きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

2019年「ジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレム・バージョン)」@名古屋

2019年07月06日 | 劇団四季
マチソワしました。

●マチネ●
JCSあるある。
初めての劇場ではまず自殺穴の位置を確認する。

佐久間ユダは、スターさんが好きすぎて
突っ走ってFC幹部にまでなったのに、
気がついたらスターさん引退に伴う
FC解散式の仕切りをしているようだった。
ずっと見続けていたかったのに、なぜ自分がこんな役割を。
そりゃ笑っちゃうわなー。
というのはともかく。

いろんな意味で、片腕ではなく、「13番目」のユダだった。
一人だけジーザスと対等というわけではない。
その他大勢の中の一人なのに自分だけは、と、
夢を見ているエゴの塊。
それに加えて若者らしい潔癖さがあるから、
拗らせまくっている。

以前のおじさんユダ達のような強固な信念がないから
それが崩れたときの狂気もない。
ずっと迷っていて、「去れ」が最後の一撃になったんだろうな。
この弱さは見ている私たちと地続きにも思えるので、
こういうユダもありだと思うよ。
ジーザスの孤独感もマシマシになるし。

ただ、佐久間さんはまだ歌が弱いかなあ。
音程とか音量ではなく、パワーとかパンチが足りない。
あと、「今宵」の終わりが「去る」ではなく、「捌ける」になるように、
役として舞台にいる部分が少し薄い。
真ん中芝居の持続力がもうちょい欲しいかな。

神永ジーザスは、前半は孤高の指導者で、
後半は普通の人間が入り混じる。
捕らえられたときの、うなだれる姿が痛々しい。
それなのに気力を振り絞ってペテロに「魚を漁れ」を言う。
うーん、辛い。

ユダの口づけが無かったような、、、。

シモンはますますパワフルに!
ニッチな例えだけど春麗のハマコレベル。
山田ピラトは夢の意味はわからず公正に裁こうとしつつ、
終盤に徐々になにかを感じているような。
司祭組は相変わらず美声。聞き惚れる。
阿久津さんはもっともっと振り切って欲しいなあ。無理かなあ。

専用劇場だとセットも作り込めていいね。
全ツの自殺穴は小さめで吸い込まれるユダは
なるべく身体を畳んでいたなあ。

セミナーの記憶によれば、ホサナは
どちらの腕が先かは決まっていないので、
好きに動かしていいそうです。
だんだん民衆の希望が強く攻撃的になっていくので、
そういう気持ちで、と。

スーパースターでユダは吹っ切れたように、嘲笑うかのように、
晴れやかなんだけど、
背を向けているときはどんな表情なんだろうか、と思う。
ああ見えて、ジーザスからは解放されてはいないんじゃないか。
天国には行けそうにない。

芝ユダ、金森ユダは「あなたが好き」一直線で、
それゆえ捻くれ執着と執念が発生。
佐久間ユダは「俺が好きな、あなた」で理想を押し付けている。
かな?

あなたは俺が好きなはず

ではなく、

あなたは私が思うような人のはず

です。
念のため。

2階はマイクの音量バランスが悪かった。
1階はどうかな。では、ソワレ!


●メモ●
市場のうさぎ。
マチネは2回、ソワレは1回強奪。

マチネを見た友人から。
「すごく面白かった!
 また上演されるならぜひ見たい、
 サクサク話が進んで無駄がない、
 たしかに基礎知識が必要だけど
 自分でもじゅうぶんわかる、
 キリストの苦悩が伝わってくる、
 ユダの言うこともわかる、
 エビータも誘って!」
でした。
大成功!
まあ、趣味が似ている友人だしね。


●ソワレ●
マチネは2階後方だったけど
ソワレは1階後方のせいか熱さが違った。
1階を選んで正解だった。
ジーザスの困った顔もよく見えた。
「剣を捨てろ」の強い言い方が苦しい。
諭すのではないので、
ペテロ達は捨てられたと思っただろうな。

スーパースターのユダの笑顔は爽快だった。
だから言っただろう、俺が思ったとおりだっただろう、と。
でもだからといって、ジーザスから離れず問いかけ続ける。
ああやってずっと語りかけるのかな。
振り返ってくれるまで。
地獄で。
そんな日は来ないのに。
なんとなく、かみさくの位置関係が掴めたかな。

「今宵」でユダはジーザスに手を差し伸べるのに、
ジーザスは振り返らない。
声は聞こえていて、背中では受け止めているけど、振り返らない。
かみしばの微妙なすれ違いもいいけど、
相手を思いつつも交わらないのもなかなかよろしい。

口づけがあっさりなのが、と思うけど、
ねっとりはあの二人では違うのかも?
あれだけガバッと抱きつけば、
彼がジーザスなのはカヤパ達にはわかるだろうし。
「俺はあなたをいま裏切る」「わかっている」が見えるから、
あれだけでもいいかな。

あと一言、言ってあげれば、とも思うけど、
ジーザスにだってそんな余裕はないし、
ユダが裏切るのはすでに神プログラムで決まっているから
なにを言っても慰めにはならないのはわかっているし、
仕方がないのかー。
そこで手厚く扱えないのが人間ってやつだーね。

ジーザスと使徒たちなどは掴めるんだけど、
山本さんのマリアがいまいち掴めなかったなあ。
憩い、というのも違うような?
ジーザスが孤独すぎてマリアの役割が発動しない?

専用劇場で下が深いから、
「血を見ていけ」でユダは下に下がるのね。
ツアーでは袖に捌けて、
司祭の視線で距離がわかるのに。

司祭で思い出した。
逮捕令状その後は司祭が受け取って
静かにひっそりクルクル巻いてから撤収なのね。

友人は飯田在住で、
わりと近くの駒ヶ根には四季のツアーがよく来るけど
JCSは初めてだそうで。
駒ヶ根にプラス30分で名古屋だし、
名古屋は専用劇場だし、
これからは名古屋観劇も考えるって。
とりあえずエビータの日程擦り合わせね。

かみさくだと、おじさんたちのユダほど
ジーザスとユダが対とか1組とかの雰囲気が薄い分、
「使徒の裏切りで神の子が誕生する」の役割に
ユダが選ばれたのが無作為っぽくて、
神プログラムの非情さがさらに際立つ感じがする。
あー、なんかツボがぁ。

佐久間ユダはスーパースターで晴れやかな笑顔なのに
ジーザスにこだわっているのが闇でエモい。
地獄に落ちる恨みならともかく、
そうでなければ忘れてもいいのに、
ジーザスに視線を向けたままなんだな。
田中ユダは爽やかにポップスを歌ってただけだったなあ。

五十嵐さんは「捕らえられる」の恐怖からの否認がクリアだったな。
マリアへ向かう足取りもしっかりペテロだった。

もう一つ思い出した。
皆さんとは解釈違いかもしれませんが、
今回はジーザス → ユダは「使徒の一人」で、
ユダ → ジーザスは「彼にとっての一番は俺」で、
そのすれ違いぶりが楽しい!
失礼、ドラマティックだと思います。
佐久間ユダの一方通行がねー、いいんだようっ!

金田ジーザスは
「これから大変なのに外野のこえなんか聞いてられるかよ!」
の怒り含みで、
芝ジーザスは外野の声を気にかけるステージは過ぎて解脱済み。
神永ジーザスは皆の気持ちはよくわかって全て受け止めて、
それでも敢えて苦い盃を飲む。
その苦しみがたまらんです。

うーんと、、、

ちょっとマニアックな例えだけど。

寿退団するジェンヌと、
「あなたを応援していたので婚期を逃しました」と言うファンのような?
(ごめんなさい)
コメント
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