きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト・スーパースター」ジャポネ版

2004年08月20日 | 劇団四季
 この前のエルサレム版がとても良かったので、「ジャポネスク版も見てみたいものだ」と思っていたら、運良く友人からチケットを譲っていただけたので行ってきました。第一の印象はですね。刺されるかもしれませんが浅利さんより植田紳爾氏の方が演出の才能があるかも。宝塚の演出の先生達は、サクサクッと「宝塚版」を作っちゃうじゃないですか。それに比べると、ジャポネスク版は「・・・」だなあ。エルサレム版は初演から30年たった現在に見ても「熱かった」。ウェーバーが、ロック・オペラという形式を作ったのが、なぜだかわかった。初演時の頃は、まだロック(という音楽形式)に力があった。破壊力があったのだわね。だからキリストの叫びが響いてきたような気がしたの。でも、ジャポネスク版で、曲は、ただの「ミュージカル・ナンバー」になっていました。つい先日、同じ劇団四季で、あれほどの迫力があった曲が、耳に優しい曲になっちゃっていたのです。これは演者より、やはり演出の問題なのかと。やっぱねえ。キリストの物語は(←キリスト教ではないよ)、日本には合わない。白塗り、江戸時代をイメージしたんじゃないかと思われる舞台は、あまりにもウェットなのよ。キリストの物語はね、やっぱ砂。砂埃が感じられるべきであると思う。そこまでしてジャポネスクにしたいんなら、なにか別のアプローチが必要だと思う。特にKISSなんかが出てもう20年くらいたっているんだから、「白塗り+ロック」は別に斬新でもなんでもない。それを現在やるんであれば、なにかしらの「売り」を作るべきじゃないのかなあ。でも、なし。白塗りとか、衣装とか、音楽にちょっと和楽器を入れてみたりとか、素人でも考えられる範囲しか、モトと変わるところがないのだわ。なので、必然的に、モトに比べるとパワーダウンしちゃっているなあ、と。これを、四季ならでは、には、ならないのかなあ。タモの「夜明けの序曲」の「いまさら」感を思い出すのであった。
 あと、本日のマリアの金さんがイマイチ好みじゃなかったわ。佐渡さんのマリアは、マグダレンと同時に聖母でもあった。だから、愛が、男女の愛だけではなく、親子の無償の愛も感じられたんだけど、金さんは、ひたすら「女」だったなあ。歌い方も、自分の歌声に酔う系。ユダも芝さんの方が好きでした。あ、でも見られて良かったですよ。見ずに終わる方が悔しいもんね。
コメント
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