きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ニジンスキー」

2012年04月05日 | 宝塚・劇団四季以外の舞台(落語含む)
荻田浩一による「ニジンスキー」。
ブロニスラヴァ・ニジンスカが語り部となり
兄ヴァーツラフ・ニジンスキーの半生を語る。
彼女には、兄が二人いた。
長兄のスタニスラフは少年の頃から精神を病み始め
精神病院で生涯を終える。
次兄のヴァーツラフはマリンスキー劇場のダンサーとなり
ディアギレフと出会い、バレエ・リュスに参加し
世界的な名声を得るが、
だんだん狂気に蝕まれていく。
ディアギレフと、
ヴァーツラフの妻・ロモラの証言により
ニジンスキー像が描かれる。

台詞回しにオギー節が炸裂ていて、
とても懐かしかった。
話の作りとしては悪くない。
原田版は時系列の出来事の羅列に
「ヴァーツラフとロモラの純愛」を絡め
話としてはあまりよくなかったが、
こちらは、さすがにオギー、って気はする。

岡さんのディアギレフは、意外にも男臭かった。
高圧的で、ヴァーツラフを支配する。
それでもディアギレフの美意識こそが
現代にも繋がる「バレエ」という芸術を
世界中に広めたのだ。
彼の功績はとても大きい。
あすかちゃんのロモラはは、女の部分を
エキセントリックに剥き出しにしていて
とても良かった。
エキセントリックであって、ヒステリーではない。
そのバランスが面白い。
ディアギレフvsロモラはとても迫力があって
なんだかウハウハだった。
火花を散らす戦いの間を
ヤンさんのブロニスラヴァが冷静に通り過ぎる。

そういった構図はとても面白いんだけど
その真ん中で浮かび上がるはずの「ニジンスキー像」が
ちょっと弱い気がする。
狂気の表の部分、光の部分の「天才性」が
あんまり感じられないので
ディアギレフやロモラが
彼に固執する理由がわかりづらい。
彼は藁でできた人形=ペトルーシュカであり
真実の彼を知るものは、
狂気の世界に住む兄のスタニスラフだけで
(その兄はヴァーツラフの幻影かもしれないけど)
皆が愛するのは鏡に映った虚像のようなもの。
兄の姿は未来の自分。
と、描きたいにしろ、
世界中の人が愛し絶賛する「虚像」がハッキリしないと
真実の姿も見えてこない。

「ニジンスキーが踊る」場面の振付が
元のクラシックから離れているところがあり
すごく動いて踊ってはいるけど、
私はあんまり好みじゃなかった。
 薔薇の精とシェエラザードならルジマトフ
 牧神の午後ならジュド
 ペトルーシュカならイレール、
と、元の作品での記憶が鮮明すぎるので
東山くんだと、ちょっとインパクトが弱いかな。

この作品では、
ニジンスキーは狂気に囚われているだけ。
もうちょいなにか、
別な面も見たかったかも。

「孤高の天才」の部分は
原田版のチギの方が良く出ていたな。

で、
オチなんですけど。
パトロンとして支配していたディアギレフこそ、
芸術家であったニジンスキーの魂を解放し
支えていた、ということなんでしょうか。
愛しているわけでもない男から肉体関係を強要されていたのに
真実安らげる場所は、その男の元だったと。
自分は同性愛者ではないはずなのに
(自分の中の同性愛者の部分を否定するのも
 彼のアイディンティティの一つだったのに)
自分の表面しか見ず美しい人形としか愛してくれない男を
愛してしまったから、狂気の扉を開けてしまったってこと?
BL?
ってことなの、オギー?

なんちゅーか。
天才とその狂気を描かせたら
山岸涼子はピカイチだなあ、と
改めて思ったわ。
牧神の午後 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
コメント
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