河野氏“言いたい放題” 戦後70年談話に「村山談話」の踏襲を注文
2015/02/25
河野洋平元衆院議長が言いたい放題だ。24日の名古屋市での講演で、安倍晋三首相が今夏発表する「戦後70年談話」について、戦後50年の村山富市首相談話の表現を踏襲するよう注文したのだ。この御仁は、一体いつまで日本と日本人を貶めるつもりなのか。
「日本の歴史認識が10年刻みで変わることはあり得ない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」
河野氏は講演でこう語り、「植民地支配と侵略」への反省を明記した1995年の村山談話の継承を求めた。河野氏は村山内閣で副総理兼外相を務め、談話作成に関わっていたとされる。
さらに、河野氏は、慰安婦問題に対する93年の「河野官房長官談話」についても、「誠心誠意作り上げた。裏付けのないものは書かなかったので『強制性』という言葉は入っていない」と語ったが、識者からは疑問の声が上がる。
慰安婦問題を徹底追及している拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏は「(談話自体は『強制連行は確認できない』という前提で作成されたが)河野氏が強制連行を認める無責任な記者会見をしたことが大問題だ。この結果、中学校の教科書に慰安婦問題が記載された。そのことに責任感を感じないのか」と憤る。
国際政治学者の藤井厳喜氏も「村山元首相の歴史観に歴代内閣が縛られる必要はない。河野氏は、講演で自分の考えを述べる前に、国会で談話の背景について説明する義務がある」と語っている。
(zakzak)
(引用終了)
朝起きて洗顔やヒゲを剃る時などに鏡に写った自分の顔を見ると、随分年を取ったなあと思うことがある。年を取ると今までどのような生き方をしてきたかが顔に出るそうで、だから世間から「人相が悪い」などと言われないようにしたいもので、これからも畑仕事に精を出し、また、人の役にたち、人に喜んで貰うことを楽しみにしたいと思っている。
「目は心の鏡」「目は口ほどに物を言う」とのことわざがあるが、顔の中で目つきが最も表情に富んでいることから、目つきを見れば、その人の正邪が分かると言うもので、だから売国奴と言われる連中はすべて人相が良くないし、年を取れば取るほど、その傾向は 強まるようである。
zakzakに河野洋平元衆院議長の「戦後70年談話」に関する記事と同人の写真が掲載されていたが、その写真を見て、いくら年を取ったからだとしても、何とも酷い人相になったものだとの印象を持った方も多いのではなかろうか。韓国に騙されて出した「河野談話」によって日本と日本人を貶めてきたとの自覚もなく、また売国奴扱いされているにも関わらず、未だに責任を回避しているからであり、「河野談話」が正しいと思うならば、 国会の場で、話したらどうかと言いたい。
その河野氏が、24日の名古屋市での講演で、今夏発表される予定の安倍総理による「戦後70年談話」について、「日本の歴史認識が10年刻みで変わることはあり得ない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」として「村山談話」を踏襲するように注文をつけたそうである。
歴史は変えることは出来ないが、歴史認識は後で新たな事実が判明したり、事実だと思われていたことが間違いであったりすれば変わって当然であり、だから、村山元総理の歴史認識によって作られた「村山談話」や、同じくも河野氏の歴史認識による「河野談話」は歴史的事実である訳はなく、そのような談話が出されたとの事実が残るだけである。もう取り消しは出来ないとしても、閣議決定を経た内閣総理大臣による新談話によって、過去の談話を上書きすれば良いのであり、その新談話であっても未来永劫変えてはならないものではない。
河野氏が「村山談話」にあれこれ言う前に、自身の「河野談話」に関して、釈明する方が先であり、何ら裏付ける証拠がないのに、談話を発表した記者会見の際に慰安婦の強制連行を認めたことで、今では「河野談話」とは慰安婦の強制連行があったとする証拠までになっているのであり、韓国に騙されてしまったとの事情はあるとしても、騙されるようでは政治家として無能である証左である。いわゆる売国奴と言われている連中は総じて人相が良くないし、自身の失敗を認めないとの共通点があるようで、老い先短い河野氏だが、少なくとも惜しまれて亡くなった方のようにはならないだろう。
(2015/02/27)
写真:人相が良くない河野洋平元衆院議長
これは酷いですね~
よからぬことを考えるとこんな老醜を醸し出すものなのですね!!
この目を見て都知事を思い出しました。
ずる賢くて卑怯で矮小な人間の目ですね。