2006年2月19日
「台湾の声」編集長 日本李登輝友の会常務理事 林 建良
神奈川県支部の皆さん、こんにちは
今日の私のテーマは「李登輝理念とはなにか」石川支部長のご挨拶で提起された四点、徹底的に追及する姿勢、その行動力、死を恐れず頑張る気概、優しさ。これは正に李登輝前総統の描写としてこの上のないものと思います。
ところで、今日の私のテーマに入る前に、一つの事件を紹介したいと思います。それは我々台湾人が経験した一九四七年の二二八事件、蒋介石による台湾人の大虐殺に比べれば微々たるものですが、このことは私個人は心が引き裂かれる思いで日本の地から見守っている事件です。それは、副支部長もつい一昨日現地へ行かれた、高砂義勇隊慰霊碑の撤去事件です。皆さんも産経新聞などでご存知のことと思います。
二月八日、李登輝前総統も出席されての、慰霊碑設立の除幕式と慰霊祭が催行されましたが、二月十七日、中国時報、台湾の中の中国人グループ最大の新聞ですが、これと連合報が一面で報道したのです。それは「これはなんだ!?日本の『日の丸』が掲げられ、慰霊碑には日本語で書かれた文章が! けしからん、撤去せよ」というものでした。これは、このこと自体に中国人の心、台湾人の心、日本人の心が顕著に現れているのではないかと思います。当時の祖国・日本のために命を落とした人間は、中国人にすれば裏切り者で、中国人の思想では、例え死んでも裏切り者は墓を暴き死者をムチ打ちするのです。この中に今の台湾・中国・日本の現状の縮図を見るような事件と思います。彼ら中国人は、台湾人の心、日本人の心も彼らの意のままにしたいのです。これが中国人のやり方なのです。
二二八事件で多くの台湾人が中国人に殺されたが、亡くなった人間の慰霊すら許さないこのような民族・国が今、日本の教科書や靖国神社に口を出し、台湾の存在そのものを脅かしているのです。亡くなった人間の霊を慰めることすら許さない
なぜこの話から始めたかと言うと、李登輝前総統はこの三つの民族・文化そして心を知り尽くしているからです。そこで石川支部長の提起された四点とは、切り口を変えて四点提起します。
日本李登輝友の会の中に掲げた理念、また機関紙の名前にもなっている「日台共栄」が一つ目、二つ目は真実、三つ目は誠実、四つ目は国造りです。私の理解している李登輝前総統の理念を皆さんと考えていきたいと思います。
日台共栄は正に李登輝前総統が日本人に会うたびに言う言葉ですが、もう一つ、必ずもう一つ言います。それは「日本に強くなってほしい」です。この言葉にはどういう意味があるか?日本をこよなく愛している、ということは事実ですが、別の意図があります。彼は二十二歳まで日本人だった、民族的には台湾人だが。要は人間の存在は法的身分、文化的身分、民族的身分により構成されます。私は法的にも、文化的にも民族的にも台湾人だが、私の二人の子供は日本で生まれました。法的・民族的には台湾人だが、文化的には日本人と同じなのです。李登輝前総統は当時一番奔放でバンカラ的な台北高校から、一番自由な京都帝国大学に進学、一年二ヶ月在学の後、十九歳で学徒出陣し、結果二十二歳まで日本人だった。つまり彼の人格形成期は全て日本だった。また彼は下宿生活で志願して便所掃除をした。中学のときに剣道初段になった。日本の文武両道の真髄に近いといえます。最近李登輝前総統は日本の文化・精神には「深み」があるとよく言います。そして、日台共栄の理念として、日本がアジアのリーダーになってしかるべき、と言います。それは日本人が勤勉だから、日本製品の品質がいいから、経済力があるから、といった理由ではなく、日本には優れたモラルがあるからこそリーダーになってしかるべきだと彼は考え、常にそういっているのです。
李登輝前総統とは同じテーブルで食事をしたり彼のスピーチの席で司会をするだけだったのですが、今年一月十六日に亡くなった杏林大学教授の伊藤潔先生が私を李登輝さんの自宅へ黄文雄先生と一緒に連れて行ってくれました。これは二度目、最初のときは台湾まで行ったのですが、李登輝前総統が肺炎で入院してしまったため会えなかった。今回伊藤先生は人工透析をしていたりしていて体の状態はかなり悪かったようで、私が話をしているときは休んでおられました。私が李登輝前総統と話をするのは始めてではないのですが、深い話をするのは始めてでした。
当時私は生意気で、自分の持論を伝えました。私は全てを投げ打って、全てが無になってもいいという「諦観」に近い覚悟がなければ国造りなど不可能だといいました。
李登輝前総統はウンウンとうなづき、話終わると、こういわれました。林建良、国を思う前に死を見つめなさい、と。自分の死と直面すべき、と。彼は祖母が亡くなって初めて死を考えるようになった。一つ上の兄がフィリピンで亡くなったということが彼には大きな衝撃でした。兄は自ら殿軍を志願して、銃弾を数十発受けて亡くなった。そして私に「まず死を考えなさい。国家天下を論ずる前に、これを見つめられない人間に国を考えることはできない。そこから出発しなさい」と。
それから、かれはまだ出版されていない「武士道解題」原稿を自ら言及しました。彼の著書は多数あるが、渾身の力作は「武士道解題」です。日本を元気づけるために書き下ろした彼の気持ちをその日に強く感じました。初めての対談は何時間に及んだか覚えていません。結論から言うと、そのとき彼が言ったこと、日本精神の原点は、彼の在任十二年中、いかんなく発揮されたのではないかと思います。
だから、李登輝理念の第一歩は日台共栄で、日本人の素晴らしい精神、美しい心、そしてフニャフニャしている戦後世代の現象ではなく、美しさを維持しながら強靭な部分がある。世界のなかで日本人のこの部分を理解して、師として、先生として学ぼうとしているのは他でもない台湾人、台湾人にみにその姿勢があるのです。学びたい、それはそう思っている者、学ぼうとしている者、その存在を是非もう一度実現させたいのです。
だから彼は「アジアの知略」の中に、中嶋嶺雄先生との対談の中でひとつの提案をしています。それは、日本と台湾で共同通貨を作ろう、日本が主導権を持って、と言うものです。それは当然でしょう?日本の経済力、制度管理から見れば、そしてモラルから見れば。通貨が同じであれば、当然人の往来を自由にし、いろいろな書類を共通に認め合う。結果限りなく一国に近い形になる。元々同じ国だったのだから、別々になっても本当に共同体と言えるのは、日本と中国や朝鮮では決してない、台湾なのです。一番近い台湾を見ないで、なにが東アジア共同体なのか。私はそう思います。
二つ目は真実です。
李登輝前総統は退任してから(二〇〇一年四月)初めて日本を訪問しました。ご存知のように、倉敷で心臓の治療を受けたり、京都や大阪に泊まりました。大阪では帝国ホテルに宿泊し、出るときに一枚の色紙を書きました、恐らく今でも帝国ホテルに飾ってあると思いますが、
そのときの言葉が「真実自然」、李登輝理念です。私は台湾人政治家を数多く知っています、仲のいい政治家、悪い政治家もいますが、殆どの政治家は自分をできるだけ大きく見せようとする、私はこんなに偉いんだ、誰々を知っている、これだけ予算を取ってきた等々。まぁ、気持は分かりますが、ありのままの政治家は少ない。この中には李登輝前総統に会った人もいると思いますが、彼は決して飾ったりせず、えらぶることもなく、ありのまま真実を追求し、行動するのです。一個人であれば、ただ尊敬できる一つの要素ですが、政治家の理念ともなれば個人のフィロソフィーではない、トップであれば、それはドクトリンになり、天下国家に影響を与えるほどのものになります。
真実とはどういうものか。戦後の日本は真実を見つめてきたか。台湾を中国の一部と見做している日本の姿勢は真実を見ているとはほど遠いと思います。
戦後の日本は、ある人は私に言います、一九七二年までは国交があり、大使館もありましたよね、今は中国にとられてしまったけれど、と。私に言わせれば、本当に国交はあったのでしょうか。一九七二年以前、日本は二二八事件で台湾人、特にエリートや学生を虐殺した蒋介石を、全中国を代表しているという虚構を承認していましたが、これをもって国交があったのか、私にはその覚えはありません。では一九七二年以降はどうなったか。台湾を侵略しようとし、台湾を中国の一部という主張を理解し尊重している。言ってみれば、隣のヤクザが私の家を指して「その家はオレのものだ、そこの女(私の妻)もオレの女だ、全ての財産もオレのものだ」といい、一方の隣の日本さんはそれを理解し尊重すると。ところがその日本さんとは昔同じ家族だった。その元家族がヤクザさんの言い分を理解尊重する。これが真実といえるのか、日本人は真実から目をそらしているのか。
私が日本へ来てから一番感心したのは、日本料理と中華料理の違いです。中華料理はいろいろいじったり腐らせたりして、殆ど原型を留めないのに対し、日本料理の特徴は、素材を活かし鮮度で勝負すべく、心をこめて出す。真実そのまま、ありのままの味をいかすのです。なのに日本は一九七二年以前は蒋介石の全中国を代表しているというウソに加担し、それ以降は台湾を侵略しようとしている中国の言い分を理解尊重している。戦後の日本は一貫して、台湾人の敵の側に立ってきたのです、かつて自分が統治していた同胞の苦しみ、苦悩を理解しようともせず、それどころか我々を敵の側に押し付けている。もっとも李登輝前総統は私のような無教養な人間ではないのでここまでは言わないが、真実自然という言葉だけ残したのです。
三番目は誠実です。
真実と誠実は基本的には一緒なのです。真実は客観的に存在を見つめるもの、誠実はそれに沿って行動する、自分にウソをつかないという態度、それが誠実ではないでしょうか。同じ「アジアの知略」の中の中嶋嶺雄さんとの対談の中で彼が言った言葉ですが、中国人と日本人はどこが違うのか、それは簡単です、ウソをつく民族とウソをつかない民族ですと述べている。日本人は「ウソツキ」といわれたら顔が赤くなり、昔ならば刀を抜いてしまう。本当にウソをつき、見破られたらとても恥ずかしい、死んでしまいたいぐらい。中国人は日常的にウソをついているから、「ウソツキ」といわれてもヘラヘラしているし、見破られても新たにウソをつく、それだけのことです。ところが今の日本は、自国の学生に学校の教科書で台湾は中国に領有されている、無理矢理我々をウソツキ中国の領土にするというウソを自分の子供達に教育しているのです。これが誠実な姿勢といえるでしょうか。
李登輝さんはこの誠実という理念を、例えば李登輝学校へ行くと、口がすっぱくなるぐらい言います。また彼は教養あり品のいい人ですから、今の日本が不誠実になったとは言いません。
私は日本で長く生活しているので、少なくとも戦後日本については李登輝さんに負けないぐらい認識を持っています。もっとも李登輝さんが生活していた戦前の日本を体験することはできなかったのですが、日本にはサムライ精神があると聞いて日本に来ました。日本にはなく台湾にある「日本精神」という言葉、日本人は言いません、台湾生まれの言葉ですが、私はそれに憧れてその本場に来ました。それをこの目で確認しようとして、今も捜していますが。それはそれほど貴重なのです。
戦後の日本は誠実なのか?最近の日本は私が言うまでもなく、耐震偽装問題、ホリエモン現象・・・日本人の一番奥の部分、恥の文化はどこへいったのでしょう。李登輝さんは八十三歳になり、丸くなった。日本人を褒めて褒めて褒めつくすのですが。そのような、元々ある理念を何故捨ててしまったのか。それでも分からない日本人もいるから、私が解説するのです、そのような貴重な部分をなぜ捨ててしまったのか、と。
四番目、そして一番重要なこと、国造り。
李登輝前総統は国を造りたい。その国造りは台湾だけでなく、日本もそうなのです。戦後の日本は七年間、主権を失っていて、一九五二年のサンフランシスコ条約が発効して主権を回復しました。そこで主権を回復したなら、自分の手で憲法を作り、自分の作ったルールを守ることで初めて主権国家といえるのではないでしょうか。日本人の使っている憲法の元は人様に作ってもらっているのです、それも一週間で。
台湾も同じです、一九四九年に台湾に逃げ込んできた蒋介石が持ち込んだ憲法なのです。この憲法の中には、中華人民共和国はある、モンゴル共和国もある、だが台湾はない。今使っているのは台湾だけ、冗談じゃない。我が家の戸籍に、他人の名前があり、私の名前だけない。このような憲法を使っている国が主権独立国家といえるでしょうか。おまけに今の名前はリパブリックオブチャイナ、シナ共和国です、シナという名前が入っている。今私の住んでいる家の表札は林建良ではなく毛沢東のなっている。これは私の家だ、と一生懸命言っても、戸籍を見ると林建良の名前はない。だから新しい戸籍を作ろうとすると、かつて祖国であった日本は「現状を変えてはいけない」と。大きなお世話だ、これを偽善といわずして何でしょう、こんな日本を尊敬できますか。
我々は単に自分のことを自分で決めたいだけなのです、林建良の家に林建良の表札を掲げることのどこが悪いのでしょう。隣のヤクザ様が怒るからだめだ、という人を尊敬できますか?それでも我々はやります。
ヤクザ様がいくら強大でも、いかにかつての祖国がフニャフニャになったとしても「やるんだ」というのが李登輝精神なのです。この精神についていこう、というのが日本李登輝友の会なのです。だから先ほど石川支部長が言われました、ただただ親睦、親睦はいいんですよ、やっていけないとはいいません、そのもっと深いところにある、単に李登輝さんのファンクラブではない、李登輝さんの人柄が好きというだけではない、我々が大切にしようとしているのは李登輝理念なのです。理念とは、フィロソフィー、ドクトリン、信条なのです。この国をなん
とかしたい、日本と台湾、この二つの李登輝さんの祖国、文化的祖国は日本、今生活しているのは台湾。それが李登輝理念についていく我々なのです。国造りは極めて大切なのです。
この会は一人ひとりが李登輝理念を広げる、そして彼のモットーは実践、行動すること。いくら立派な理念でも、頭の中に大切に保存するだけでは意味がない、理念は行動が必要なのです。この行動、実践力が正に日本人の気概になるものです。
かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
これが李登輝理念の一番奥、真髄ではないでしょうか。
本日はご静聴ありがとうございました。
この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。
日本李登輝友の会 神奈川県支部設立記念講演会