きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレムバージョン 2014」(2回目)

2014年08月14日 | 劇団四季


東京は初日と千秋楽しか取っておらず
開幕してから追加を考えよう、と、
のほほんとすごしていたらいつの間にか完売。
慌てて前予に挑戦しました。
(この後の行ける日は完敗だったので取れて良かったです)

神永ジーザスは優しい笑顔もあるけど、
なんだか怒っているイメージが強い。
誰に?
どうして?
民衆に?
しかし晩餐で、その怒りはユダに向けられている気がした。

「俺のため」だとか、
「俺の気持ちがわかるのは自分だけ」とか、
ウジウジ悩んで悲劇のヒロインぶってるけど
全部違うんだよ!
お前の本当の気持ち、苦しみが理解できるのは俺だけなのに、
なんでわかってくれないんだ!

と、なんだかユダ → ジーザスより、
その反対の愛の方が強い気がする。
ジーザスの、苦い杯を飲み干す前の、
ただひとつの未練がユダみたいな?
お互い強い愛情があるのに、
見事にすれ違っている。

泣き崩れたユダを見たジーザス、
「泣きたいのはこっちだよ(怒)」みたいな?

やなジーとスンラユダは、ある意味、
精神的には心中に近いと思う。
心の交流はあった。
こちらは交わらない。
芝ユダは、隣に立つ立ち位置から、
正面で向かい合う立ち位置にシフトしたかったのかも。
でも失敗。
もう少し我慢すれば、復活するジーザスを見て
回答を全て手に入れられたのにね。

ジーザスが十字架に掛けられたあと、
ペテロ達は泣き崩れ、マリアはジーザスを頭をあげて見据える。
ジーザスの復活を最初に発見するのが彼女だと暗示するように。
いや~、女ってしたたかだわ〜。

はるマリアは、前半は「私のようなものに気を使っていただいて」のような遠慮、
というより、卑下するような、
立場をわきまえた大人の女性だったのに、
ソロのあとは「私が彼を守る!」ってかんじの少女にジョブチェンジ。
しかしジーザスが求める愛は彼女の中にはなかった。
全く絡まない三角関係だね。

キヨミチは高音が辛そう。
喉にきてるかなあ。
心配。
低音は響いているけど。
はるちゃんは時々音程が揺らぐ。
芸大出でもあれらの歌は手間取るのか。
そう思うとアカデミックな教育を受けていないのに
歌いこなせた野村さんってすごかったんだな。
もう過去系だけど。

はるちゃんは大人っぽくなったねえ。
最初に見たのは小夜ちゃんだったと思う。
研2で可愛い子役をやってた娘役が
「さよならフランス!」と見得を切れるようになったのを見て、
しみじみするような気分を、
いま、はるちゃんで味わっでいます。

「今宵安らかに」で、
ユダとマリアに挟まれているジーザスは
二股の魔性の男みたいだと思ったのは内緒だ。
男の心も女の心も自在に操る、それがジーザス。
コメント
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