goo blog サービス終了のお知らせ 

きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

ソワレはスンラさんだったよ(07東京エルサ8回目)

2007年08月25日 | 劇団四季
あっきーが嫌いなわけじゃないんだけどね。
やっぱスンラさんの方が好きだわ。

いいのよ、もう。
中年でも。
小汚いヒゲでも。
お腹ぽっこりでも。
常に痰が絡んでいるような歌声でも。

「最後の晩餐」でジーザスにしがみついたあと。
ジーザスは、ユダの肩の辺りをしっかり掴んで
引き離す直前、背に手をまわして、
ギュッと抱きしめていました。
先週はそっと、だったけど、今日は強く。

思うに。ですね。
「最後の晩餐」の後、
ジーザスは苦い杯を飲み干す決心をしたんであって。
晩餐の時は、まだ迷いがある。
だから、
「思い出す そんなことを求めているとは」と激しくなって。
そこがまだ迷いのある人間の部分。
でね。
ユダから受ける傷はね、
ジーザスが「人間」として受ける、最後の傷。
ユダがジーザスから受ける傷は
「ただの男」から受ける、最後の傷。
あそこの場面は、
「同じ人間同士」が交わる最後の場面なんだよな、と。
半身が別れる瞬間というのかなあ。
ジーザスの「人間の部分」を
ユダが引き取って地獄に堕ちたからこそ
ジーザスは神の子になれたのかも。
なんてことを、妄想しながら見ていました。

やっぱ、ユダは、
見ていて、切なくて、苦しくならなければ
ダメだな。
ワタシ的には。
「ジーザス」という言葉に
魂の全てを乗せてくれなきゃイヤン。

「晩餐」では、ユダは泣いていたよ。
それを見て、私も泣いたよ。

そこから「スーパースター」に繋がらなきゃね。
あっきーは、部外者になっちゃったから。
そうじゃないのよ。
まだ、ユダとジーザスは繋がっているのよ!

さすがにゴロゴロはゆっくりだった。
あっきーと比べちゃうと。
しかも目測を誤ったようで、
必死に「×」に移動しようとするスンラさんだったよ。


鞭打たれて倒れた神。
顔に一房、髪がかかってしまった。
息を吐き出すたびに、ぶほっ!と髪が舞う。
3呼吸目に入る前に、顔を横に向けて乗り切られました。

シモーヌは全開。

田島ピラトの死刑宣告が掠れ気味で声が出きらないのは
「小心者」を表しているのだと思うことにしました。
阿川さんの高音は裏返らなかったと思う。

アンサンブルがうるさいぐらいになってきた。
これぐらいでちょうどいい。

マリアが、生臭いところがどうかと思っていたけど
最後の場面で、「生き残る」強さというか
生命力を感じた。
生きて、生き続けて、伝えなければいけない。
それが残った者の務め。
そういう強さを感じた。
これはこれでいいのかも。
十字架の歩み寄るマリアは
映画版WSSのラストの、歩み去るマリアに似ている。
あの場面自体、聖母マリアをイメージしているそうだけど。
十字架の片方の影の延長線上にマリアがいて
もう片方の延長線上にシモン、ペテロなどがいる。
彼らは殉教したジーザスと繋がっているんだな。

あ、あと武智さんが、市場で全部売り来ちゃってた。
完売御礼。
なのに売り上げを取り上げられそうになって
掴み合いのケンカになって、必死に財布を守ったけど
突き飛ばされて後ろに倒れ込んでいたよ。
珍しく大きな動きだったわ。

カーテンコール。
▼のスンラさんの腕の振りは
やっぱり皆さんとは逆だった。
途中でシモーヌとなんか言ってたのは
シモーヌがバランスを崩しかけて
スンラさんに縋ったのかな。

さ、あと一回だ!


プチネタ。
「王様はシーザー」の語源。

右側(上手側)の人ね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あっきー(07東京エルサ7回目)

2007年08月25日 | 劇団四季
おおむね2で言われているとおり。
口跡は良い。発音明瞭。
音量はある。
若い。
自殺の場面など、
一人の場面は悪くないと思うけど
誰かを、
特にジーザスを相手にするとダメだ。
誰かと絡んで演技、ってことが
そもそもダメなのか?

「私はいま わかるのだ」
って、なにがわかっているんだ?

「あなたのためだ」
って、誰のためだ?

いたるところで「段取り」が見える。
「この音になったら振り返る」とかとか。
まだまだ「ユダ」には遠い。
別にさっぱりでもいい。
裏切りが「若さゆえの正義感」でも全然かまわない。
そういうユダがいてもいいとは思うけど、
でも、一切「ユダ像」は、まだ見えてこない。
一昨日あたり、ユダをタニちゃんに変換して
あっきーに備えてみたけれど、
うん、やっぱり、芝居はタニの方が
はるかにうまかった。
タニで備えたのは大失敗だったな。
感情が入らない歌を聞くのなら、
音が外れても歌で「表現」できるほうがよっぽどマシだ。
あっきーの歌は、TCAのメドレーかい?
ってぐらいの気持ちの入り方だったよ。

でも、若い。
肌の張りが、ほかのユダとは違うねえ。
腹も出てないよ。
おなか周辺の布に余裕があります。
ひざもまだ白くなっていないし。
それに、あれだ。
あっきーは、顔は大きいけど(←意外だったYO!)
体は小さめなので、「×」に吸い込まれるときは
体を縮めなくても大丈夫そうだった。
ゴロゴロはスンラさんより勢いがある。

カーテンコールのとき、
司祭様たちが前に出たときあたりだったかな?
頂上の方で、バランスを崩して尻餅をついてしまい
神に助けられていたのが可愛かった。

いろんなところで言われているけれど
学級委員長なんだよね。
「先生!そんな女に構ってはいけないと思います!」
みたいな。
んでもって。
「最後の晩餐」はね。
三井と安西先生みたいだった。
「バスケがやりたいです・・・」
でも、もう、間に合わないんだよな。はっはっは!

ここでの神は慈愛に満ちた笑顔だ。
ユダを引っぺがすところも
自分のためにユダが傷つくことになるのが
申し訳なく思っていそうだった。


まあ、そんなわけでね。
シモンの演技等、普段見ないところを
じっくり見てきたよ。
シモン、いいなあ。
ライトが当たっていなくても演技している。
それは当たり前だけど、
ライトが当たってても素のユダを見た後だと
ありがたく思える。
いや、演技というよりも、
「狂信者」のエネルギーを放出続けているというのか。
「とこしえの ええこう」も
魂の底から、すべてを振り絞って歌っている。
いっそ本城さんのユダでも良かったんじゃないかなあ。
「呪わせてください ローマを」もあげていた。
晩餐で、ペテロじゃない隣にパンをわけていた。
「このうちの一人は」で「お前だろーー」と
何人か指差し喧嘩を売っていた。
そのわりには、
ペテロが名指しされて起こって立ち上がったとき
「落ち着けよ」と「お前じゃないよな」が混じったように
ペテロを押さえていたわ。

それで思い出した。
▼のユダの手の振り上げは皆さんと一緒だった。
そして、「マホメットは 山を ほんとぉに」の「ぉ」も普通だった。
スンラさん仕様ってたくさんあるのね。

シモーヌは全開だった。
田島さん、和泉モトヤに似ているは目元かも。


えっと。
あっと、思ったのは。
あっきーって、ユダとはとか
そんな演技プランを練るより先に
グラムロック漬けになる方が先決では無かろうか。
今どきな歌い方なんだよね。
70年代ロックをもう少しかんじさせて欲しいかな。
「スーパースター」はロックというより
ヤンキーだった。

たぶん、あっきーのような
あっさり系のユダを好きな人もいると思う。
もうちょっとね。頑張ってね。


いつかこれがお宝になりますように!


【追記】
ヅカ的たとえで言うと、
「あさことキリヤンがWのところに
 マチオが加わった」
です。
あっきーユダ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジゼル」「ニジンスキー・プロ」マラーホフ降板

2007年08月25日 | バレエ・ダンス
膝の手術のため、マラーホフは9月公演を全部降板。
(ただし、プレミア・レッスンは予定通り)
代役は以下の通り。

「ジゼル」
アルブレヒト:フリーデマン・フォーゲル

「ニジンスキー・プロ」
薔薇の精:マチアス・エイマン
ペトルーシュカ:ローラン・イレール
レ・シル:フリーデマン・フォーゲル
牧神の午後:シャルル・ジュド

NBSのコネ、総動員。
ってか、
ジュドが
NBS公演復帰

NBSも背に腹はかえられないんだろうなあ。

私は祭典会員なので、本日届いたNBSからの封書で
上記のことを知りました。
HPにも出てますね。
  『ジゼル』<ニジンスキー・プロ>マラーホフ降板、出演者変更のお知らせ(NBS) 
祭典会員券については払い戻し不可でした。
追加券は払い戻し可。
私は、まあ、東バ好きだし。
キャスト違いで4公演(ジゼル2、AB各1)取ったので
払い戻しも取り直しもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする