きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「マダム・イン・ニューヨーク」

2014年07月19日 | 映画


オチはわかっていたけど、
そこまでの過程が良かった。

あんなにトロく動くのはNYじゃ危険じゃとか
(街の若者に鞄を取られるんじゃないかとヒヤヒヤ)
イケメンが都合よくとか思うことはたくさんあるけど、
真っ先に思ったのは
「お母さん、ごめんなさい」
でした。
親の愛情が全くわからない時期って誰にもあるよね。
親の些細な間違いとか笑っちゃうとか、
10代の傲慢な自分を思い出して反省。

妻に感謝しない夫にムカついたけど、
なんか言える自分じゃない、
と気がつく映画でした。

インドの家庭事情なども興味深かった。
家同士の結婚だけじゃ無いんだな、
西洋のようにダブルベッドなんだな、とかとか。

挑戦するマダムに拍手!

主演のシュリデヴィはとても美人で
フランス人が一目惚れするのに納得。

最後のスピーチは、流暢でで無いからこその説得力。
4週間でできることは限られている。
でも伝えたいことがある。
彼女の言葉ひとつひとつに頷いた。
結婚するカップルだけでなく、
世界の、どの家族にも、あてはまる言葉だった。


途中で「Interval」と出てきたけど
休憩は無かった。
元はもっと長くて休憩有りなのかな。
音楽も踊りもあったけどクドさはなく
話の流れに自然に入っていました。


NYに行く機内でマダムが見ていたのは
ジェイク・ギレンホール主演の
「ミッション: 8ミニッツ」でした。
さっき見てた人だよ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「複製された男」

2014年07月19日 | 映画
タイトルに偽りあり。
そんな話じゃありません。

以下、ネタバレです。
(注意しましたよ!)


TOHOサイトなどで見たあらすじからは
てっきりSFだと思ったんだけど
全くそんなネタではなく、
原題の「ENEMY」なら納得するんだけどな、
って、かんじでした。

妻が妊娠中に他の女と楽しみたいと思う男の妄想?
と、私は思ったけど、
公式ネタバレによると逆で
浮気していた男が妊娠中の妻のところに戻る話らしいです。
事故は、男女関係の終了、といこと。

妻と愛人のビジュアルが似ているし、
2人の男の話も重なるときはあるし、で
なんとなく同一人物なのはわかってきたけど、
オチが唐突すぎたなあ。

あれは結局、清算したように見えても、
自分の内なる敵(欲望)は消えません、ってことなのかな。

映像美はそれなりにあるけど、
テンポが緩くてひたすら眠い。

なにより、ミスリードをしようという意気込みに腹が立つ。
「こういう話だと思ったでしょ、実はね・・・」
をやりたいだけで、
ネタ自体はどうでもいいんじゃないかと思うぐらい。
それが上手くいく映画だと、
「やられたぜ!」と素直に負けを認められるんだけど
この作品は、「で?」と思って終了でした。


ただ、ね。
髭のジェイクの微妙な二役は楽しめました。
これだけでも見て良かった。

かつては美人だったと思わせるどすこいオカンが
バーグマンの娘なのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「砂の器」(第二回 新・午前十時の映画祭)

2014年07月19日 | 映画
純粋な他人の好意ほどやっかいなものはない。
戸籍詐称を責められる方がまだましかも。
父は一瞬で「知らない」と言えたのにね。
三木さんは、少年の成功を喜んであげられないのかなあ。
そういう人なのはわかるけど。

以前に見たときの方が、深くいろいろ考えてました。

2005年に見たときの感想 → こちら


以下、一部転載。
ついでに改行。


偽りの人生の中で、音楽の中にだけ「本当の自分」がいたんだろな。


映画的には、和賀が過去を、「宿命」を断ち切るために、
三木巡査を殺したと思うのですが、
観賞後一日たったところで、
逆に三木巡査が自分と父の「宿命」を断ち切ろうとしたために
殺したのかな、とも思えてきました。

和賀は、「秀夫」として以外、父に会いたくなかった。
「和賀英良」として、他人になった自分が会ったら、
父と自分の絆・宿命が断ち切られてしまう。
だから、「過去」に「宿命」を断ち切った三木巡査ではなく、
「これから」を断ち切ろうとする三木元巡査を殺したのかなあ、
なんて思ったり。
そうじゃなきゃ、殺さなくてもいいよね。
演奏会が終わったら行く、とか、言い繕えるもんね。

愛人に自分の子供を堕胎させようとしたのは、
父と自分の「宿命」に、他人を入れたくなかったのかなあ、とか。
田所さん達は打算だから別にいい、
ってか、自分の中ではあくまでも「他人」。
と、自分の好みの方向に話を解釈するワタシ。

でも、「ピアノ協奏曲『宿命』」から受け取れるのは、
忘れたい「過去」じゃないよね。
「永遠に途絶えることのない流れ」のように私はかんじました。
辛くても恨めしくても、愛おしい、逃れることのない流れの中に、
和賀は自身を置いているように見えました。
そこには、父と自分しか存在していないんだろうなあ、と。
それが「音楽を通して父と会っている」ということなんだろうなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする