きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「霧のミラノ/ワンダーランド」宝塚雪組

2005年07月09日 | 宝塚(雪組)
 芝居は柴田作・中村A演出。オーストリア占領下のミラノ。無能な坊ちゃんの振りをしてレジスタンス活動を続けるロレンツォは、ある日、家業の業務停止の仮処分を受けたことをオーストリア将校・カールハインツに抗議するフランチェスカと知り合う。二人とも「ミラノの5日間」の頃に家族を失ったたことがわかり惹かれあう。ロレンツォは友人ジャンバティスタと共に独立戦争に参加する。
 台詞や歌詞の端々に文学的な格調高いフレーズがあるし、幕開けの御貴族様の世界も華々しく、案外オギーより、中村Aぐらいかけ離れているほうが、案外柴田先生の演出には向いているのかな、と思ったけど、途中からは、やっぱり中村A。場面転換が多すぎて忙しなく、いろんなことを詰め込みすぎて、結局はあらすじを台詞で繋いでいるだけの芝居。だからラストが唐突過ぎて。これで幕???と、客は取り残される。このオチになるのはわかる。けど、もう少し余韻が欲しいよ。もうすこし場面場面を書き込んで欲しいなあ。いつも思うんだけど、3時間の映画を無理やり1時間40分のミュージカルにまとめて、そのためにあらすじ以外を切り捨てているように見えちゃうんだよね。ひとつふたつのエピソードを丸々削ってでも、もうちょっとゆったりとした場面を作れないものかね。
 コムちゃんのロレンツォは、まあ、いいんじゃないかなあ。後半の硬派のカンジは好きだな。彼女は妖精よりも男らしい役のほうが似合うと思う。まーちゃんは、「ミラノの5日間」の頃二十歳、それから10年、ってことは30歳ぐらいのヒロインなのね。「白昼」のハナちゃんは・・・。いや、言うまい。苦労して足が地につきつつも、「幸せだった時代」を共有できるロレンツォに惹かれる大人の女性でした。
 かしげのカールハインツ、ミズのジャンバティスタのバランスがビミョー。役者としてはそれぞれ良いのですが、同格二人を配したので、大帝国の軍人vsレジスタンスと、自由を求めるレジスタンスの話が同列になって、結果的にどちらの話も印象が薄くなってしまいました。難しいねえ。かしげは長めの前髪のカツラ+軍服で、なかなかに耽美。もうちょっと背が高いと軍服がさらに似合って良いのだが。敵であるロレンツォに惹かれる(笑)経緯がわかりづらい。なぜ彼がそれほどまで気になるのか。かつての芝居の「タンゴを教え・教わる」って方が、その行動自体はアレだけど、二人の間に通じる者があるのは良く伝わって来たなあ。退役の理由もわかりづらいなあ。たぶんラストの「絵」を作るためなんだろうけどさ。普通の軍人なら戦争に行って、戦後は捕虜ないしは本国帰還だろうからなあ。ミズのジャンバティスタは役を無理矢理ふくらましたような印象。その難しい役をうまく作っていたと思います。ダンスの見せ場は必要だったのだろうか。しかも背景無しでショボいし。エンマとの関係は良かったなあ。昔の女とまたくっつく。そのエンマはいずるん。娘役2番手というより別格かな?昔の月組ではコモちゃんの役どころっぽい。キムは久々の男役。やっぱこっちの方がいいよ。華やかだし軍服も似合うねえ。お笑い場面が滑るのは役者と脚本と演出のどれがわるいのか?壮くんは狂言回しというかナレーターというか。ちょっと熱すぎかも。
 主題歌?になるのかな?それがちょっとお間抜けで。
  ひなげしはフランス語でコクリコ
  英語ではポピー
  中国語では虞美人草
そーーか、虞美人草ってポピーなのかあ、と思う前に、「フランス語でココリコ」だったらどうしようとか思ったり。

 ショーは、オープニングと白鯨で、ワクワク冒険活劇か?と思ったら、その後は、わりとありきたりな場面で、ちょいと単調でした。トランプの「赤&黒」は、まあ、面白い。けど、選曲が不明。「白鳥の湖」に「威風堂々」などが続く。日本語歌詞の歌付きで。なんで~~。幕間に甘いモノを食べたので、早起きだったせいもあり、この辺から撃沈。まーちゃんが男役を従えて踊っている姿が印象的でした。いい眺めだわ~~、と。フィナーレは普通にドレスとシャンシャン。軍服にポンポンではありませんでした。
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「ユカリューシャ」残りの演目

2005年07月06日 | バレエ・ダンス
未定だった「ユカリューシャ」の、残り2演目が発表になりました。


「パ・ド・カトル」 
振付:アントン・ドーリン/音楽:チェーザレ・プーニ
タリオーニ:吉岡美佳
グリジ:井脇幸江
グラーン上野水香
チェリート:小出領子

「スプリング・アンド・フォール」
振付:ジョン・ノイマイヤー/音楽A.ドヴォルザーク
長谷川智佳子
木村和夫 ほか


「パ・ド・カトル」は、東バでは見たことがないので嬉しい。
井脇さんが入っているし。
「スプリング・アンド・フォール」は
前に見たとき寝たんだよなあ。
今度は気をつけないと・・・・・・・
と、思うけど疲労の極地で見るだろうからなあ・・・。

ちなみに「カルメン」は

カルメン:斎藤友佳理
ホセ:首藤康之(東京バレエ団特別団員)
エスカミリオ:高岸直樹
ツニガ:後藤晴雄
運命:大島由賀子


あとはルグリとマチュー君が来てくれるのを願うだけですね。
二人とも、8月までに復帰できるといいなあ。
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「喬太郎のミステリアスナイト」柳家喬太郎独演会

2005年07月05日 | 宝塚・劇団四季以外の舞台(落語含む)
「堀の内」柳家喬之助
粗忽な男が、粗忽を治そうと祖師堂へ参詣に行くが、道中いろいろ(噺家や状況によっては、いろいろいろいろいろいろいろいろ・・・)失敗をする。
前座は二ツ目の喬之助。声が良く、話振りもしっかりしている。マクラもうまい。

「国民ヤミ年金」柳家喬太郎
時事ネタ新作。初演は「年金未払い」問題があったころ。これに最近の政情を取り入れていました。××は民営化、●●は国営化とか。オチが読めるけど、途中は面白い。特に「奥さん」がイイねえ。イマドキの女性を演じさせたらkyonkyonの右に出る者はいないよね。

「孫 帰る」柳家喬太郎
引き続きkyonkyon。新作。夏休み、祖父の元にやって来た男の子。思い出話をする。実は彼は・・・。
最後はちょっぴりしんみりな話。

「スタンダップコメディ」寒空はだか
目には見えない「幻」っていうか「空気」ギターをかき鳴らしての漫談?
初めて観る、と思ったのに、なんかネタに聞き覚えが。笑点とかで見たのかなあ。「裏TDL」は面白い。「チキルームはつまらないまま」。でも時々あの主題歌が聴きたくなるのよ~。派手ではないけど印象的な芸風です。「タワーの歌」も知っているようないないような・・・。

「死神」柳家喬太郎
最後は古典です。普通に古典、、、と思っても、突如kyonkyon節がでるのであなどれない。呪文は、前の寒空さんを受けてか、「アジャラカモクレン チキルームはつまらないまま」でした。


全体的に、ちょっと噛み噛み?もっと大爆発系になるかと思ったけど、それほどでもなかったかな。まあ、「喬太郎伝説」の「中華屋開店」が爆発しすぎなんだよな。池袋だから現地ネタがあるかと思ったんだけど、無くて残念。でも面白かったよ。
と、北千住より田舎に住む私は思いました。
北千住駅前にはマルイがあるのよ~。ウチより都会なのよ~。
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真琴つばさ THE LIVE 2005 「KISEKI」

2005年07月03日 | ライブ・コンサート・音楽・トークショー
 今年のコンサートは、デビュー20周年ってことで、第1部はミュージカル仕立て、第2部は、20年の中から「現在」と「過去」と「未来」の3パートで各時代の歌を歌いました。
 第1部のマミちゃんは二役。小説家を目指すコンビニの店員と、ツカラヅカ歌劇団のトップ。それぞれが、「なりたかった、なれるかもしれなかった自分」となっています。歌劇団受験の日、迷子の女の子を見つけた。女の子を保護すると受験に間に合わない。受験に間に合うようにバスに乗ると女の子はどうなるのか?受験した場合はトップになり、受験しなかったらコンビニの店員になる。そんな二人の人生が交差したら・・・、という、まあ、友人曰く「コバルト文庫みたいな話」なんですが、マミちゃんの魅力で一気に見せちゃいましたねえ。共演者いじりがウマイのよ。2役の演じ分けも、やっぱウマイわ。現役中多かったしなあ。第1部の最後は、歌劇団トップが退団後初のコンサートを開催する!と宣言して終わり、第2部へと続きます。
 第2部。まずは「現在」。退団後から今まで発表した曲から。「綺羅」とかね。「過去」は宝塚時代の曲。一つは、候補を2曲あげて、お客さんの拍手でどちらを歌うかを決める。「エル・ドラド」の主題歌(?)を押しのけて選ばれたのは「アマール・アマール」。なんかわからんけどカッコイイのだよねえ。もう1曲は「情熱の翼」。続いては「未来」。秋にリリースされるアルバムの中から3曲。女ジュリー風(←ビジュアルが)に「マスカレード」、「男と別れたあとは泣き暮らしているなんて、そんなの男の都合の良い幻想」って内容の「strong flower」(?だっけ???某氏に聴かせたい歌詞だ)、「明日も前向きに生きよう」ってな雰囲気の「風のように」は高橋研さんの曲・・・
えっ?
高橋研さん???
と、紹介された瞬間は耳疑い、すぐに大笑いした私たち二人。まさかマミちゃんが研さんの歌を歌うとは・・・。ビックリよ~。アンコールは「月の道」と「ENDLESS DREAM」。
 全体的にいろんなマミちゃんが見られて大満足。1曲目は、相変わらず歌詞が聴き取れないな~、と思っていたのに、2曲目からは大丈夫でした。身体のどこかで眠っていた受信機が復活したのね。すごく楽しかったのですが・・・。終演後は、「研さんはこんなに真面目に仕事をしているのに、某氏はねえ・・・」と、二日続けて似たような話をする我々でありました。
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「キャッツ」劇団四季

2005年07月03日 | 劇団四季
 なんのかんので、マンスリーなネコ。本日はジェリクル・ギャラリーです。ここは舞台のほぼ真横の席。見えない部分もあるし(電子レンジの中とか)、群舞も正面から見た方が綺麗だと思う。でも。舞台に近いから、細かい表情もわかるし、時々ナマ声が聞こえるし、正面からでは見えない端っこの演技が見えたりするんで、3回目の観劇ともなると、ウハウハウハな席でした。2幕の最初の方ではタガーが来て、最後の握手はタントミール(←身体の色合いから、私は「猿ネコ」と呼んでます。ごめんね~)。
 3回目ともなると流れがわかってとても楽しい。1幕は短めの見せ場が続き、2幕は、グロールタイガー、汽車、マジックと長めの場面多し。結構、どこも好き。う~ん、やばいかもなあ。歌もそろそろ歌えそうだ。
 キヨミチはタガーでした。激ヤセと聞いていたので心配していたのですが、ごくごく普通に身体が絞れた、ってカンジでした。前が太いと言うことは決してないのですが(ちょっぴり嘘)、さらに引き締まったカンジです。踊りとかはシャープになっているので、その辺は喜ばしいのですが、なんとな~く、「普通の体型」になっちゃって寂しいなあ。大柄でのっしのっしと歩くところが好きだったので。その代わり、ってワケじゃないですが、お尻フリフリ&鳴き声(奇声)はパワーアップでした。なんかね~、紫吹さんのね~、「ホイーヤッッ」に通じるものがありますね~~。楽しいです~~~。くふふ。
 蔡さんのミストも好きです。正面向いて堂々とマジックを披露したり、ダイナミックなジャンプも好きなんですが、「うまくいくかな~~、ドキドキ」とか手の汗をふきふきとか、時折見せる気弱な顔がカワイイんだよねえ。マジックが成功してタガーと腕をガツンッてやるところも好きよん。
 グリザベラ(重水さん)は、前2回は、いきなりやってきてイイとこ取り、みたいな印象があったのですが、今回は、彼女の気持ちが胸に迫ってきました。福井さんのマンカストラップは頼れる男ですな~。素敵~。泥棒猫は相変わらずイイ動き。特にランペルティーザ。グロールタイガーも好き好きなの~。
 って、某所のネコ辞典を見たら結構わかっている自分がコワイよ~。とりあえず今はキヨミチ目当てで行っているけど、キヨミチがいない状態で通う日が・・・・・・来たらどうしましょう・・・・・・・。
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「LIVE-RED & BLACK」小山卓治/本田恭章

2005年07月02日 | 小山卓治
  (kenyaちゃん、写真サンキュー!)

 オープニングアクトは福井大輔さん。OAって「プロになりきっていない若人が自分の頭の中を垂れ流す」ことが多いけど、そういった意味で福井さんは「プロ」でした。「『自分の言葉』を『他人』へ伝える」ことをちゃんと考えている歌でした。まあ、私はアメリカに憧れを持たない世代なので、福井さんの歌に入っていくことはできませんでしたが。最後の曲、「飛行機」が飛んでいた「空」の色を思い出しました。

 続いては本田君の登場。姿を見るのは「ハカイダー」以来だけど、変わっていない。それなりに口元には年齢を重ねているけど全体的な印象は昔と同じ。7月後半のライブ用かもしれないけれど、髪型も80年代なJAPAN系だった。歌は昔よりずっとうまくなっていた。ギターのテクはそれについていっていないのでピアノだけでもイイ気がする。客席を見ることなく譜面台に向かって歌っていた。それが他の歌手なら別なことを思うかもしれないけれど、本田君だから。あえて客との距離を作っているのかな?その距離感が「王子」の雰囲気を醸し出すのかな、と思った。MCは殆ど無く、演奏した曲は、どれも同じような曲調。だけど、友人によると「最後から2番目の曲は20年間の曲だと思う」とのこと。今も昔も同じような曲を歌っているということかな。いろいろ遠回りしているように見えたけど、ずっと同じ場所で、同じスタンスで歌い続けいているんだね。それはそれで素晴らしいことだ。浮き世名離れした雰囲気を持ちつつも、「ずっと」歌ってきた重みも同時に感じた。
 ファンも持ち上がりみたいなんだけど、静かだよね。声援も野次もツッコミもなく(←当たり前か・・・)、拍手もおとなしい。拍手はファンに先導して欲しいんだけど、曲が終わってもなかなか入れてくれないので、どうしていいかわからないのよ。「なにか飲み物を・・・」って言われて、すかさずビールを差し入れる、なんてことは絶対にないのね。
 曲の歌詞も「本田君」ってカンジだったなあ。卓治が「Baby」とか歌ったら即刻ライブハウス出るよな~、と思いながら聴いていました。ロックを歌いながら「女の子」をウットリさせる、そんな「王子」振りは健在なのね。

 本田君の演奏が終わると、客席の、普段見ない女性陣も退場。いきなり「粗野な雰囲気」200%アップ。卓治が出てきてホッとした。自分の知っている世界に戻ってきたようだった。
 一曲目は「微熱夜」。本田君との違いを意識させるためなのか。いつものように荒めのギターに乗せて歌われると、やっぱり、私は卓治だよな~、としみじみ思う。「手首」も、いつもより鋭いように思う。続く「オリオンのティアラ」と「花を育てたことがあるかい」は、女性向けの曲なのかな。優しいメロディーだし、「愛の歌」だし。コワイだけじゃないですよ~、ってアピールなのかな。そして「ユリエ」。来ると思った。似たような事件があったから。今までは乗り切れない曲だったけど、あの事件のことを思出すと、卓治の「逃げてくれ、逃げ切ってくれ」という気持ちが伝わってくる。これに「負けないで」を繋げるのは、彼に、ユリエに、そう思っているんだろうなあ。私も同じ思いです。最初の「負けないで」がすごく大きい音でした。マーキーのスタッフがあわててボリュームを調整していた。そんな大声になってしまうくらい強く思っているんだろうなあ。で、「種の歌」。彼もユリエも、皆が幸せになりますように、ということ?「ジオラマ」で一回締め。
 アンコールは「Soulmate」。「歌い続けている」福井さんと本田君にも向けて。続けるって、偉大なことだよなあ。ラストは「Show Time」。

 今回は「卓治のライブを楽しむ」ってカンジじゃなかったです。本田君を見た後だから、もう、卓治であればなんでもありがたいっていうのかなあ。他の誰でもなく、自分は卓治の世界が好きなんだよなあ、と再認識しました。好きな曲もあれば嫌いな曲もあるんだけど、それは、歌(表現、伝え方)の間口が広いっていうか、バリエーションに富んでいることでもあるというか。そんなことをしみじみ思いました。比較対象があると、そんなことを考えちゃんだよねえ。そんなわけで、内容自体は不問。「Soulmate」で演奏が一部怪しかったとか、このさい全然OKです。ハードル低すぎるぞ自分、と思うけど、こういう日があってもいいわな。
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「Dear フランキー」

2005年07月02日 | 映画
 時間の都合で「ダニー」とこれをハシゴしたのですが、偶然にも、ふたつとも舞台はグラスゴーでした。アッチョンブリケ!前者はグラスゴーである必要はあまり無かったのですが、こちらは大有リ。グラスゴーの景色が、映画を成立させる一つの要素になっていました。美しい景色は人の心を穏やかにさせてくれます。
 シングルマザーのリジーは難聴の息子フランキーと母と3人暮らし。DVの夫から息子を連れ出し逃げているため、転々と引っ越しする。今度はグラスゴー。夫の話を詳しく正確に子供に伝えたくないリジーは息子に、「お父さんは船乗り」と嘘を付く。フランキーは父宛に日常の様々なことを手紙を書くが、受け取り、返事を書くのは母親だった。ある日、父が乗っているとされる船がグラスゴーに寄港する。父と会えるのを楽しみにしている息子のため、リジーは「一日だけの父親役」をしてくれる男性を捜す。
 おおげさな場面・演技はいっさいありません。全体的に台詞が少なめなのですが、表情とか「間」とかで、充分伝わります。それも、役者に寄りかかる、のではなく、ちゃんと演出・脚本の段階でそれを計算しているのがわかります。「父親役」のジェラルド・バトラーも、一見、金のためだけにそれを引き受けたように思いますが、フランキーに本を送る場面で、彼が「息子」の手紙をキチンと読んできたのがわかります。これがハリウッド映画なら「本当の息子のように思えてきた!彼の『父』はオレだ!!」となるでしょう。でも、この映画は違います。「父」と「子」ではなく、「対等の人間」として描かれます。もともと無口(だと思われる)男でも、手話と表情で語るフランキーの気持ちを実に正確に受け取っています。それがわかるから、フランキーは自分の「言葉」で、「父」に話しかけるのです。
 母が嘘の手紙を止められなかったのは、それが息子から聴ける「声」だったから。たとえニセの父宛の声でも、それを聴きたかった。夫(フランキーの実の父)が病気で死んだため、それも止めることになった。最後に受け取った手紙の内容には、泣かされます。男の子って、母親を守るものなんだねえ。。。この手紙で、明るい将来を感じることができます。「ニセの『父』」が「本当の『父』」になる可能性を示唆していると思いました。

 余談ながら。私の隣に座ったのは、若いカップルの男性の方。二人とも「オペラ座の怪人」を見て、コレに来た、ってカンジでした。だって最初はダレダレ~~、って雰囲気で、バトラーが出たときに「出たよ!」って気合いが入ったんだもん。そんな彼も、「最後の手紙」でボロボロ泣いていましたよ。男性もハンカチ必需っすよ!
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「ダニー・ザ・ドッグ」

2005年07月02日 | 映画
だにー・ざ・もんきー
と、予告を見たとき思いました。実際映画を見ていても、お猿さんだよね~。子犬の目を持つお猿さん。

 取り立て屋のボスに育てられたダニー。首輪を付けているときは誰からも馬鹿にされるなにもできない男、ボスが首輪を外し「殺せ!」と命令されると、ボスが止めるまで人を殴り続ける。「人」として扱われることなく「道具」としてのみ扱われる。ある日、盲目のピアノ調律師と知り合ったことから、ダニーの生活は変わり始め、ダニーの過去も明らかになる。
 と、話自体は、その辺に出ている粗筋通りなんですが、それに深みを持たせているのが、ジェト・リーの演技です。タイトル通り「犬」として扱われている時、「闘犬」として人を傷つけるとき、そして、徐々に人間らしさを取り戻すときの笑顔。この笑顔が純真無垢で、たまらなく良いです。人が初めて「幸福」に接したときに出るのではないか?と思われる「笑顔」。こんな表情ができる人だったんだー。私達が日常生活でなにも感じなくなったことでも、それを「幸福」と感じる人もいる。それをひとつひとつ発見していく彼の表情は微笑ましくも、痛々しい。映画前半では、いくら東洋人が若く見えるからって、この役をやるには老けすぎでは(42歳だって??)?と思ったけど、ピアノ調律師の娘との関係が「恋愛」ではなく、「3人が家族になる」という話に落ち着いたので、まあ、良いかな~、と。
 まあ、アクションは、ちょっと「付け足し」っぽいところがあるかなあ。みどころはダニーのボスです。不死身です。殺しても殺しても死なないのよ~。ラストも、彼が出てきて機関銃乱射でみんな死ぬ、ってオチになったらどうしよう、とドキドキしちゃいました。上品とは言えない彼が身だしなみにはこだわるのが良いアクセントですわな。
 ピアノ調律師のモーガン・フリーマンの演技も素晴らしいモノの、話自体は単調です。展開も思ったこと以上のことはないし。ジェット・リーを「カワイイ」と思えない人にはつまらない映画かもしれません。カワイイと思う人は見てね~。
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