私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

涙なしには読めない英霊たちの遺書

2003年08月19日 21時06分18秒 | 伝統・文化・歴史
  真夏だと言うのに今日19日で、連続6日間うっとうしい日が続いている。セミの声もあまり元気がないようで、夏は何処へ行ってしまったのだと思うこの頃である。さて我が国の偏向マスコミは15日の終戦記念日には、閣僚の誰が靖国神社に参拝したか、またしなかったかを検証し、また石原都知事は参拝して、どんな発言をするかを注目し、石原氏の「外国がガタガタ言うことはない。内政干渉どころか失敬だ」との発言を「問題発言だ」と報道している。

 何で石原氏の発言が問題なのだろか。まっとうな事を言っているのに、その発言を支那や韓国にご注進するマスコミの方がよほど問題である。ところで、この石原発言について文句が来たのであろうか。マスコミはちゃんとご注進してあるのか。文句が来ないのはおかしいではないか。

 小泉総理は、今年はすでに靖国神社に参拝しているとして15日の参拝はしなかったが、総理が靖国神社に参拝するという気持ちを持つようなったのは鹿児島知覧町にある知覧特攻平和会館を訪問し、神風特別攻撃隊として散華されたまだ10代、20代の若者達の遺書を読んだことからだと言われている。 私も、昨年12月に訪れる機会があり、あどけなさが残る特別攻撃隊の若者達の遺影や遺書を読んでいると、頬を何度が涙が伝い、このような若者達が「自分達が死ぬことにより、日本を誇りある国として残すことが出来る」と言って散華されたことを忘れるべきではないと思った。特攻は決して、「狂気の沙汰だ」とか「無駄死だ」ではない。そんなことを言っているのは反日日本人だけではないか。崇高な自己犠牲の精神によって、祖国の安泰を願い散華された特攻精神が受け継がれている限り、日本は世界から尊敬され滅びることはないであろう。

 英霊の遺書と言えば、自宅から車で10分位のところにある古本屋で先日「昭和の遺書」という本を見つけた。373点に及ぶ全国の一般家庭から募集したという手記、書簡、日記などが掲載されており、そのどれを読んでも涙が出てしまう。まだ17歳の若者や新婚の妻を残してたまま、また幼い子供を残して戦死された英霊たちの国や家族を思う切々とした気持ちに衝撃を受け心を打たれる。

 その中で、特に涙が出てとまらなかった昭和20年7月5日フィリピン・ルソン島マニラで戦死された埼玉県出身・陸軍少尉北岡徳之助さん(40歳)の遺書を紹介する。
 それは、航空便と船便の2通で送ったうちの1通で、この手紙を書いて半年後戦死したと言う。遺書は娘・澄江、長男・隆、次男・博さん宛のものですが、長男の隆さんは当時9歳だったと言う。

此の手紙は私の戦死公報の入った時に子供達に見せて下さい。

澄江、隆、博、お父さんは祖国の隆盛を祈りて潔く死んで行きます。

お父さんの亡き後は澄江は女学校を卒業して学校でも会社、工場で

好む処に就職して家計を助け弟達の面倒を見る事。

隆と博は学校がすきでしたから中学校専門学校を卒業する事。

隆は気分が落ちつかなくてそわそわして居るのが心配です。

身体を丈夫にしてしっかり勉強して下さい。

隆と東京駅でわかれる時に隆がお父さんと呼んだ声は、お父さんの

耳にまだ残っております。

博はお父さんの顔も知らないので一番可愛いさうです。

博と東京駅でわかれる時にお前はニコニコとハイチャチャをして

おりましたのが、お父さんの目に残っております。お父さんを知ら

なく共決してひがんではいけません。お父さんはお前達3人の大

きくなったのを遠くの方から何時でも見て居ります。

(後略)

昭和20年1月21日

                       お父さんより
澄江、隆、博へ

(2003/08/19) 

この記事は「今日のコラム」
涙なしには読めない英霊たちの遺書
としてHPに掲載されていたものです。


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