思っていましたが(それもありがちなんだけど)、そうではなく、すべて現実なんですね~。暗い森=罪の意識に囚われる、燃やす=浄化、「愛している」=罪を許される、森を出る=告解などなど、いろいろ考えていたのですが、暗喩かもしれないけれど、表面的には「絵」の通りで終わってしまったというか。ダークリーの両親の幻影はなんなんでしょう。彼の内にある異様な倫理観なのか、彼らが息子に常に強迫的だったとか、そんなことを表しているのでしょうか?私は、話全体が、「信仰の篤い両親を殺して、その罪から逃げている(許されたいと思っている)男」の内面を描いているのか、と思っていたんですけど、違いましたねえ。でっかい銀の靴も謎です。森から出られる道具=解放の手段を自らの手で焼いた???原題は「THE PASSION OF DARKLY NOON」。自身の体を傷つけることが宗教行為のようにも見えましたが、その辺が「THE PASSION」に繋がるんでしょうか。鉄条網に括られている鳥を自分に擬え、信仰を試されていると思って(あるいは魔女に誘惑された自分を罰する?)自分の血を流すのかな、と。キャリーがリンゴを食っているのは堕落したイブを意味している?「ゴッド・アーミー」はネタがわかれば宗教観など関係なく楽しめるのですが、こっちはさっぱりでした。最後のダークリーの化粧の意味すらわかりませ~ん。でも、ある意味パズルみたいな映像は面白い。「柔らかい殻」も同じようなら見てみようかしら。
 フレイザーは顔が小さいのか首が太いのか。狂気と繊細、凶暴と小心が同居する役をうまく演じています。罪を犯すのは無垢だからなのよね。ジャッドに色気があるか、ワタシ的にはビミョ~。ちょっと遠野あすかちゃん風よ。「五線譜のラブレター」と比べると肌はピチピチです。若いです。
 ヴィゴは口がきけない役のため、逆に表情が豊かです。台詞が無くても、こんなにいろんなことが伝わるんだ~。金髪に短い髭少々。かわいくもあり、野性的な表情もあり。「ヤクザ・・・」の時より腰も引き締まりセクシ~。クレイに飛びつくキャリーの気持ちがわかりますなあ。舌で煙草の火を消すのが、ビックリと同時に色っぽくてドキドキよん。ダークリーと戦い負けるところでは、「ミイラと戦う男相手に勝てるわけないよ~」と思っちゃいました。王様でも無理ムリよ。
コメント
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