~訂正も謝罪もせずとする姿勢は子供の躾に影響を及ぼす~
NHK教育TVで放送された反日サヨクらによる模擬裁判「日本軍性奴隷制を裁く『女性国際戦犯法廷』」を扱った番組内容が「政治家らの圧力での改変させられた」と、今年1月に大きく報じた朝日新聞だが、報道された後、朝日の記者から取材を受けたNHKの松尾武・元放送総局長と、圧力をかけたと名指しされた安倍晋三、中川昭一両衆院議員も、政治的圧力を否定したことから、朝日のこの記事は、まったくの事実無根であり、捏造の疑いが強まっていたが、同紙の秋山耿太郎社長は、9月30日に記者会見し、「取材不足認めるが訂正・謝罪はしない」として、この問題の幕引きを狙っているようである。
「言い逃れ」「うやむや」「のらりくらり」「ひとりよがり」「おとぼけ」「けむに巻く」などは、まさに朝日新聞の何としても身内を庇いたいとする保身の術ためにあるような言葉だが、さらに見逃せないのは、これだけ問題を長引かせておきながら、一度も公の場に姿も見せずいる、この記事を書いた張本人の本田雅和記者のことであり、朝日がこれほどまでに庇う大きな理由とは何であろうか。
秋山社長や編集局長などが何度も会見を開くより、本田記者が出てきて「あの記事は真実である」とする誰もが納得する話と根拠を示せば良い訳であり、それをせずして、秋山社長ら上司だけの処分をして「やるべきことはすべてやった。これで決着としたい」では納得する人がいるだろうか。問題は情報が不確実のまま「政治家らの圧力での番組を改変させられた」との記事を書いた本田記者であり、その処分をしないのでは話にならない。 情報が断片的であったり、情報源そのものに僅かでも疑いがあり、また裏付けも取れていない段階で、断定的な記事を書いたのでは、その記者があらかじめ作っておいた筋書きのような記事になってしまう訳であり、これこそまさに捏造ではないか。
朝日は誤報を出しても、訂正はしても謝罪はしない。あるいは訂正も謝罪もしないのは今に始まったことではないが、一般企業などで、もし欠陥商品を販売し、それによって被害があれば、その企業の信用は失墜し、倒産に至るケースもある。だが、朝日をはじめとするマスコミは、欠陥報道をして、被害を受けた者の信用が失墜し、名誉が毀損されても何ら責任をとらなこともあるが、それでも倒産もせず、相変わらずデタラメな記事を掲載しているのだから気楽なものである。
秋山社長は、自民党の安倍晋三・幹事長代理が「(NHK幹部を)呼び出した」とか。中川昭一・経産相が「(NHK幹部を)放送前日に会った」との記事ついて、「再取材しても裏が取れなかった」「(初報の段階で)十分な取材がなかった」としているのにも関わらず、訂正も謝罪もしないそうだが、では本田記者が書いた記事は、そのまま事実として残ってしまうが、そうなるとNHKの松尾武・元放送総局長と自民党の安倍、中川両氏の名誉は毀損されたままであり、これに対して朝日は「もう終わったことですから」と抗弁するつもりなのか。
朝日がNHK番組改変報道を巡って作られた第三者機関「『NHK報道』委員会」の結論も誠にお粗末である。「記者が信じたことには相当の理由がある」として本田記者の書いた記事をただ追認し、評価しているだけである。これだけ長く尾を引いている問題なのに、「訂正も謝罪もする必要なし」との結論を出すのでは、第三者機関とは言えないだろう。 本田記者が信じた「相当の理由」とは何であろうか。「十分な理由」より更に高度なものだが、ベテラン記者が騙されずに信じてしまうような「理由」とは、高度の信頼が出来る者から得た情報なのであろうか。そうであれば、この記事が捏造と言われることはなかった筈ではないか。
「政治家らの圧力での番組が改変させられた」との記事に関して、関係者のすべてが否定しているにも関わらず、「嘘をつくな。ここに証拠がある」と言って反証するだけ材料もないとなれば、本田記者は姿を隠して、ほとぼりが冷めるのを待っているしかないと言う訳である。NHK報道委員会は、本田記者から、当然ながら事情を聞いていると思うが、番組を改変するように圧力をかけたとされているのが自民党の安倍、中川両氏であって、圧力を受けたとするNHK幹部とは松尾武・元放送総局長であることを、何処から得た情報であって、それを信じて記事を書くまでに至る経過について聞いているのか。それを公表しないのでは何のための会見であったのか。まったく意味はない。
朝日新聞もNHK報道委員会にも、この記事が捏造であると言われている事に関しての危機感がない。「詰めに甘さが残り、取材が十分でない」とは裏づけが取れていなかったことであり、それでも先走って記事にしてしまい、「事実と異なる」と指摘されたのでは、記事を訂正した上で潔く謝罪するのが筋ではないのか。NHK報道委員会が、朝日とは何の関係もない第三者機関であればまだしも、身内で固めているようでは「訂正も謝罪もしない」との結論を最初に決めておいて、どのような言い回しで、うやむやにして幕引きを図ろうとするか論議をし、それがようやく決まったので会見を開いたのではなかろうか。
せっかく会見を開いて「これで終わりにしたい」との思惑が見事に外れたようであり、朝日は他のマスコミからも厳しく批判を浴びている。購読者がだいぶ減少しているそうだが、当然であろう。「悪いことをしたら謝りなさい」と言って親はわが子を躾けるが、「悪いことをしても謝らない」と子に反抗されたら「朝日新聞みたいなことを言うな」と叱りつければ良い。朝日の訂正も謝罪もしないと抗弁する姿勢は子供の躾けに影響を及ぼしそうである。
(2005/10/02)
この記事は「私の主張」第245号
悪いことをしても謝らない朝日新聞
~訂正も謝罪もせずとする姿勢は子供の躾に影響を及ぼす~
としてHPに掲載されていたものです。
NHK教育TVで放送された反日サヨクらによる模擬裁判「日本軍性奴隷制を裁く『女性国際戦犯法廷』」を扱った番組内容が「政治家らの圧力での改変させられた」と、今年1月に大きく報じた朝日新聞だが、報道された後、朝日の記者から取材を受けたNHKの松尾武・元放送総局長と、圧力をかけたと名指しされた安倍晋三、中川昭一両衆院議員も、政治的圧力を否定したことから、朝日のこの記事は、まったくの事実無根であり、捏造の疑いが強まっていたが、同紙の秋山耿太郎社長は、9月30日に記者会見し、「取材不足認めるが訂正・謝罪はしない」として、この問題の幕引きを狙っているようである。
「言い逃れ」「うやむや」「のらりくらり」「ひとりよがり」「おとぼけ」「けむに巻く」などは、まさに朝日新聞の何としても身内を庇いたいとする保身の術ためにあるような言葉だが、さらに見逃せないのは、これだけ問題を長引かせておきながら、一度も公の場に姿も見せずいる、この記事を書いた張本人の本田雅和記者のことであり、朝日がこれほどまでに庇う大きな理由とは何であろうか。
秋山社長や編集局長などが何度も会見を開くより、本田記者が出てきて「あの記事は真実である」とする誰もが納得する話と根拠を示せば良い訳であり、それをせずして、秋山社長ら上司だけの処分をして「やるべきことはすべてやった。これで決着としたい」では納得する人がいるだろうか。問題は情報が不確実のまま「政治家らの圧力での番組を改変させられた」との記事を書いた本田記者であり、その処分をしないのでは話にならない。 情報が断片的であったり、情報源そのものに僅かでも疑いがあり、また裏付けも取れていない段階で、断定的な記事を書いたのでは、その記者があらかじめ作っておいた筋書きのような記事になってしまう訳であり、これこそまさに捏造ではないか。
朝日は誤報を出しても、訂正はしても謝罪はしない。あるいは訂正も謝罪もしないのは今に始まったことではないが、一般企業などで、もし欠陥商品を販売し、それによって被害があれば、その企業の信用は失墜し、倒産に至るケースもある。だが、朝日をはじめとするマスコミは、欠陥報道をして、被害を受けた者の信用が失墜し、名誉が毀損されても何ら責任をとらなこともあるが、それでも倒産もせず、相変わらずデタラメな記事を掲載しているのだから気楽なものである。
秋山社長は、自民党の安倍晋三・幹事長代理が「(NHK幹部を)呼び出した」とか。中川昭一・経産相が「(NHK幹部を)放送前日に会った」との記事ついて、「再取材しても裏が取れなかった」「(初報の段階で)十分な取材がなかった」としているのにも関わらず、訂正も謝罪もしないそうだが、では本田記者が書いた記事は、そのまま事実として残ってしまうが、そうなるとNHKの松尾武・元放送総局長と自民党の安倍、中川両氏の名誉は毀損されたままであり、これに対して朝日は「もう終わったことですから」と抗弁するつもりなのか。
朝日がNHK番組改変報道を巡って作られた第三者機関「『NHK報道』委員会」の結論も誠にお粗末である。「記者が信じたことには相当の理由がある」として本田記者の書いた記事をただ追認し、評価しているだけである。これだけ長く尾を引いている問題なのに、「訂正も謝罪もする必要なし」との結論を出すのでは、第三者機関とは言えないだろう。 本田記者が信じた「相当の理由」とは何であろうか。「十分な理由」より更に高度なものだが、ベテラン記者が騙されずに信じてしまうような「理由」とは、高度の信頼が出来る者から得た情報なのであろうか。そうであれば、この記事が捏造と言われることはなかった筈ではないか。
「政治家らの圧力での番組が改変させられた」との記事に関して、関係者のすべてが否定しているにも関わらず、「嘘をつくな。ここに証拠がある」と言って反証するだけ材料もないとなれば、本田記者は姿を隠して、ほとぼりが冷めるのを待っているしかないと言う訳である。NHK報道委員会は、本田記者から、当然ながら事情を聞いていると思うが、番組を改変するように圧力をかけたとされているのが自民党の安倍、中川両氏であって、圧力を受けたとするNHK幹部とは松尾武・元放送総局長であることを、何処から得た情報であって、それを信じて記事を書くまでに至る経過について聞いているのか。それを公表しないのでは何のための会見であったのか。まったく意味はない。
朝日新聞もNHK報道委員会にも、この記事が捏造であると言われている事に関しての危機感がない。「詰めに甘さが残り、取材が十分でない」とは裏づけが取れていなかったことであり、それでも先走って記事にしてしまい、「事実と異なる」と指摘されたのでは、記事を訂正した上で潔く謝罪するのが筋ではないのか。NHK報道委員会が、朝日とは何の関係もない第三者機関であればまだしも、身内で固めているようでは「訂正も謝罪もしない」との結論を最初に決めておいて、どのような言い回しで、うやむやにして幕引きを図ろうとするか論議をし、それがようやく決まったので会見を開いたのではなかろうか。
せっかく会見を開いて「これで終わりにしたい」との思惑が見事に外れたようであり、朝日は他のマスコミからも厳しく批判を浴びている。購読者がだいぶ減少しているそうだが、当然であろう。「悪いことをしたら謝りなさい」と言って親はわが子を躾けるが、「悪いことをしても謝らない」と子に反抗されたら「朝日新聞みたいなことを言うな」と叱りつければ良い。朝日の訂正も謝罪もしないと抗弁する姿勢は子供の躾けに影響を及ぼしそうである。
(2005/10/02)
この記事は「私の主張」第245号
悪いことをしても謝らない朝日新聞
~訂正も謝罪もせずとする姿勢は子供の躾に影響を及ぼす~
としてHPに掲載されていたものです。