私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

日本はテロに屈しない国ではないのか

2003年08月22日 22時27分05秒 | 政治
~平和維持には犠牲を覚悟する気概が必要である~  

 19日にイラクの首都バクダットで発生した国連事務所を狙った爆弾テロ事件は、デメロ国連事務総長特別代表ら24名が死亡するという、国連が狙われたものでは史上最大最悪のテロ事件となった。

 しかし、これで国際社会がテロリストの脅かしに屈して、イラクから手を引くようになればテロ組織のおもうつぼであり、アナン国連事務総長は「脅しには屈しない。われわれは重要な仕事を続ける」と語り、イラクでの国連活動の継続を表明しており、もっとも大きな犠牲者を出している米国、また今回の爆弾テロで、戦後初めて海軍の大佐が死亡したスペインでさえ、アスナール首相は「世界はテロに対して断固たる立場をとるべきだ」と、イラク駐留を継続する考えを示しているという。

 イラクには現在、米国以外で派兵しているのは、イギリス、スペインなど27ヶ国(計21.700人)とのことで、フィリピンなど4ヶ国は派兵を確約しており、さらには派兵を検討中の国は14ヶ国にのぼるということである。日本は自衛隊の派遣を可能とするイラク復興支援特別措置法の成立したことにより、派兵を確約した国を含む派遣国の仲間になっていたが、イラク国内の治安が安定していないことから派遣時期も決まらず、また調査団の派遣もされていないことから、米国は派遣国の仲間より外して、派遣検討国に格下げしたとのことである。

 国際社会から、「日本は自衛隊の派遣を確約していたのに今回の爆弾テロで、腰が引けたのか」「日本はテロに屈しない国であると表明していたのに、口からでまかせに言っていたのか」「そんなことで北朝鮮というテロ国家と対決できるのか」などとの声が聞こえて来そうである。

 今こそ日本の気概が問われる時はないだろう。日本はテロに屈しない国であり、国際社会とともにテロリストに対して毅然とした姿勢をとるならば、「治安が悪化しているから、まだ行かれない」と言って自衛隊の派遣を確約しておきながら、ずるずると派遣を引き延ばし、多くの派遣国の犠牲により治安が確保された後に、のこのこ行ったとしても国際社会は日本の姿勢を批判はするが評価はしないであろう。

 これでは、大きな火災があり、隣接市町村の応援を求め消化活動をしているある町に、隣接の大きな市が、消防隊員を派遣出来る能力があるのにも関わらず「だいぶ大きな火災だから危ないから様子を見よう」と火災は発生している町の応援要請にのらりくらりと派遣決定の返事をためらい、火災が消えた後に「皆さん遅くなりました」と言って応援に駆けつけるようなものである。

 このままイラク国内の治安悪化を理由に、自衛隊の派遣を決断せず、「検討中です。さらに検討中です」ばかり言って、結局は派遣をしなかったと言うことになりはしないかと危惧している。パウエル米国務長官は、治安維持強化などを目的とした多国籍軍派遣などに関して、安全保障理事会の新決議案採択を各国に働き掛けていく意向を表明しているというが、もし安保理で新決議が採択されたとしても日本が自衛隊の派遣決定の結論をさらに先送りして、はたして日本には平和維持には犠牲を覚悟する気概があるのであろうかと言われることは間違いないだろう。

 すでに国内では野党やマスコミを中心に「自衛隊のイラク派遣反対」の声は出ているが、それはイラク特措法が成立する前から言っていることだから驚くことではないが、自衛隊をイラクに派遣しないことはテロに屈したことであり、これでは北朝鮮の拉致というテロを追及する資格もないと言って良いだろう。

 政府はイラクへ自衛隊の派遣決定を早期に表明すべきであり、同盟国である米国が苦しみ、また国連の権威に対する重大な挑戦というべき今回の爆弾テロを受け、日本として今何もせず様子を見ているだけとはいかないであろう。自衛隊がイラクに派遣されれば、犠牲者が絶対に出ないとの保証はないが、だからこそ危険な任務を遂行しようとする自衛隊員が名誉と誇りを持てるように国民の敬意と支持が必要なのではないであろうか。日本が国際社会の一員として、またテロには絶対に屈しない意志を示す意味からも、自衛隊でなければ、この危険な任務を遂行することはできない。

 日本はイラク復興支援に協力する意志を示しながら、危険だからとして政府調査団の派遣のめども立たないとしているのでは、「日本は本当にイラク復興支援に協力する気があるのか.。口先だけではないか」と言われかねない。他国から「日本は安全になってからでないとやって来ないずるい国だ」との屈辱的なことは、1990年の湾岸危機の時に十分味わっているのに、また同じ過ちを繰り返し、教訓を学んでいないとは何と情けない国であろうか。
(2003/08/22)        

この記事は「私の主張」第181号
  日本はテロに屈しない国ではないのか
~平和維持には犠牲を覚悟する気概が必要である~
としてHPに掲載されていたものです。


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