きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ノートルダムの鐘」

2016年12月27日 | 劇団四季


火を使う舞台だからか客席がとても寒かった。
休憩入れて2時間半なのに、一幕が1時間半で、
休憩無しかと思っちゃった。
今日はなんでだか開幕が押してた。

セットの使い方、人の使い方がよく、
話が止まることなく流れる。
名曲ばかりの歌も台詞からの入り方が自然。
歌い上げのための歌もないから物語が壊れることもない。
傑作で通いたい!というほどではないけど、
複数回行くのにストレスは無さそう。

歌が多いせいか、そんなに開口が気にならない。
台詞も大仰な言い回しがないしね。

エスメラルダが気の毒だなあ。
魔性の女というほどでも毒婦でもなく、
ストーカーホイホイ体質なんだな。
岡村さんは最初に見たときは
華が無いのが残念だと思ったけど、
「ジプシーに生まれただけの普通の女性」と思えば、
これはこれで、だね。
差別される側の彼女が
一番公正な心を持っていた、というかんじ?

フロローはなあ、
やっぱりもう少しネチネチした変態さが欲しいな。
はじーめての恋を教えたきみ~、
って歌いそうに見えちゃいかんのよ。
エスメラルダ、逃げて~!って客に思わせるぐらいじゃないと。
徳の高そうな野中さんが揺らぐのもいいんだけね。
彼の心の奥底こそが一番醜い、とも言えるのかな。
でも、「これがキヨミチなら」と想像するときが何度か。

野中さんは猫とライオンでしか見ていないかも?
こういうお顔だったのか。

飯田さんは歌も芝居も良かったよ!
とてもいじらしくて、
エスメラルダが親切にしちゃうのがわかるな。

エスメラルダは酸欠か、
煙によるなにかの中毒かな。
火刑は身体が焼ける前に死ぬっていうしな。

ラストはみな平等ということなんだろうけど、
みんながカジモド側に来たのが感動でした。
もしかして、皆こそが醜く、
カジモドは清らか、って意味だったりするのかな。
自我の解放、なんかも含まれているとか?

バレエ版は、エスメラルダとフロローの行く末は同じだけど、
恋仲に思っていたフィーバスが
同じ上流の女性と連れ立って処刑場に来て
「こんな女は知らないな」と鼻で笑って去っていきます。
それに比べたら舞台版の方が、、、って、
フィーバスは結局どうしたんだっけ。
来年チケットが取れたら良く見よう。


来年のキヨミチは怪人とフロローが基本なのかな。
どちらでも嬉しい。
フロローは舞台に出ている時間が長いよね。
キヨミチのフロローだと
「キリストは言われた」で、
お前だろー、と心の中でツッコミを入れちゃいそう。


ものすごく余談だけど。
わかる人は少ないだろうけど。
「一方その頃」とか、
みんなでナレーションとか、
明らかに1人数役とか、
随所でひげ太夫を思い出した。
幕間に友人達と「ひげだよね。ひげ」
と言い合っていたら
二幕には人の身体で表現する扉があったり、
熱した液状の胴が流れ落ちる表現が布バタバタで、
ますますひげ太夫だと思いました。
次のひげ公演、早く見たいな~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする