あっきーが嫌いなわけじゃないんだけどね。
やっぱスンラさんの方が好きだわ。
いいのよ、もう。
中年でも。
小汚いヒゲでも。
お腹ぽっこりでも。
常に痰が絡んでいるような歌声でも。
「最後の晩餐」でジーザスにしがみついたあと。
ジーザスは、ユダの肩の辺りをしっかり掴んで
引き離す直前、背に手をまわして、
ギュッと抱きしめていました。
先週はそっと、だったけど、今日は強く。
思うに。ですね。
「最後の晩餐」の後、
ジーザスは苦い杯を飲み干す決心をしたんであって。
晩餐の時は、まだ迷いがある。
だから、
「思い出す そんなことを求めているとは」と激しくなって。
そこがまだ迷いのある人間の部分。
でね。
ユダから受ける傷はね、
ジーザスが「人間」として受ける、最後の傷。
ユダがジーザスから受ける傷は
「ただの男」から受ける、最後の傷。
あそこの場面は、
「同じ人間同士」が交わる最後の場面なんだよな、と。
半身が別れる瞬間というのかなあ。
ジーザスの「人間の部分」を
ユダが引き取って地獄に堕ちたからこそ
ジーザスは神の子になれたのかも。
なんてことを、妄想しながら見ていました。
やっぱ、ユダは、
見ていて、切なくて、苦しくならなければ
ダメだな。
ワタシ的には。
「ジーザス」という言葉に
魂の全てを乗せてくれなきゃイヤン。
「晩餐」では、ユダは泣いていたよ。
それを見て、私も泣いたよ。
そこから「スーパースター」に繋がらなきゃね。
あっきーは、部外者になっちゃったから。
そうじゃないのよ。
まだ、ユダとジーザスは繋がっているのよ!
さすがにゴロゴロはゆっくりだった。
あっきーと比べちゃうと。
しかも目測を誤ったようで、
必死に「×」に移動しようとするスンラさんだったよ。
鞭打たれて倒れた神。
顔に一房、髪がかかってしまった。
息を吐き出すたびに、ぶほっ!と髪が舞う。
3呼吸目に入る前に、顔を横に向けて乗り切られました。
シモーヌは全開。
田島ピラトの死刑宣告が掠れ気味で声が出きらないのは
「小心者」を表しているのだと思うことにしました。
阿川さんの高音は裏返らなかったと思う。
アンサンブルがうるさいぐらいになってきた。
これぐらいでちょうどいい。
マリアが、生臭いところがどうかと思っていたけど
最後の場面で、「生き残る」強さというか
生命力を感じた。
生きて、生き続けて、伝えなければいけない。
それが残った者の務め。
そういう強さを感じた。
これはこれでいいのかも。
十字架の歩み寄るマリアは
映画版WSSのラストの、歩み去るマリアに似ている。
あの場面自体、聖母マリアをイメージしているそうだけど。
十字架の片方の影の延長線上にマリアがいて
もう片方の延長線上にシモン、ペテロなどがいる。
彼らは殉教したジーザスと繋がっているんだな。
あ、あと武智さんが、市場で全部売り来ちゃってた。
完売御礼。
なのに売り上げを取り上げられそうになって
掴み合いのケンカになって、必死に財布を守ったけど
突き飛ばされて後ろに倒れ込んでいたよ。
珍しく大きな動きだったわ。
カーテンコール。
▼のスンラさんの腕の振りは
やっぱり皆さんとは逆だった。
途中でシモーヌとなんか言ってたのは
シモーヌがバランスを崩しかけて
スンラさんに縋ったのかな。
さ、あと一回だ!
プチネタ。
「王様はシーザー」の語源。

右側(上手側)の人ね。
やっぱスンラさんの方が好きだわ。
いいのよ、もう。
中年でも。
小汚いヒゲでも。
お腹ぽっこりでも。
常に痰が絡んでいるような歌声でも。
「最後の晩餐」でジーザスにしがみついたあと。
ジーザスは、ユダの肩の辺りをしっかり掴んで
引き離す直前、背に手をまわして、
ギュッと抱きしめていました。
先週はそっと、だったけど、今日は強く。
思うに。ですね。
「最後の晩餐」の後、
ジーザスは苦い杯を飲み干す決心をしたんであって。
晩餐の時は、まだ迷いがある。
だから、
「思い出す そんなことを求めているとは」と激しくなって。
そこがまだ迷いのある人間の部分。
でね。
ユダから受ける傷はね、
ジーザスが「人間」として受ける、最後の傷。
ユダがジーザスから受ける傷は
「ただの男」から受ける、最後の傷。
あそこの場面は、
「同じ人間同士」が交わる最後の場面なんだよな、と。
半身が別れる瞬間というのかなあ。
ジーザスの「人間の部分」を
ユダが引き取って地獄に堕ちたからこそ
ジーザスは神の子になれたのかも。
なんてことを、妄想しながら見ていました。
やっぱ、ユダは、
見ていて、切なくて、苦しくならなければ
ダメだな。
ワタシ的には。
「ジーザス」という言葉に
魂の全てを乗せてくれなきゃイヤン。
「晩餐」では、ユダは泣いていたよ。
それを見て、私も泣いたよ。
そこから「スーパースター」に繋がらなきゃね。
あっきーは、部外者になっちゃったから。
そうじゃないのよ。
まだ、ユダとジーザスは繋がっているのよ!
さすがにゴロゴロはゆっくりだった。
あっきーと比べちゃうと。
しかも目測を誤ったようで、
必死に「×」に移動しようとするスンラさんだったよ。
鞭打たれて倒れた神。
顔に一房、髪がかかってしまった。
息を吐き出すたびに、ぶほっ!と髪が舞う。
3呼吸目に入る前に、顔を横に向けて乗り切られました。
シモーヌは全開。
田島ピラトの死刑宣告が掠れ気味で声が出きらないのは
「小心者」を表しているのだと思うことにしました。
阿川さんの高音は裏返らなかったと思う。
アンサンブルがうるさいぐらいになってきた。
これぐらいでちょうどいい。
マリアが、生臭いところがどうかと思っていたけど
最後の場面で、「生き残る」強さというか
生命力を感じた。
生きて、生き続けて、伝えなければいけない。
それが残った者の務め。
そういう強さを感じた。
これはこれでいいのかも。
十字架の歩み寄るマリアは
映画版WSSのラストの、歩み去るマリアに似ている。
あの場面自体、聖母マリアをイメージしているそうだけど。
十字架の片方の影の延長線上にマリアがいて
もう片方の延長線上にシモン、ペテロなどがいる。
彼らは殉教したジーザスと繋がっているんだな。
あ、あと武智さんが、市場で全部売り来ちゃってた。
完売御礼。
なのに売り上げを取り上げられそうになって
掴み合いのケンカになって、必死に財布を守ったけど
突き飛ばされて後ろに倒れ込んでいたよ。
珍しく大きな動きだったわ。
カーテンコール。
▼のスンラさんの腕の振りは
やっぱり皆さんとは逆だった。
途中でシモーヌとなんか言ってたのは
シモーヌがバランスを崩しかけて
スンラさんに縋ったのかな。
さ、あと一回だ!
プチネタ。
「王様はシーザー」の語源。

右側(上手側)の人ね。