きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「エリザベート2015」

2015年06月25日 | 宝塚版以外の「エリザベート」
花ちゃんに対するイケコの畏敬の念がひしひしと感じられた。
オリジナルがあって、日本初演の主役は一路さんでも、
小池版のエリザベートという役は
花ちゃん用に宛書きで組み替えられたんだから、
花ちゃんがエリザベートそのものなのは当然のことなのかも。
自分の中の原型も花ちゃんなので(一番好きなのはあやかだけど)、
見ていて安定感というか、安心感がある。
「嵐も怖くない」のこちらのアレンジは
ガラでも歌っていないのになぜだか既視感。
ずっとこの役を演じてきたかのよう。
歌がどうとか芝居がどうとかではなく、
エリザベートなのだ。
まさにレジェンド。ひれ伏す。
鏡の間の振り返りは神々しさに失神しそうだった。
宝塚版より地声で歌うことが多かったような気がする。
女同士だと娘役は高い音に設定されるのかな。

井上君はかなり頑張っていて、人外の少年ってかんじ。
動き、仕草をかなり作っていて
オペラグラス無しで1階後方から見ると
わりと耽美な雰囲気。
オペラグラスで見ちゃうと白塗りの井上君だけどー。
若僧が花ちゃんに並ぶなんて恐れ多いというこの感覚は、
アレだな、タニハナを見たときのアレだ。
花ちゃん相手だと若手が食らいついて頑張っている以上の感想は出ないけど、
ルドルフ相手だとちゃんと話を引っ張っていた。

佐藤さんは歌の豊かな表現力と台詞の凡庸さの落差が激しい。
後半の老けてからは良かった。

松也くんは狂言廻しというより道化だね。
「高音が厳しい」のではなく「高音が全く出ない」だったけど、
高音部は3箇所ぐらいしかないので、それほど気にならない。

京本ルドルフは、ときどき歌も踊りも芝居もジャニーズになっちゃうけど、
歌声の張りもあり、なかなかいいよ。
闇広は主旋律をルドルフが歌っていました。
キスはルドルフから。
あれはイケコの趣味120%だけど、
ルドルフが積極的に「死を求めた」ということなんだろうな。
ラストもエリザからトートへのキスだった。

ウタコさんは雄々しかった!男だ!顔が小さい!
すごく存在感があって目を引く。
ハマコも朗々と歌っていたよ。
宮廷チームも革命家たちも良かったけど、
エーアンの歌手はいまみっつ。

トートダンサーは帝劇版初演のように
踊りのための踊りでコロスでもトートの心情でもなく
ただの賑やかし。
リフトして振り回す振付が多いので、
ただでさえ狭い舞台がごちゃごちゃしちゃう。
でも賑やかし隊がいたから、
畑違いな耽美な井上くんのコレジャナイ感が薄れて良かったかもね。

そんちゃんは新公のリヒテンシュタインが本役になったんだなあ。
そんちゃん新公時代に花ちゃんはすでにエリザベート済み。
二人が並ぶ日が来るとはなあ。
そんちゃんにも娘1の可能性が少しはあったんだよなあ。
しみじみ。

子ルドは気張って歌いすぎて大音量になっていました。


セットは階段付きの大きい台がいくつかあって、
出演者はいたるところで重たい衣装で昇り降り。
怪我の無いように祈るだけ。
その台に付いている中途半端な滑り台はなにをどうしたいんだか。
ウィーン版(だっけ?)の巨大V字セットを想像していたので拍子抜け。

今日はe+貸切公演で終演後のご挨拶付き。
井上くんは今日でエリザベート出演300回目だって。
そのうち290回はルドルフ。


花ちゃんは「姫」とか「高貴」とか「王族」とかより、
「やんごとなき」ってかんじなのよね。
気高き孤高の魂の漂流の物語で、
ぶっちゃけトートはどうでもいい。
それが我儘のエゴイストに見えないのが素晴らしい。
本来の物語からは外れまくりだけど、
イケコストーリーではこれが理想のエリザベートなんだろうな。

う~ん、でも、あれか、強いゆえに自分を追い込むという点では
ゲルマン版エリザに近いのは月組版あさこちゃんだけど、
そもそもトートはエリザベートの自殺願望の幻影でもあるから、
トートとのラブストーリーである必要はなく、
そういう点では花ちゃんエリザはオリジナルに近いとか?

月組版あさこちゃんは生を強く望むと死が身近になる
二律背反が面白かった。
帝劇版ではかなり変わっちゃったけど。
今日の花ちゃんは生と死の狭間をさすらっているかんじ。
どちらにも所属してない。
してない自由さであって、所属できない、ではない。

それにしても、声楽出身者に囲まれても
歌声が埋まらない花ちゃんすごい。
帝劇の音響さんの本気を見た。
歌に厳しい方々でも鏡の間の後ろ姿の美しさを見れば
花總エリザベートは認めざるを得ないだろうな。ふふん。
コメント
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