民主党46人訪中 衆参本会議見送り、与党はカンカン
2007.12.3 19:00
民主党の小沢一郎代表ら衆参46人が訪中する余波を受けて、6、7日の衆参本会議が中止に追い込まれた。これによりNHKの命令放送を廃止する放送法改 正案の衆院本会議の採決が週明けにずれ込むなど、15日の会期末までの国会日程はますます窮屈となり、与党側は不満タラタラだ。
衆参本会議の中止は、民主党の山岡賢次国対委員長が3日午前、自民党の大島理森(ただもり)国対委員長に電話で申し入れた。
大島氏は、参院外交防衛委員会で定例日(火曜、木曜)以外の7日に新テロ対策特別措置法案を審議することや、厚生年金救済特例法案を3日の衆院本会議で可決することを条件としたが、山岡氏も訪中するため、週後半の与野党折衝は中断を余儀なくされることは確実だ。
大島氏は3日午後に開かれた自民、公明両党の衆参国対委員長会談で、「極力国会運営に支障がないようにしなければ…」と厳しい表情で述べ、状況を説明。出席者は「40人以上が会期末に国会を開けるとは非常識も甚だしい」など不満をあらわにした。
3日夕の自民党役員会でも、鈴木政二参院国対委員長は「訪中団は参院だけで25人。参院定数の1割を占めており、いかにも多すぎる」と怒りを爆発。伊吹文明幹事長は「議員の第一の公務は審議に参加することだ。歳費に見合う活動をしてもらわねば」と皮肉った。
参院民主党は参院自民党に対し、閣僚が海外出張する際に出発前の日程報告や帰国後の報告書提出を求める文書を送り、「実現しない場合はそれなりの手段に出る」と通告したばかり。それだけに参院自民党幹部は「他人に厳しく、自分に甘い連中だ」と怒りが収まらない。
これに対し、民主党側は「本来なら国会は閉会している時期だ。自民党の都合で会期が延びただけで、批判はお門違いではないか」(幹部)と反論している。
(産経新聞)
(引用終了)
民主党は新テロ特措法の対案を出すと言っておきながら、未だに出していないようだが、これでは新テロ特措法に反対することが対案のようであり、であるか ら、民主党として、それほど重要な法案とは考えておらず、12月15日に迫った会期末まで参院における審議を引き延ばし、廃案に追い込めば良いと思ってい るようで、だから、対案を出すふりをしているに過ぎず、最初から出すつもりはなかったのであろう。
その民主党の衆参議員46人が、国会開会中でありながら、審議をさぼって12月6日から3日間の日程で支那に慰安旅行に行くようだが、そのために6、7日 の衆参本会議が中止に追い込まれる事態になったようであり、確か民主党は「国民の生活が第一」と言っていたような気がするが、国民とは日本国民のことでは ないことが、今回の国会審議をさぼり、以前から予定していたとは言え支那に慰安旅行に行く私用を優先したことからして、そのような認識を持った方も多いの ではなかろうか。
日本の「国民の生活が第一」であるとの認識を民主党が持っているのであれば、国会審議を優先すべきであり、どうしても12月6日から支那に慰安旅行に行かなければならない訳でもないだろうし、国会が閉会になってからでも行けるのではないか。
当然ながら、自民党としては会期末が迫っていることなどから、怒りたくなるであろうが、これに対して民主党側は「本来なら国会は閉会している時期だ。自民 党の都合で会期が延びただけで、批判はお門違いではないか」(幹部)と反論しているそうであり、会期が延びた原因は自民党にあって民主党にはないのだか ら、国会開会中に支那に慰安旅行に行っても良いではないかとの理屈だが、これではガキの言い訳を聞いているようである。
この民主党議員による国会開会中における支那への慰安旅行をマスコミが批判しないのは不可解であり、やはりマスコミには自民党に関してはどんな些細なこと でも批判するが、民主党に関しては、例えば「永田町の不動産屋」と言われている小沢代表の不祥事は追及しないように、敢えて報じないと決めているとしか思 えない。
支那に慰安旅行に行った民主党議員がどのような濃厚な接待をされるのか知らないが、色々な指令を受けるであろから、帰国してから、どのような発言をするか注目する必要があるだろう。
日本の国会議員でありながら、日本のことより、支那に慰安旅行に行くことが大事なのであろうから、有権者は支那に媚びる議員が今までいかに国益を損ねてき たかについて危機感を持って欲しいもので、そのような議員は自民党にもいるが、いずれも売国奴と言われているではないか。
支那にしてみれば、国会審議をせずに忠義を尽くしに来る民主党議員のことを良識を持った議員と評価するであろうが、もう一つの見方をすれば馬鹿にされてい るのである。だから支那に媚びる議員は日本国民と支那の両方から馬鹿にされているのであって、だが、そのような認識はないのであろうが、もしあったとして も、濃厚な接待のある支那への慰安旅行が忘れられないのであろう。
(2007/12/04)