きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト=スーパースター」[エルサレム・バージョン](2024年版 東京4回目)

2024年03月23日 | 劇団四季


加藤ジーザスは、前回は「死」は概念で
本当に自分が死ぬのか、
十字架にかけられてさえ半信半疑みたいなかんじだったけど、
今日は「死」はすぐそこで、
来るのはわかっているけど従うのも辛い。
「死ぬこと」について頭がいっぱいで、
周囲に気を使うことができないかんじかな。

晩餐でみんな呑気に飲み食いしてるけど!
自分は!
もう死ぬんだ!
ちゃんと言ってるのに誰も信じちゃいない!

表情は前回より薄い。
遠い席だと芝居も薄く感じられたかもだけど
今日は幸い舞台に近い席だから心情も見えた気がする。
諦念にいたる途中。
役としては脱皮中で、
どこに行き着くかまだ見えない。
何回も見るなら、そこも面白い。

鞭打ちもすごく痛そうだけど、
耐えようとする強い意志も見えた。
「死」が怖い、まだ普通の人間の域。

そういう、自分の辛さで頭がいっぱいなジーザスとは、
エモい佐久間ユダは
距離があって越えられない溝があって空回り気味で、

自分を見てくれないジーザスに問いかけ続ける。
スパスタでは、なにか答えを得られたのかも。
やはり佐久間ユダのエモさは汎用性があった。
確認できて大満足。
「マホメットは山をほんとうに」はアレンジなし。
それもまた良い。


ジーザスが死に向かうのを見守る江畑マリアには母性を感じた。
ジーザスもマリアには柔らかい表情を見せていた。

まあ、なんというか、キヨミチがいなくても、
普通の青年から神の子に進化する過程を見てきた神永さんがいなくても、
新ジーザスと若いユダ(キヨミチ比)でも、
面白い作品なのを再認識しました。


ジーザスの手のひらはカテコで赤い

金田ジーザスとスンラユダの距離感は、
それぞれの芝居をしていて噛み合っていない、
というかんじだったけど、
加藤ジーザスと佐久間ユダの溝は、
「だから良い」になる不思議。
こうあるべき、という自分の思い込みが薄らいだだけかな。

次は京都!


【配役】
ジーザス・クライスト 加藤 迪
イスカリオテのユダ 佐久間 仁
マグダラのマリア 江畑 晶慧
カヤパ(大司教) 高井 治
アンナス(カヤパの義父) 吉賀陶馬ワイス
司祭1 正木 棟馬
司祭2 玉木 隆寛
司祭3 川原 信弘
シモン(使徒) 柴田 鴻洋
ペテロ(使徒) 大空 卓鵬
ピラト(ローマの総督) 山田 充人
ヘロデ王 劉 昌明

【男性アンサンブル】
鈴木 貴雅
下平 尚輝
磯江 拓也
姜 大舜
佐々木 玲旺
木谷 光
鈴木 智之
横井 漱
瀬下 喬弘
佐橋 秀明
橋岡 未浪
平山 祥

【女性アンサンブル】
坂井 菜穂
黒田 果穂
小野 実咲季
高倉 恵美
安宅 小百合
廣本 則子
片倉 あかり
梅澤 紗椰
山田 志保
佐田 遥香
古森 麻由
立花 梨奈

コメント
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