きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレムバージョン 2011」(2回目)

2011年05月07日 | 劇団四季
本当はエルサ千秋楽だったけど
アンコール上演が決まったので
あえてタイトルには入れませんでした。
アンコールに行っちゃうかもしれないし。
スーパースターのユダ(とその衣装)が好きだから。

前回は2階A席、今回は1階10列。
オペラグラスが無くても表情がわかる席だと
それなりに、キヨジーが繊細に表現している部分もあるとわかる。

出だしの、のっしのっしと歩む姿は
やっぱり「お上人さま」ってカンジだけど
それ以降は、それなりに。
晩餐の冒頭は、ユダを見てはいないんだね。
一人で哀しみを堪えているかんじ。

ここに限らず、
キヨジーは、
これから来る、苦難、苦痛を
すべてわかっている。
それに耐えるために、
気持ちを作っているかんじかなあ。
「辛いことだけど・・・」だね、まさしく。
「あなたのためだ」と言うユダの手を強く握って、
「思った通りに・・・」と言うところは
ジンと来るね。
わかっているけど、辛いけど、
それでも、彼なりにユダを気遣っている。

そうだね。
そういう意味では。
やなジーの時のスンラユダは
ジーザスの気持ちがわかっていた。
キヨユダは、わかっていると思っていたけど
実はそうではなかった。
と、それぞれ違うけど
ジーザスの心と、がっつり絡んでいた。
キヨジーは、「私の心を知ってはいない」の通り
誰も彼のことなどわかっていなくて
それゆえの孤独感がある。
金田さんだと孤高、だけど、
キヨジーは、ひたすら孤独。

スンラユダは、キヨジーが「孤独なのがわかった」
ってところかな。
彼だけはわかった。
やなジーの時にように、
「分かち合う」ものはないけど。

前回よりは、キヨミチなりのジーザスが見えたので
ジャポも楽しみにします。
アンコール上演、は、どうしようかなあ。

スンラユダは、ジーザスと民衆、
その輪からはずれて、冷静に見ている傍観者。
でも、時々、ジーザスにかかわらずにはいられなくなる、と。

スンラさんは元気。
最初の頃のカーテンコールは
魂がすっかり抜けてたのにねえ。
役に入り込むのも好きだけど、
こういうふうに、
力をコントロールしている姿もプロらしくて好きだな。

シモーヌはフルスロットル。
兵士をペシペシするのって、
前からあった??

高木マリア、「私はわからない」の
歌い終わった後の、
暗転に入る直前の笑顔が
なんともいえず、良い。
まさにアガペー。

カーテンコールはたくさん。
最期は、キヨジーが坂の頂上に登り
客席向いて、えーと、こぶしを振り上げたかな。
神〆。


まー。
やっぱりー。
キヨミチもスンラさんも好きだわ。


そういえば、キヨジー、
「ホサナ」で歌詞を間違えていました。

○ たとえ黙らせてもこの世は
× たとえ騙されてもこの世は

キヨジーだと後者でも自然に感じる不思議。
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