ユカリューシャのお話を聞きに
東京都を横断して横須賀(汐入)まで
行っちゃいましたよ!
司会は東京バレエ団の人。(Notダンサー)
14時開始で、終わったのは15時45分ぐらい。
メモを取っていないので
詳しくは書けないし、
正確じゃないかもしれないけれど、
以下、不確かな記憶に残っていることを順不同で。
大学院の話
・大学院は首席で卒業(って言ってたと思うんだけどなー)
・大学院は入学から卒業まで5年かかる。
(単位が足りなくて留年すればもっと)
・2年目ぐらいに、外国人はロシア語検定に通らなければいけないことがわかった。
日常に暮らすのには不自由しないけれど
きちんと習ったわけではないので
検定合格に向けて、大学院課程と並行して勉強したので
とても大変だった。
・卒業試験は、実技やメソッドの他に一般教養からの質疑応答?
(筆記じゃないみたい)
試験の時に札を引き、そこに書いてある5科目についての質疑応答(口頭試問?)みたい。
(私の解釈が間違っていたらすみません)
政治学や心理学は苦手なので、それを引いたら危なかったかも。
得意科目(芝居系?)が出たので幸運だった。
・現役のダンサーでありながら
大学院に行くのはとても大変だった。
現役ダンサーは体型(身体)を維持しなければならない。
それはスタイルとか体重ではなく、
いつでも踊れる状態に保つこと。
ロシアにいるときは、8時ぐらいに家を出て劇場でレッスンをして
家に帰り、大学院に行っていた。
マクシモワのこと
・ニキヤを踊る話を受けるかどうか迷っていたが
マクシモワから、「チャンスを自分で潰してはいけない」と言われた。
(断っちゃいけない、とか、そんなニュアンス)
話が来たということは、踊るときが来たということ
・話を受けることにした、と電話したらとても喜んでくれた。
特に、マカロワとは大親友なので
彼女の作品を踊ることについても喜んでくれた
・その数時間後にマクシモワは亡くなった(心臓発作とのこと)
・すぐにモスクワに行こうと思ったが
ビザの関係でパスポートを大使館に預けていたり
ビザもすぐには出ないので、
最悪ロシアの空港で強制送還されるかもしれなかったが
ご家族の方が(本人かな?どっちかな?)が
すぐに大使館に行ってパスポートを持って帰ってきたり
旦那さんが外務省(向こうのか日本かは不明)にかけあってくれたりして
最後のお別れに間に合うことができた。
「ラ・バヤデール」の話
・東バでは「ラ・バヤデール」で上演されるけど
友佳理さんはロシア式なのか「バヤデルカ」と言ってました。
・もとは4幕構成だった。
神殿&ラジャの家、婚約式、幻影の場面、結婚式
マカロワ版は結婚式があり
話として理にかなっていると思う。
(ちなみに初演時の幻影の場面のコールドは64人だったそうです)
・オルガ先生は、とても数学的な思考の人。
この場面、この踊りは・・・と、きっちり正確に把握している。
総勢80人ぐらい?出る作品だけど
どの役も踊れ教えられる。
自分とのリハーサルはロシア語、
水香ちゃんへはフランス語、
団員へは英語、と使い分けることができる
・マカロワは、もっと細かいところの指導
なぜここで振り向くのか、その理由は何か、などなど
最初は英語で指導→通訳が日本語へ、だったけど
マカロワが英語で表現しきれないところを
「こうですか」とロシア語で聞いたら、「そうそう!」
それ以来、ロシア語主体。
・オルガ先生とマカロワの言うことが違うときがある。
そのことをすごく迷ったが、
「自分が言うことより、マカロワの言うとおりに!」と言われ
迷いがふっきれた。
一度、(オルガ先生の指導で)身体に入れたことを
作り直すのはとても大変なことだけど
それによって、いろんな角度から役を作り上げることができる
・後藤くんとの踊りの相性は・・・・・
まだわからないみたいだけれど
彼のバレエへの情熱・愛情を感じるので大丈夫。
・リハーサル中は、振付家から直接指導してもらえて
とても幸せ。
その他
・中国公演では、上演中の携帯電話、特にオケの人が電話に出るなど
あまりにもカルチャーショックがありすぎて
病院で点滴を受けるほどだった。
・大阪「ジゼル」のルグリ降板。
1幕のバリエーションで2幕降板が決定。
(ごめん、もう踊れない、と言われたらしい)
高岸さんが2幕から踊ることになったけど
高岸さんと「ジゼル」を踊ったのはだいぶ前だし
その時はパリ・オペ仕様にしていたので
いきなり踊れるかどうか不安。
衣装の後ろ(背中部分?)を縫ってもらう時間を利用して
高岸さんと打ち合わせができれば、と思い
そのようにしたいことを衣装さんから伝えてもらって
と頼んだら、高岸さんの答えは「なに、それ」だった。
(どういうこと?だったかなあ)
ニュアンスとしては、高岸さんもテンパっていた、と。
・息子さんは15歳で、友佳理さんより背が高い。
こんなところかな。
思いだしたらまた書き足します。
記事中の敬称は私の勝手でつけてます。
友佳理さんはちゃんと「マカロワ先生」って言ってます。
東京都を横断して横須賀(汐入)まで
行っちゃいましたよ!
司会は東京バレエ団の人。(Notダンサー)
14時開始で、終わったのは15時45分ぐらい。
メモを取っていないので
詳しくは書けないし、
正確じゃないかもしれないけれど、
以下、不確かな記憶に残っていることを順不同で。
大学院の話
・大学院は首席で卒業(って言ってたと思うんだけどなー)
・大学院は入学から卒業まで5年かかる。
(単位が足りなくて留年すればもっと)
・2年目ぐらいに、外国人はロシア語検定に通らなければいけないことがわかった。
日常に暮らすのには不自由しないけれど
きちんと習ったわけではないので
検定合格に向けて、大学院課程と並行して勉強したので
とても大変だった。
・卒業試験は、実技やメソッドの他に一般教養からの質疑応答?
(筆記じゃないみたい)
試験の時に札を引き、そこに書いてある5科目についての質疑応答(口頭試問?)みたい。
(私の解釈が間違っていたらすみません)
政治学や心理学は苦手なので、それを引いたら危なかったかも。
得意科目(芝居系?)が出たので幸運だった。
・現役のダンサーでありながら
大学院に行くのはとても大変だった。
現役ダンサーは体型(身体)を維持しなければならない。
それはスタイルとか体重ではなく、
いつでも踊れる状態に保つこと。
ロシアにいるときは、8時ぐらいに家を出て劇場でレッスンをして
家に帰り、大学院に行っていた。
マクシモワのこと
・ニキヤを踊る話を受けるかどうか迷っていたが
マクシモワから、「チャンスを自分で潰してはいけない」と言われた。
(断っちゃいけない、とか、そんなニュアンス)
話が来たということは、踊るときが来たということ
・話を受けることにした、と電話したらとても喜んでくれた。
特に、マカロワとは大親友なので
彼女の作品を踊ることについても喜んでくれた
・その数時間後にマクシモワは亡くなった(心臓発作とのこと)
・すぐにモスクワに行こうと思ったが
ビザの関係でパスポートを大使館に預けていたり
ビザもすぐには出ないので、
最悪ロシアの空港で強制送還されるかもしれなかったが
ご家族の方が(本人かな?どっちかな?)が
すぐに大使館に行ってパスポートを持って帰ってきたり
旦那さんが外務省(向こうのか日本かは不明)にかけあってくれたりして
最後のお別れに間に合うことができた。
「ラ・バヤデール」の話
・東バでは「ラ・バヤデール」で上演されるけど
友佳理さんはロシア式なのか「バヤデルカ」と言ってました。
・もとは4幕構成だった。
神殿&ラジャの家、婚約式、幻影の場面、結婚式
マカロワ版は結婚式があり
話として理にかなっていると思う。
(ちなみに初演時の幻影の場面のコールドは64人だったそうです)
・オルガ先生は、とても数学的な思考の人。
この場面、この踊りは・・・と、きっちり正確に把握している。
総勢80人ぐらい?出る作品だけど
どの役も踊れ教えられる。
自分とのリハーサルはロシア語、
水香ちゃんへはフランス語、
団員へは英語、と使い分けることができる
・マカロワは、もっと細かいところの指導
なぜここで振り向くのか、その理由は何か、などなど
最初は英語で指導→通訳が日本語へ、だったけど
マカロワが英語で表現しきれないところを
「こうですか」とロシア語で聞いたら、「そうそう!」
それ以来、ロシア語主体。
・オルガ先生とマカロワの言うことが違うときがある。
そのことをすごく迷ったが、
「自分が言うことより、マカロワの言うとおりに!」と言われ
迷いがふっきれた。
一度、(オルガ先生の指導で)身体に入れたことを
作り直すのはとても大変なことだけど
それによって、いろんな角度から役を作り上げることができる
・後藤くんとの踊りの相性は・・・・・
まだわからないみたいだけれど
彼のバレエへの情熱・愛情を感じるので大丈夫。
・リハーサル中は、振付家から直接指導してもらえて
とても幸せ。
その他
・中国公演では、上演中の携帯電話、特にオケの人が電話に出るなど
あまりにもカルチャーショックがありすぎて
病院で点滴を受けるほどだった。
・大阪「ジゼル」のルグリ降板。
1幕のバリエーションで2幕降板が決定。
(ごめん、もう踊れない、と言われたらしい)
高岸さんが2幕から踊ることになったけど
高岸さんと「ジゼル」を踊ったのはだいぶ前だし
その時はパリ・オペ仕様にしていたので
いきなり踊れるかどうか不安。
衣装の後ろ(背中部分?)を縫ってもらう時間を利用して
高岸さんと打ち合わせができれば、と思い
そのようにしたいことを衣装さんから伝えてもらって
と頼んだら、高岸さんの答えは「なに、それ」だった。
(どういうこと?だったかなあ)
ニュアンスとしては、高岸さんもテンパっていた、と。
・息子さんは15歳で、友佳理さんより背が高い。
こんなところかな。
思いだしたらまた書き足します。
記事中の敬称は私の勝手でつけてます。
友佳理さんはちゃんと「マカロワ先生」って言ってます。