彼がフィギュアスケートに芸術的要素を盛り込み、
それは現在の競技にも引き継がれ、
いまのアイスショーの原型にもなった。
常人とは違う次元にいる人は孤独なんだな。
彼が希望どおりにバレエの道に進んでいたら
フィギュアスケートはスポーツのままだったのかな。
長野五輪の男子フリーを観戦したけど、
滑走グループの途中までは正確なステップや
ジャンプの高さ(のみ)を競う「スポーツ」だった。
それが後半のグループから突然芸術的になり、
「この要素がないとメダルは争えないんだ」と、
目に見えてわかった。
これの源が彼だったんだろうな。
男性が踊ること、同性愛者であることなど、
オープンになりかけていた時代だからこその辛さもあっただろうな。
日本の対応は申し訳ありませんでした。
バブルの初期ぐらいだから、
金にあかせてやりたい放題だったんだろうなあ。
NYCBのピーター・マーティンスやトワイラ・サープが
いちはやく彼に作品を提供していたのね。
その辺も、なるほどな、と。
あと、一瞬だったし、
私の記憶力もアレ過ぎなので
全く間違っている可能性大なんですが、
幼少の彼が「バレエを習いたい」
と言う場面で映った白黒映像の
たぶん「ジゼル」の男性ダンサーはダウエルかな。
「男がバレエ w」って偏見が逃した才能は
カリー以外にもたくさんあったんだろうなあ。