(kenyaちゃん、写真サンキュー!)
オープニングアクトは福井大輔さん。OAって「プロになりきっていない若人が自分の頭の中を垂れ流す」ことが多いけど、そういった意味で福井さんは「プロ」でした。「『自分の言葉』を『他人』へ伝える」ことをちゃんと考えている歌でした。まあ、私はアメリカに憧れを持たない世代なので、福井さんの歌に入っていくことはできませんでしたが。最後の曲、「飛行機」が飛んでいた「空」の色を思い出しました。
続いては本田君の登場。姿を見るのは「ハカイダー」以来だけど、変わっていない。それなりに口元には年齢を重ねているけど全体的な印象は昔と同じ。7月後半のライブ用かもしれないけれど、髪型も80年代なJAPAN系だった。歌は昔よりずっとうまくなっていた。ギターのテクはそれについていっていないのでピアノだけでもイイ気がする。客席を見ることなく譜面台に向かって歌っていた。それが他の歌手なら別なことを思うかもしれないけれど、本田君だから。あえて客との距離を作っているのかな?その距離感が「王子」の雰囲気を醸し出すのかな、と思った。MCは殆ど無く、演奏した曲は、どれも同じような曲調。だけど、友人によると「最後から2番目の曲は20年間の曲だと思う」とのこと。今も昔も同じような曲を歌っているということかな。いろいろ遠回りしているように見えたけど、ずっと同じ場所で、同じスタンスで歌い続けいているんだね。それはそれで素晴らしいことだ。浮き世名離れした雰囲気を持ちつつも、「ずっと」歌ってきた重みも同時に感じた。
ファンも持ち上がりみたいなんだけど、静かだよね。声援も野次もツッコミもなく(←当たり前か・・・)、拍手もおとなしい。拍手はファンに先導して欲しいんだけど、曲が終わってもなかなか入れてくれないので、どうしていいかわからないのよ。「なにか飲み物を・・・」って言われて、すかさずビールを差し入れる、なんてことは絶対にないのね。
曲の歌詞も「本田君」ってカンジだったなあ。卓治が「Baby」とか歌ったら即刻ライブハウス出るよな~、と思いながら聴いていました。ロックを歌いながら「女の子」をウットリさせる、そんな「王子」振りは健在なのね。
本田君の演奏が終わると、客席の、普段見ない女性陣も退場。いきなり「粗野な雰囲気」200%アップ。卓治が出てきてホッとした。自分の知っている世界に戻ってきたようだった。
一曲目は「微熱夜」。本田君との違いを意識させるためなのか。いつものように荒めのギターに乗せて歌われると、やっぱり、私は卓治だよな~、としみじみ思う。「手首」も、いつもより鋭いように思う。続く「オリオンのティアラ」と「花を育てたことがあるかい」は、女性向けの曲なのかな。優しいメロディーだし、「愛の歌」だし。コワイだけじゃないですよ~、ってアピールなのかな。そして「ユリエ」。来ると思った。似たような事件があったから。今までは乗り切れない曲だったけど、あの事件のことを思出すと、卓治の「逃げてくれ、逃げ切ってくれ」という気持ちが伝わってくる。これに「負けないで」を繋げるのは、彼に、ユリエに、そう思っているんだろうなあ。私も同じ思いです。最初の「負けないで」がすごく大きい音でした。マーキーのスタッフがあわててボリュームを調整していた。そんな大声になってしまうくらい強く思っているんだろうなあ。で、「種の歌」。彼もユリエも、皆が幸せになりますように、ということ?「ジオラマ」で一回締め。
アンコールは「Soulmate」。「歌い続けている」福井さんと本田君にも向けて。続けるって、偉大なことだよなあ。ラストは「Show Time」。
今回は「卓治のライブを楽しむ」ってカンジじゃなかったです。本田君を見た後だから、もう、卓治であればなんでもありがたいっていうのかなあ。他の誰でもなく、自分は卓治の世界が好きなんだよなあ、と再認識しました。好きな曲もあれば嫌いな曲もあるんだけど、それは、歌(表現、伝え方)の間口が広いっていうか、バリエーションに富んでいることでもあるというか。そんなことをしみじみ思いました。比較対象があると、そんなことを考えちゃんだよねえ。そんなわけで、内容自体は不問。「Soulmate」で演奏が一部怪しかったとか、このさい全然OKです。ハードル低すぎるぞ自分、と思うけど、こういう日があってもいいわな。
オープニングアクトは福井大輔さん。OAって「プロになりきっていない若人が自分の頭の中を垂れ流す」ことが多いけど、そういった意味で福井さんは「プロ」でした。「『自分の言葉』を『他人』へ伝える」ことをちゃんと考えている歌でした。まあ、私はアメリカに憧れを持たない世代なので、福井さんの歌に入っていくことはできませんでしたが。最後の曲、「飛行機」が飛んでいた「空」の色を思い出しました。
続いては本田君の登場。姿を見るのは「ハカイダー」以来だけど、変わっていない。それなりに口元には年齢を重ねているけど全体的な印象は昔と同じ。7月後半のライブ用かもしれないけれど、髪型も80年代なJAPAN系だった。歌は昔よりずっとうまくなっていた。ギターのテクはそれについていっていないのでピアノだけでもイイ気がする。客席を見ることなく譜面台に向かって歌っていた。それが他の歌手なら別なことを思うかもしれないけれど、本田君だから。あえて客との距離を作っているのかな?その距離感が「王子」の雰囲気を醸し出すのかな、と思った。MCは殆ど無く、演奏した曲は、どれも同じような曲調。だけど、友人によると「最後から2番目の曲は20年間の曲だと思う」とのこと。今も昔も同じような曲を歌っているということかな。いろいろ遠回りしているように見えたけど、ずっと同じ場所で、同じスタンスで歌い続けいているんだね。それはそれで素晴らしいことだ。浮き世名離れした雰囲気を持ちつつも、「ずっと」歌ってきた重みも同時に感じた。
ファンも持ち上がりみたいなんだけど、静かだよね。声援も野次もツッコミもなく(←当たり前か・・・)、拍手もおとなしい。拍手はファンに先導して欲しいんだけど、曲が終わってもなかなか入れてくれないので、どうしていいかわからないのよ。「なにか飲み物を・・・」って言われて、すかさずビールを差し入れる、なんてことは絶対にないのね。
曲の歌詞も「本田君」ってカンジだったなあ。卓治が「Baby」とか歌ったら即刻ライブハウス出るよな~、と思いながら聴いていました。ロックを歌いながら「女の子」をウットリさせる、そんな「王子」振りは健在なのね。
本田君の演奏が終わると、客席の、普段見ない女性陣も退場。いきなり「粗野な雰囲気」200%アップ。卓治が出てきてホッとした。自分の知っている世界に戻ってきたようだった。
一曲目は「微熱夜」。本田君との違いを意識させるためなのか。いつものように荒めのギターに乗せて歌われると、やっぱり、私は卓治だよな~、としみじみ思う。「手首」も、いつもより鋭いように思う。続く「オリオンのティアラ」と「花を育てたことがあるかい」は、女性向けの曲なのかな。優しいメロディーだし、「愛の歌」だし。コワイだけじゃないですよ~、ってアピールなのかな。そして「ユリエ」。来ると思った。似たような事件があったから。今までは乗り切れない曲だったけど、あの事件のことを思出すと、卓治の「逃げてくれ、逃げ切ってくれ」という気持ちが伝わってくる。これに「負けないで」を繋げるのは、彼に、ユリエに、そう思っているんだろうなあ。私も同じ思いです。最初の「負けないで」がすごく大きい音でした。マーキーのスタッフがあわててボリュームを調整していた。そんな大声になってしまうくらい強く思っているんだろうなあ。で、「種の歌」。彼もユリエも、皆が幸せになりますように、ということ?「ジオラマ」で一回締め。
アンコールは「Soulmate」。「歌い続けている」福井さんと本田君にも向けて。続けるって、偉大なことだよなあ。ラストは「Show Time」。
今回は「卓治のライブを楽しむ」ってカンジじゃなかったです。本田君を見た後だから、もう、卓治であればなんでもありがたいっていうのかなあ。他の誰でもなく、自分は卓治の世界が好きなんだよなあ、と再認識しました。好きな曲もあれば嫌いな曲もあるんだけど、それは、歌(表現、伝え方)の間口が広いっていうか、バリエーションに富んでいることでもあるというか。そんなことをしみじみ思いました。比較対象があると、そんなことを考えちゃんだよねえ。そんなわけで、内容自体は不問。「Soulmate」で演奏が一部怪しかったとか、このさい全然OKです。ハードル低すぎるぞ自分、と思うけど、こういう日があってもいいわな。