きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「黄昏」

2010年11月21日 | 宝塚・劇団四季以外の舞台(落語含む)
ノーマンとエセル。
老夫婦は毎年訪れる湖畔の避暑地にやってきた。
娘のチェルシーが数年ぶりに訪れる。
結婚相手のビリーと、その息子ビリー・ジュニアと共に。
夏の休暇中、チェルシーとビリーが二人きりで過ごせるように
ビリー・ジュニアを預かることにした老夫婦。


私はノーマン達の年齢ではなく、
チェルシーの方に近いので
こちらの親子関係の方が心に残りました。
ノーマンは、気むずかしく、高圧的でもあり
人を小馬鹿にするような物言いをする。
それは、妻なら許容できるし、
ちょっと距離がある関係なら「そういう人」で、
受け入れることができる。(ビリー親子のように)
でも実の娘だと、辛い。
父に誉めてもらいたい、
父に認められたい、
でも、父からは、思ったような愛情を得られない。
大人になって、父が「そういう人」だとわかっても
それは事実の認識であって、
子供時代の傷が塞げるものではない。
父親は、とくに娘が嫌いだったわけではないだろうし、
(近い将来孫になる)子供に、
本を読ませようとする、そのセレクトが
ロビンソン漂流記だというあたり
子供の教育方法の基本方針は決して間違っていないと思うんだ。
でも、素直に愛情を示すことができなかった。
可愛いと思えば、それをちゃんと伝えなきゃね。
チェルシーは長い間苦しんできて、
新しい家族がそれを癒していくとしても
決して消えることはないんだろうなあ。

そうやって。
意識せずに、人はどれだけ他人を傷つけていくのか。
謝る機会を持つことができなくても、
時間は過ぎていくだけで、あと戻りはできない。
それが人生なのかね。


でも、ノーマンには、エセルがいる。
彼のことを理解して愛してくれる妻がいる。
(チェルシーとの関係を見ると、
 ちゃんと娘のフォローはしていたと思う。
 でも、ノーマンの存在は圧倒的すぎたんだろうなあ)
「また来年」。
一緒にここへ来よう。
それができるかわからないけれど
最後の一瞬まで寄り添おうとする二人の強い意志に泣けた。
人生の黄昏。
終わりが近いその時期は、
なんて豊かに輝いていることか。


舞台は、避暑地の別荘(?)のリビング。
その中でだけ話が展開するのに、
広い湖が見えるようだった。


ノーマン役は津嘉山正種さん。
洋画の吹き替えなどで美声を聞く機会がたんさんありますが
舞台でのお姿も見たくて今回行ったのです。
さすがに声が美しい。
そして、ノーマンが、決して悪意があるわけではなく、
物言いに特徴があるものの、
それは深い知性に支えられている、
そういう複雑な人物を明瞭に演じていました。
やっぱり声もステキ
エセル役の岩倉高子さんが、実に上手くて。
可愛らしく愛情深い。
ノーマンのことを理解していて、
ノーマンにより傷ついた分、娘を深く愛する。
台詞の端々に、いろんな人に対しての
深い愛情を感じました。


この週末は上手い女優さん堪能。
幸せ。
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「北北西に進路をとれ」(午前十時の映画祭)

2010年11月21日 | 映画
ヒッチコック・サスペンスの集大成。
次から次へ降りかかる難関をくぐり抜ける主人公。
2時間強の作品ですが息つく暇もなく
サクサク話が進みます。

ま、なんだ。
金だ
現金が無ければ苦難からは逃げられない。
当時はいまほどATMが無い、ってのあるだろうけど
ATMはATMで(指名手配中は)近寄ると危険だし。
ソーンヒルって、いくら持ち歩いているんだろう。

高いところ苦手な私は
ラストは時々目をつぶっていました。
降りるしかない?
ありえなーーーい!
ダメだよ、降りちゃ。

ケイリー・グラントって、当時は
「女なら誰でもなびくハンサム」だったんだろうなあ。
だから、美人が自分に関心を持つことについて
まったく疑わなかったんだろうなあ。
私から見るとクマだけど。
今も「最高のハンサム」の括りなのかなあ。
エヴァ・マリー・セイントは今の基準でも美人

最初の「吼えるライオン」を見て
涙が出そうだった。
まさかねえ、、、破産申請とはねえ・・・・
ソーンヒルの鼻歌が「雨に唄えば」だったね。
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