「トッテスミマセンデシタ」病床の妻に花を…そして謝罪のメモ/横須賀
2010年5月21日
「ダマッテハナオトッテスミマセンデシタ」―。育てている花を誰かに切り取られていた横須賀市の男性方で19日、過ちを謝罪するメモが見つかった。バラの枝に添えられたメモには、病床にあった妻に見せようと花を摘んでしまったこと、その妻が亡くなったことが記されていた。
横須賀市大津町の山川潔さん(76)は30年以上、自宅の裏庭や土手でバラやアジサイ、梅などの花々を育てている。花が摘まれているのに気付いたのは昨夏だった。ハサミなどで丁寧に切り取った跡があった。四季折々に咲く花が、同じようにわずかずつ摘まれていった。
取られるのは毎回1輪ほど。声を掛けてもらい、花を譲ろう。山川さんは今月10日ごろにバラの枝に添え書きを結んだ。
「花が、ほしい方は申し出て下さい」
掲示から約10日後の19日、メモが上から張られていた。
「ツマガガンノタメ ボクニワハナオイッポンモカッテアゲルコトモデキナカッタノデ ダマッテハナオトッテスミマセンデシタ ツマガナクナリマシタ ホントウニスミマセンデシタ」
縦20センチ、横4センチほどの薄色の紙に、黒いボールペンの手書きで80字ほどがつづられていた。
「きっと闘病中の奥さんのためにきれいな一輪の花を贈りたかったのでは」
山川さんは新たな添え書きを書くつもりだ。「どこの誰だかは分からないけれど、ぜひ奥さんの墓前に花を供えてほしい」。花瓶にピンク色のバラを入れ、通りに面した自宅の裏の土手に置く予定という。
メモを残した人物がバラを持っていってくれるのを待っている。
(神奈川新聞)
(引用終了)
もう40年ほど前の話だが、大雪が降って道路が通行止めとなったことから、多くの車が動くことが出来なくなり、運転手は車の中で一晩缶詰状態になったことがあった。いつ通行止めが解除なるか分からないとして、車を離れることは出来ないとなれば買い物にも行けず、また近くに商店もないとなれば、空腹のまま通行止めが解除になるまで車内で待つことを余儀なくされた訳である。
すると40代位の女性が、お盆の上におにぎりを沢山のせて、空腹に耐えているであろう運転手に配っているのを見たので、私が「自治会で炊き出しでもしたのですか?」と尋ねると、その女性は「私の子どもが、一人旅をした時に、見ず知らずの方に大変お世話になり、いつか、そのご恩返しをしたいと思っていました。雪で車を動かすことが出来ない運転手さんがお腹を空かしていると思い、家でおにぎりを作ったのです」と話したことから、私は「なかなか出来ないことですね」と話し感動した覚えがある。
世間には、このような思いがけない善意に感動する出来事は沢山あるだろうが、お互いに助けたり、助けられたり、また素直に「ありがとう」と言えるような世の中であって欲しいもので、「人」という字の意味は人間一人では生きていけず、支えあってこそ「人」であるからであろう。
農家の方は勿論だが、家庭菜園で野菜や花などを栽培している方であっても、丹精して育てているものが盗まれるほど悔しいことはないだろう。家庭菜園でも作りすぎてしまい、食べきれないと思っていても、ご近所や知り合いなどに差し上げるならば良いのだが、声を掛けてくれれば譲っても良いからとして、無断では持って行かないで欲しいと思っている方も多いであろう。
報道によれば、30年以上、自宅の裏庭や土手でバラやアジサイ、梅などの花々を育てている横須賀市大津町の山川潔さん方で、声を掛けないまま、病床にあった妻に見せるため花を摘んでいたことを謝罪するメモが見つかり、それには妻が亡くなったことが記されていたとのことである。
花がわずかずつ摘まれていることを知った山川さんは「花が、ほしい方は申し出て下さい」と掲示し、約10日後の19日にメモが上から張られていたそうで、山川さんは「きっと闘病中の奥さんのためにきれいな一輪の花を贈りたかったのでは」と話しているそうである。
妻の治療費を払うために、花一本も買ってあげることが出来なかったのであろうが、近所の畑を借りて、少しばかりの野菜と花を栽培している私として、山川さんと同じ立場になった場合に、病床にあった妻に見せるため花を摘んでいたとなれば、無断では持って行かれたとしても、盗まれたとの意識はないし、むしろ、私が栽培している花で癒され、また、お役にたてて嬉しいと思うだろう。
世間には家の周りに沢山の花を植えている方があり、それが家の中から見えないとしても、外を通る方の心が癒され、気分を害することはないだろう。花や美しい音楽を愛する人に悪い人はいないと言われており、それを愛する優しい気持ちが人々の心を温かくし、人として生きる素晴らしさに感動することが世の中を明るくしていくのではあるまいか。
(2010/05/21)
写真:カタカナでつづられた謝罪のメモ
病床に有ると花が嬉しいものです。自分が癌で肺を無くして14年今も元気で散歩を楽しみにしているのは野に咲く花との「面会」季節により雑草との付き合いも楽しいものです。
”ちょっとした 路地に入れば 春が有る
日本列島 今花盛り”
妻のためとは言え、無断で花を摘んだ方の素直な謝罪、また、花の持ち主の方の心温まる気遣い、少し目頭が熱くなる思いで癒されました。
ありがとうございます。
私の母も園芸好きで、いろいろな花を育てては株分けをして増やし、欲しいという方に差し上げたり交換したりしています。ただ、中には大事に育てた花を鉢ごと、それも何回も盗まれることがあり、注意書きを貼ったりしているのも現実で・・・悲しいです。
コメントありがとうございます。私も花が樹が好きで、野山の散策で咲いている花の名前を覚えるために図鑑を何冊も買っています。近くの畑で栽培しているのは園芸種ですが、野の花と違って別な趣があり切花としております。美しく咲いている花を見れば、誰もが綺麗と感じるでしょうし、花の名前を知っていれば、野山の散策もさらに楽しくなることは間違いありません。
人が亡くなると、遺族や、お世話になった方が、生花を飾って故人を送りますが、少しでもやすらかな旅立ちを願うためではないでしょうか。庭に沢山の花を丹精して育ていた方が亡くなり、手入れされなくなった庭が荒れ出すのも寂しいものです。そのような家こそ、故人のために、前より多くの花を咲かせもらいたいものですね。
コメントありがとうございます。小さな親切運動とか、涙が出るほどいい話は沢山あるでしょうが、書籍として読んだことは何度もあり、こちらまで心が癒されます。
昨日、植樹祭のために私の住む神奈川県に天皇皇后両陛下がお出ましになり、車で通過される沿道で、お出迎えをしました。雨がかなり降っていましたが、通過の5分前に、お出迎えの皆さんは自発的に傘をたたみ、雨に濡れながら、両陛下のお姿を拝見しました。こんな感激をしたのは初めてで、思わず涙がこぼれてしまいました。
草花を自宅の庭に植えている方は多いでしょうが、それを盗む方がいるのは困ったもので、わが家でも過去に何度があります。花は盗んでも良いと勘違いをしている方がいるのは困ったもので、私は他人の庭に咲いている花であっても盗み見て良いと理解しており、実際に盗むのは犯罪でしょうね。
コメントありがとうございます。花を盗んでことは犯罪だとしても、このような事情があったとなると、栽培されている方は花を盗んで方を責められないでしょうね。
支那人には、花を愛する日本人の心は理解出来ないでしょうが、日本から贈った桜の木の件は、様子を見に行った方によると、手入れもされず、放置され、中には引き抜かれているものもあったと言うですから、話になりません。まあ、植林の概念がない民族ですから、砂漠化するのは当然で、日本が資金援助をしたとしても、無駄になるだけです。
桜の咲く時期に靖国神社を参拝したことがありますが、靖国は日本人にとって心のよりどころで、また神聖な場所で、国のために命を捧げた英霊達に感謝するのは当然で、他国にとやかく文句を言われる筋合いはありません。