きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ERNEST in Love」宝塚花組

2005年09月07日 | 宝塚(花組)
 7月に月組により梅コマで上演された作品の花組版。前回は前方上手端で出演者の表情を楽しみましたが、今回は2階最後列で全体を楽しんできました。「♪カップを片手に~」で、あんなにレインが踊ってたんだ~、とか。それとも、さおたさんだから踊らせていたのかなあ。
 どこが、とは明確には言えないんだけど、月組は古き英国で、花組はアメリカン。原作:英国、ミュージカル化:米国、と思うと、それなりに正しい姿なのかな?出演者、特に女性陣、じゃないや(笑)娘役さんの印象のせいか、月組より、ちょっと若い(あるいは幼い)印象でした。いずれにせよ、作品としては、やっぱり上質。ご都合主義だけど、ちゃんと伏線すべてが収まって、小粋で、台詞も良い。
 樹里ちゃんのアーネストは、とっても可愛かった!駄々こねたりとかが、すっごく可愛い!!歌は、低音がやや厳しいけど、それ以外はバッチグーーーです。もう、言うことないです。ああ、樹里ちゃ~ん!
 あすかちゃんも、思っていたより可愛かった。コメディもいけるね。樹里ちゃんとのデュエットも良かったよ。蘭とむは、オペラグラス無しでもOKな顔なので便利(?)だな~。樹里ちゃんとの掛け合いの息も合っていました。たださあ、蘭とむアルジャノンが弟って、それは違うだろう。
どう見ても兄だよな
一花ちゃんもロリロリで可愛い。あいあいも可愛かったけど、一花ちゃんは、まさに「小さな」セシリーだったね。タキさん、相変わらずうまい。「♪バッグは母親ではない~」が頭から離れません。チャジュブル&プリズムは・・・。月組が越リュウ&末子ちゃんだったので、ちょっと弾け方が足りないような。月組が弾けすぎ?
 盛大なカーテンコールでの樹里ちゃんの挨拶で。今日は蘭とむがキュウリサンドを食べるところ本気でむせて、樹里ちゃんが何か言っても「ちょっと待ってて」って仕草で遮って水を飲んだりしていたのですが。その時、樹里ちゃんの「アドリブが大阪弁になってしまったことが頭から離れない今日この頃です」と言っていて、大笑いでした。
 
 ちょっと信じがたいけど、私にとって、タカラジェンヌとしての樹里ちゃんは、今日で最後。なんか嘘みたいだな~。さびしいな~~。
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マジレン&ヒビキの映画、2回目

2005年09月07日 | 響鬼ネタを含む話
 1回観れば十分と思っていたのに、ヒカル先生のダンスに惹かれて行ってしまいました。前回は舞台挨拶の松田さん狙いだったので、上手で観ましたが、今回はヒカル先生狙いなので下手です。映画館で上手だの下手だのを考える日が来るとは思いませんでした。

 マジは、やっぱりうまくまとまっています。セオリーを踏みつつ各自の見せ場を作りつつ映画ならではの画面を作りつつ。青春純愛映画よねえ。ふふふ。ヒカル先生のダンスも堪能しました。ただ、今日はねえ、平日昼間だから当たり前なんだけど、初日・初回ほど人は入っていないし、小さなお友達ばっかりだったので、客席が大人しくて、ちょっぴり寂しい。渋谷初回なんて、熱いお兄ちゃんのアップからすでに笑いの嵐だったのにね。

 ヒビキはね。2回目になるとさらに疑問。

・守ってやっている「人間」から蔑まされる

と、

・鬼同士を戦わせて、鬼をこの世から消す
・そのために志願して魔化魎になる

が、なぜイコールになるのかわかりません。
人間が憎くて、人間を恨み、殺す。その果てに、「いつの間にか」魔化魎になる、のなら、わかるんですが。「日本国の大魔王となって、王もって土民となし、土民を持って王となす」って、彼の方のパターンなら、わかるんですよ。でも、鬼同士の戦い、ってステップは必要?信頼しているところを、寝首を掻けばいいじゃん。ねえ。そんなことを考えるな!って言われそうだけど、それが今回のネタなんだからさ。仕方がないわさ。
 んで、どーでもいいんだけどさ~~、細川さん、サービス・ショットが腕一本ってのがねえ、、、露出少なすぎ。明日夢くんも、胸を叩くときにだな、もっと、こう、襟元をグイッとつかんでだな・・・、、、なんて考えたりして。ヒビキ@砂風呂は、お子様にも笑われていました。
 ふと、「人ならざる者の苦悩」なら、イケコに任せればいいんじゃないか、と思ったりしてね。あ~~、でも、そうなると、響鬼が、「おいで、僕の赤ずきんちゃん・・・」とか言っちゃうのか。。。。。。なんて想像をした自分をバカだと思いました。ごめんなさい。
 
 
追記
羽撃鬼さんが横笛を吹くところ、ちょっと宗教画っぽいですよね。
天使というか、迦陵頻迦というか。

と、
羽撃鬼さんの漢字がわからなくて
yahoo映画をチラチラのぞいたら
「DC版に期待します」って書いてありまして。
え?
ドラマシティで
やるの?

と思った私は、やっぱりヅカ・ファン。
ディレクターズ・カット版のことよね、きっと。


さらに追記
ご当地ライダー達の変身シーン、
トルーパーの武装を思い出しました。
「武装天空」がなかなか出てこなくて
ヤキモキした思い出と共に。
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混じり合う煩悩

2005年09月07日 | 響鬼ネタを含む話
そんなわけで、本日は最後の夏期休暇です。
気になっていた映画を1000円で見てきました。
後味の悪い重たい映画だと聞いていたので、
このあとはヒカル先生のダンスを見に行くことにしています。
最終目標は樹里ちゃん@日生劇場。
本当は、ヴェラとヒカル先生の間に
もう1本見ようと思ったのですが
本日昼から某所で「マラーホフの贈り物」の
先行ネット販売がありましたので
こうして現在ネットカフェにいるわけです。
無事チケットが取れましたので、
今度の土日、万博会場に直行できます。
 
さて、最近友人へのメールは
語尾を「っす」にする戸田山語にして
楽しんでいます。
ヒビキ・ネタの時だけのつもりだったのに
今朝TVで「グランド・ホテル」の
製作発表をやっていたよ~、
って言うだけのメールも戸田山語になっちゃいました。

で、ですねえ。
なぜしつこく「戸田山」と書くかというとですね。
私にとって「トドロキ」は、やっぱ轟 悠さんなんですわ。
トド・××は、トド・グンとか、トド・ブンとか、
あくまでも轟さんと、その相手役ってイメージなんですわ。
だからトド・ザンではなく、弦師弟と書いてみたり。
しかもね。
 
ザンキさんってケロに似てるね~
   ↓
ケロに似ている~
   ↓
似ている・・・・・(スイッチ・オン
   ↓
ケロ~~

と、なって、
危うく「血と砂」のビデオを買いそうになった私です。
(当時の観劇記を読んで思いとどまれましたが)
「トドロキ」なんて連呼したら
「風と共に去りぬ」のDVD購入を
実行してしまうかもしれないじゃないですか!
(参考画像はコチラ
 バトラーよりスカーレットの方がオカマっぽいなんて言わないでね!)
まだ「LUNA」のDVDも、
星エリザのDVDも購入していないのに。
まだ買う時期じゃあ、ないんですよ。
なのに、なのに、ああ、こんなことを書いたら

♪月の光を~
  ほのかに浴び~


轟さんの歌声が聞こえてくる~~

♪君はマグノリアの花
  心 酔わす人よ

え~、でも、ザンキさんは、マグノリアの花じゃないっす。(ないっす、じゃねえよ!
 
 
 
と、いろいろ混じってきます。
どうしましょう。

 
追記
HINAさんから、ニフティの「グランド・ホテル」製作発表の記事を
教えていただきました。ありがとうございました!
→ コチラです
リカちゃんがカワイイ~~~ 
ライブドアには全体写真アリ。
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「ヴェラ・ドレイク」

2005年09月07日 | 映画
 1950年イギリス。困っている若い女性のために、違法な堕胎行為を行った女性の話。暗くて後味が悪いと言われていましたが、そう言い切るのはちょっとビミョ~。
 話の前半はヴェラとその家族の日常。ヴェラは家政婦として数件の家を掛け持ちして働き、年老いた母の面倒も見る。ビジュアルはまさに石崎秋子。鼻歌を歌うし。ただ、明らかに石崎さんより「善」。それも純粋な「善」。彼女は純粋に、困っている人を見捨てておけない性質なのだ。一部には、たとえば弟の妻(派手な美人)などは、ヴェラは、他人の生活に立ち入り過ぎると感じ、あまり好きではない。しかし、貧しくともつつましく暮らす彼女のことを、家族や周囲の人は「黄金の心」を持っていると言う。そんな彼女が違法な堕胎(←説明がないので、この「違法」というのが、宗教的な概念に基づく禁止なのか、医師免許を持たないものの医療行為のためなのかは不明)を行うのは、純粋に、困っている女性のためなのだ。彼女が行うことは(具体的に書くと真似する人が出るかもしれないので書きませんが)、ごくごく簡単に、10分もあればできてしまう。それに対応するように出てくる若い女性が「正式」に堕胎しますが、何人もの男性医師の前で根掘り葉掘り聞かれて、高額な費用がかかる。親や夫に言えない理由や経済的な理由での堕胎をするには、大変高い壁になっている。そこでヴェラの出番となるのだ。彼女の行為は「無料」。理由問わず。これなら彼女に頼る人も出てくるでしょう。だから彼女は「法律違反」だとわかっていても、「悪」だとは思っていなかった。
 後半は、ヴェラの娘の婚約パーティー。母親として最良の日に、ヴェラは逮捕される。「法律違反」だとわかった後も、妻を大事に思う夫や義弟。母が犯罪者と知り「恥」と感じる息子。逮捕しながらも、彼女を優しく扱う刑事や婦警(特に婦警さんの優しさには泣けたわ)。優しい母が突然犯罪者になったとき、家族はどう変わるのか。あるいは変わらないのか。
 全体的に画面や台詞の間合いは良いので、雰囲気はわりと好きです。ただヴェラに犯罪意識がないのが、それを狙っているとしても、ちょっとな~~、と思いました。純粋ならなにをしてもいいのか?というところまで、踏み込むべきだったのではないでしょうか。違法と知りつつ、なぜ「実行」するに至ったか?を、もう少し詳しく書いて欲しかったなあ。母体に危険がないと、なぜ無邪気に信じ切れるのか。誰がどのように彼女を説得したのかが、よくわかりません。主演のスタウントンは名演技だけど、結局なにを言いたいのか不明のまま終わった印象です。日常の中で、そうと思わず犯罪に手を染めてしまうことが主題?家族のあり方?50年代のロンドン?どこが主眼かわかりにくい映画でした。
 
 
追記
堕胎の話と言えば、曽野綾子の「神の汚れた手」を思い出します。
この中で産婦人科医師・野辺は、出産を手伝うべき立場の自分が
その逆の「堕胎手術」をすることについて、こう言います。
「誰かが、どこかで、やらなければならないことなら
 手先の器用な自分がやれば、母胎に負担がかからない。
 違法行為で母胎が危険にさらされるより、ずっとマシ」
(記憶なので、ちょっと不確かです)
上記の台詞とか、時代小説の中条流の話なんか読むと
民間療法ってすごく危険!だと思うのですが
ヴェラは、その辺りについて、どう考えていたのでしょうか。
それほど学のない女性が、教えられたとおりのことをして
人に喜んで貰える、って、それだけでは
ただの自己満足のような気がします。
望まない妊娠で堕胎を希望する人がいるのはわかるのですが、
ヴェラに、ひとかけらも葛藤がないのが、ちょっと不満。
実行しすぎて、日常の出来事になると
「悪」とわかっても、感覚が麻痺する、ってことも
描きたかったのかなあ。
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