私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

何が何だか分からない朝日の社説

2004年03月12日 21時39分58秒 | 偏向マスコミ
  今日3月12日の朝日新聞の社説の一つは「北朝鮮制裁――カードを競うのでなく」であったが、何を言わんとしているのかまったく意味が分からない。社説欄を空ける訳にはいかないで慌てて書いたものかどうか知らないが、書いた後に良く読んで掲載してもらいたいものである。

 見出しからすると、北朝鮮に対する経済制裁というカードを切ることは慎重にと牽制してしている訳であろうが、ではどうしたら良いのかについては曖昧なのである。朝日は「拉致被害者の家族の帰国にめどは立たず、他の拉致被害の解明も進まない。核開発が進んでいる恐れもある。そんな相手には、圧力となる『外交カード』が必要だ。しかも、たくさんあるに越したことはない。」「…国際的な人権感覚も通じない。金独裁体制の維持がすべてに優先するゆがんだ国家である。」として「そんな相手を交渉に引き出し、譲歩させなければならない。一定の制裁を発動できる用意をしておくことは意味のあることだし、外為法改正が日本の強い意思を伝えるうえで効果があったことも間違いない。」と経済制裁を可能とする外交カードを持つことには反対していないのであるが、その後の社説を読んで行くと、「制裁という『カード』の使い方が問題だ。もし間違えれば、北朝鮮が態度を硬化させ、問題の解決が逆に遠のく恐れもある。」として、経済制裁に慎重さを求めるようになるのである。

 そして、「国会を見ていて気になるのは、制裁の必要は声高に主張するが、日朝協議や6者協議を生かして北朝鮮にどう譲歩させるかをめぐる議論が乏しいことだ。」と北朝鮮をどう譲歩させるかを一つの方法として経済制裁法案について議論しているのに「議論が乏しい」とは意味が分からない。さらに朝日は与党ばかりでなく民主党の議員からも制裁論が出ていることに小泉総理が制裁に慎重な姿勢を示したことを評価しているのであるが、制裁の空気に煽られては困るとして、社説の最後は「対話と圧力をいかに使い分けるか。6者協議での日米韓中ロの結束を強めるために日本は何をすべきか。国会で論じるべきことはまだまだある。そうした論議を積み重ねてこそ、政治は拉致と核の早期解決を願う国民の期待に応えることになる。」と結んでいる。

 ならば朝日は、制裁という『カード』を持つことまでは許すが、それを発動することには慎重さを求め、日米韓中ロの結束を強め、拉致と核の早期解決のために日本は別の方法を国会で論じろとの主張であろうか。これでは、その国会で論じるべき日本は何をすべきの何とは何だか分からない。拉致問題解決のために制裁という『カード』を持ち、何時でも発動することが出来る体制をとっておくことが北朝鮮を譲歩させる一つの方法ではないであろうか。そのことを曖昧にして、北朝鮮が態度を硬化させ、問題の解決が逆に遠のく恐れもあるとして経済制裁に慎重になっていては意味がない。北朝鮮を譲歩させるために経済制裁に代わる方法でも提示して論議を求めるのではなく、その方法は国会で論じて拉致と核の早期解決をせよでは何が何だか分からない。ノーベル賞作家の大江健三郎もそうだが、朝日の社説は時々同じような常人には意味が分からない文を書くのである。
(2004/03/12) 

この記事は「今日のコラム」
「何が何だか分からない朝日の社説」
としてHPに掲載されていたものです。


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