きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスクバージョン 2012」(1回目)

2012年11月27日 | 劇団四季
稽古写真に芝ユダがいたんで突発しちゃいました。
芝ユダはたぶん08年11月11日の横須賀以来。


体調不良でエルサのジーザスを降板したキヨミチは
まだ本調子じゃないのかな。
高音域が出ない。殆どファルセット。
それ以外は出なくて嗄れる。
しかし!それを差し引いても良かった!
彼のこの歌声は、これらの曲のためにある。
「女よなぜ…」あたりの音域は良く深く響く。
「天国を夢見過ぎたのだぁああ」のアレンジはスンラさんと同じ。

芝ユダは冷静な男が壊れていく系。
あんなに理性的だったのに。
ジャポの演出の方が孤独感が増すね。
スンラユダはジーザスと共に死ぬ運命で、
キヨユダはジーザスと離れたから死ぬ。
そんなかんじ?
ユダが強いのに壊れるから、
弱いジーザスの強さも際立つ。

ジーザスの弱い面をちゃんと見ていて
だからこそ守りたいと思っていたのに
いつのまにか逆転するんだわ。

あ、今回はモジャってません!
髭も無いです!


神永ジーザスはエルサより断然いい!
役に魂が入ってきた。
普通の青年なのは同じだけど、
死ぬのが怖い人間が死を受け入れるのがキモなんだよ!
と思わせる。
いいだろう死のう、で全てを振り切った激情と強さに涙。
金田、芝より、私はこのジーザスの方が好きだな。
傷だらけの哀れな獣に見えるし。
表情もエルサの時より、白塗りの今回の方がわかりやすい。
無表情に見える化粧の中に
さまざまな感情が揺らいでいるのがよくわかる。
目線の方向もハッキリ見える。
「ここは祈りの場だー!」の前、
舞台袖から出てきたときから
すでに演技が始まっていた。
当たり前に思えるけど
エルサの段取りっぽい動きから考えると
短い時間でここまで作り込めたことに驚嘆する。

袂を分かつ二人ではあるけど、気持ちは確かに通じている、
と思える最後の晩餐だった。
この組み合わせ、合ってると思う。


ただマリアがねー。
エビータより声が出てないよ。
野村さんだけマイクのボリュームを上げているんじゃ?
と思う響きだった。
ハモらなきゃならないペテロが気の毒。

野村さんの歌は、ほんとヒドい。
この歌に、どうして金を払った客が
付き合わされなくてはならんのか。
彼女が歌うたびに肩に力が入って現実に戻されるんで、
マリアとしての演技なんて目に入らない気が付かないよ。
スゴツヨのカノチカの方が10倍はマシ。
ただ、「マリア」が不在だったため、
ジーザスとユダの関係性が
よりクローズアップされて見えたかも。
野村マリアの利点かも。
それは間違いな気もしますけど、気のせい?
野村さん対応で芝ユダなんだろうから、
ありがたく思わないとな。南無南無。

逆に、というんですか。
四季初心者に野村マリアを見て欲しいね。
「日本最高峰の劇団」と自分で言い、
他を見下しているカンパニーの主演女優がこの人です。って。
どう思われるだろうね。


シモーヌのジャポヘロデって扇を使っていたっけ?


妄想。
やなジーは神の子と人間の部分ふたつを備えていて
群集には見えない人間の部分をユダだけが見ていた。
芝ユダは冷静に。
スンラユダは目に入ってしまった。
神永ジーは右肩上がりに人から神になり
芝ユダは右肩下がりに壊れていき、
交錯するのが最後の晩餐。
エルサのときは、まだそこまで作り込まれていなかった。
今回はバッチリ。

なんのかんの言ってるけどー!
「思ったとおりにここを出て行けばいい」で、
神永ジーザスが芝ユダの顔を覗きこむように
顔近づけてしっかり目を見つつ
手をギュッと握るのがツボなんだよー!
この時のユダの思いを受けてジーザスは超越し、
思いを渡したユダが完全に壊れたと思うのは私の暴走です、はい。


まあ、なんだ。壊れた芝ユダを見て、私も壊れたということだ。
うむ。


【主な配役】
ジーザス・クライスト:神永東吾
イスカリオテのユダ:芝清道
マグダラのマリア:野村玲子
カヤパ(大司教):金本和起
アンナス(カヤパの義父):吉賀陶馬ワイス
司祭1:佐藤圭一
司祭2:清水大星
司祭3:真田司
シモン(使徒):本城裕二
ペテロ(使徒):玉真義雄
ピラト(ローマの総督):村俊英
ヘロデ王:下村尊則
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