写真とメールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿
2011.3.27 20:43
東日本大震災での自衛隊による被災者支援活動は「最後の砦(とりで)」である。隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、肉体的、精神的疲労は日ごとに増す。身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、被災地にとどまる隊員も多い。実績を声高に誇ることもなく、黙して語らぬ隊員の思いと労苦を隊員同士のメールや写真から検証した。(半沢尚久、《》はメールの文面、写真は陸上自衛隊提供)
■車座で痛みを共有
《海には数メートルおきにご遺体が浮いている》《幼い亡骸(なきがら)を目にすると、わが子とダブってたまらない》
地震に津波の被害が重なった大震災。遺体収容も自衛隊の重要な任務のひとつで27日までに4150体を収容した。写真は宮城県山元町で冷たい水に膝までつかりながら遺体を囲み手を合わせる隊員を写し出す。
日常的に遺体を扱う警察官と違い、慣れているわけではない。とりわけ、海に流された遺体と対面するのはつらい作業だという。
《流木にはさまれ、両手をあげていた。最後まで救助を信じていたように…》
凄惨(せいさん)な現場は、隊員の心を消耗させ、無力感さえ抱かせかねない。そのために陸上自衛隊はメンタルヘルスを重視し、夜ごと隊員を10人ほどの班に分け、車座になって一日を振り返る時間をつくった。陸自隊員は「仲間と苦しみ、痛みを共有できれば気力がわいてくる」と打ち明ける。
(以下リンク参照)
(産経新聞)
(引用終了)
警察庁がまとめた28日午後6時現在の東北地方太平洋沖地震による死者は1万901人、行方不明は1万7621人に上るとのことで、これは阪神大震災を上回る戦後最大の犠牲者が出たことになる訳である。
今回は地震によるものではなく、その後に起きた津波による犠牲者が遥かに多かったことから、地震を感じたら、直ちに高台に避難するなどの行動をとっていれば、犠牲者は少なかったかも知れないが、それにしても想定を超える津波のため堤防が破壊されたり、停電のため水門は閉まらないなどの悪条件が重なったことから被害を大きくしたようである。
地震も津波も防ぐことは出来ないが、被害を最小限に抑えることは出来るし、また被災者に対する救援が迅速に行われるように、普段から様々な諸策を講じておくことは政治の責任であり、それは自然災害が多い国だからであって、今回の地震で、世界が注目しているのは被災者に対する手厚い救援活動や、復興の状況、さらに冷静さを失わない日本国民の民度であり、良い意味での日本人の恐ろしさを認識するのではなかろうか。
多数の被災者に対する救援活動や、遺体の収容作業や行方不明者の捜索を行っている自衛隊の活躍を偏向マスコミはあまり報道していないようで、また、最大の支援体制をとっている米軍の活躍も同様だが、これは偏向マスコミに反自衛隊、反米を掲げるサヨクに対する気兼ねがのようなものがあるからであろう。
産経新聞の被災者支援活動を行っている「黙して語らぬ自衛隊員の姿」として自衛隊が提供した写真と共に、自宅が全壊、家族も行方不明という隊員が被災者支援が第一だとして普通に働いているとする記事が掲載されている。
もう被災者は分かっているであろう。このような時に誰が頼りになり、また、ならないかであって、反自衛隊、反米を掲げるサヨクがいち早く被災地に乗り込んで来ることもなく、相変わらず自衛隊を批判するだけのまったく頼りにならない存在でしかないからで、それとは対照的に自衛隊の支援は被災者にとって心強いものではなかろうか。
自衛隊が違憲だとし、いらないとか言っていたサヨク連中がもっともいらなかった訳だが、自衛隊は仕事としてやっているのだから感謝する必要はないとし、まして税金で食わせて貰っているのだからどのような危険なことでもやるのが当然だと思っているであろうが、自衛隊をこけにし、貶め、足を引っ張り、士気を失わせることが愉快だとしている訳で、何があって自衛隊の世話にはならないとし、今夜も自衛隊に足を向けて寝ている連中なのであろう。
自衛隊に足を向けて寝ている連中と言えば、菅内閣の一員でもある「自衛隊は暴力装置」と言った仙谷官房副長官や、反自衛隊を掲げれば誰にも負けない災害ボランティア担当の辻元総理補佐官であろうが、菅総理が防衛省の災害対策本部の会議に初めて出席し、激励したとしても、仙谷、辻元両氏を内閣の一員にしているようでは菅総理も自衛隊の最高指揮官でありながら自衛隊に足を向けて寝ているも同然ではなかろうか。
(2011/03/28)
写真:温かい食事は被災者に。自身は冷たい缶詰の食事をする自衛隊員