私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

佐藤守氏に暴言を吐いたのは朝日新聞の田岡俊次氏だ

2014年09月20日 20時48分37秒 | 偏向マスコミ

【朝日の大罪】朝日新聞は報道機関ではないのではないか 元空将・軍事評論家佐藤守氏

2014/09/18

 朝日新聞を「報道機関」と見るから腹が立つのである。今回の慰安婦問題や、東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長の証言をまとめた「吉田調書」の大誤報をめぐる対応や、同社の過去を振り返って、私は「実は、朝日は報道機関ではないのではないか」と思わざるを得なくなった。

 保守派言論人の中には「朝日は終戦後、変身した」という人がいる。確かに、朝日は戦争中、「海鷲の忠烈、万世に燦たり」などと軍を賛美し、「鬼畜米英」と国民の反米意識をかき立てた。従軍記者の報道を大々的に報じて大きく部数を伸ばした。

 だが、開戦(1941年12月)の3カ月前に発覚した「ゾルゲ事件」を忘れてはならない。

 同事件では、朝日記者だった尾崎秀実(ほつみ)が首謀者の1人として逮捕された。尾崎は近衛文麿政権のブレーンとして、政界や言論界に影響力を持っていたが、実際は共産主義者で、コミンテルンの指示で諜報活動や、日本軍の北進(ソ連侵攻)を阻止する工作活動を行っていた。

 尾崎は「対中国強硬論」「対米開戦論」を声高に主張していた。ソ連を日本から守る一方、日米両国を戦わせて双方を自滅させ、戦後の世界をソ連が支配するために狂奔していたのである。

 朝日報道などの後押しも受け、日本は対中、対米戦争を戦い、敗戦した。

 日本人は諜報・工作活動に疎い。古今東西、「報道の自由」を旗印に情報活動ができる新聞記者はスパイに近い職業だが、政治家や高官は「新聞記者」なる肩書に、つい気を許してしまう。

 1963年に統合幕僚会議事務局に勝手に入り込んだ新聞記者が「演習秘文書」を持ち出し、社会党議員に渡して国会で大問題になる「三矢事件」が起きた。この時の“窃盗犯”は出世したようだが、“被害者”である自衛官は処罰され、日本で有事研究はタブーとなった。

私が空幕広報室長時代(当時・一佐)、庁内を闊歩(かっぽ)する朝日の記者が、公務中の私の机上の文書に勝手に手を伸ばすので注意した。すると、記者は「一佐なんか飛ばしてやる!」と暴言を吐いた。われわれは、彼らをジャーナリストとして扱わざるを得なかったが、その正体は「インテリやくざ」に他ならなかった。

 朝日の慰安婦や「吉田調書」報道の“恩恵”にあずかってきたのは、世界各国で日本を貶める活動を続けている韓国や中国だろう。その大誤報について、朝日の木村伊量(ただかず)社長は先週11日夜、やっと記者会見を開き、謝罪したが、他国の誤解を解くための真剣な努力をしているようには見えない。

 これでは、真実を伝える報道機関ではなく、他国のために動く「工作機関」といわれても仕方がないのではないか。

 ■佐藤守(さとう・まもる) 1939年生まれ。63年、防衛大学校を卒業し、航空自衛隊に入隊。66年、スクランブル任務に就く(総飛行時間3800時間)。外務省国連局に出向。三沢基地司令、松島基地司令、南西航空混成団司令などを歴任。97年に退官する。元空将。岡崎研究所特別研究員。著書に『日本の空を誰が守るのか』(双葉新書)、『お国のために-特攻隊の英霊に深謝す』(青林堂)など。
(zakzak)

(引用終了)


 もう40年以上前の話だが、神奈川県内のある市議会で、保守系無所属議員が、記者クラブの無償供与について市当局を質したことがあり、要するに市役所内にある記者クラブに関する経費がすべて無償であるのは理解出来ず、なぜ市が負担する必要があるのか根拠を質した訳で、これに対して市長は慣例であるとして根拠を示さなかったそうである。

 記者クラブとは新聞各社が共同して、どこかの建物を借りるなどしてクラブを設けている訳ではなく、市役所や警察署などの官庁内に設けており、もちろん官庁側の無償提供であって、賃貸契約もなく、備品から光熱費などもすべてタダで、雑用の女子事務員がいれば、その人件費までも官庁側が払っており、要するに国民の税金で、記者クラブが維持されている訳である。

 新聞記者たちは、冷暖房完備のクラブ内で、マージャンなどをして待っていれば、官庁側がニュース原稿として使えるものを提供したら、それを少し脚色して送稿すれば役目は終わりであり、それがそのまま紙面を飾ることになるが、だから、記者(汽車)ではなく、トロッコだと揶揄(やゆ)されているのである。確かに汽車は自分で動くことが出来るが、トロッコは牽引して貰わないと動けないからで、自分の足で取材しなくとも記者は勤まるのだから気楽な仕事ではなかろうか。

 慰安婦の強制連行したとの32年前の記事を取り消したものの朝日新聞に対する批判は止むことはなく、月刊誌や週刊誌は朝日批判で溢れているが、今まで朝日を擁護してきた反日サヨクは元気がないようで、朝日が廃刊の危機を向かえているのだから、今までのように必死に擁護すべきだが、ここは黙っている方がいいとでも思っているのであろう。

 zakzakによれば元空将・軍事評論家佐藤守氏も朝日批判に参加したようであり、佐藤氏は「実は、朝日新聞は報道機関ではないのではないか」と思わざるを得ないとし、既に佐藤氏が指摘する前から報道機関ではなく工作機関だとの声が出ているからである。確かに日本と日本人を貶めることは報道とは言い難く、支那や韓国の言いがかりを、そのまま垂れ流すのだから話にならないし、前述した記事を取り消しの件でも、謝罪をしたふりをしているだけだと良識を持った日本国民から認識されて、その朝日への嫌悪感が増している訳である。

 佐藤氏は航空幕僚監部広報室長時代(当時・一佐)に、庁内を闊歩(かっぽ)する朝日の記者が、公務中の佐藤氏の机上の文書に勝手に手を伸ばしたので注意したところ、その記者は「一佐なんか飛ばしてやる!」と暴言を吐いたと書いているが、今、朝日を批判するのが時代の要請なのだから、記者名が書かれていないのは残念である。

 では、私が佐藤氏に代わってその朝日の記者名を明らかにする。現職の自衛官に対して「飛ばしてやる!」と暴言を吐いたのは、当時の朝日新聞編集委員であった田岡俊次氏ではなかろうか。この件は昭和61年の「文芸春秋・新年特別号」に大久保昭三氏による「日航事故・ある自衛官の涙と殺意」に詳しく書かれている。

 日航事故とは、昭和60年(1985年)夏に群馬県上野村の御巣鷹の尾根に日航機が墜落して520人が犠牲になった事故である。この事故でも自衛隊による大規模な救助活動が行われたが、夜間捜索が可能な赤外線暗視装置を装備していないヘリは投入出来ないのに、無知な評論家と一緒になった偏向マスコミは「なぜ夜間捜索をしないのか」と自衛隊を批判した訳で、いつもは、そのような批判に反論もせず、耐えていた自衛隊であったが、現職自衛官であった佐藤氏が実名で「いわれなき批判に反論する」として月曜評論に論文を掲載したのである。

 その論文に偏向マスコミは再反論出来ず沈黙したが、なぜか田岡氏は佐藤氏に対して「必ず国会の問題になる から今のうちに訂正文を書いた方が良い」「お前を飛ばすのは簡単だ」と罵倒したという。訂正文とは日航事故に関することでなく、佐藤氏が同論文の中でふれた昭和46年に岩手県雫石上空で起こった全日空機と自衛隊機の空中衝突事故のことについてである。

 佐藤氏は全日空機がジェットルートを逸脱して訓練空域に進入したことと、飛行速度が早かった全日空機が遅かった自衛隊機に追突したことは、全日空機の機長は前方の見張りを怠っていたとしか考えられないとし、それが事故の原因であると書いており、それを田岡氏は問題になるから訂正文を書けと恫喝した訳である。

 自衛隊が関係する事故があると何でも自衛隊が悪いとする報道しかしない偏向マスコミだが、佐藤氏は、それに真っ向から批判を加えたのだから痛快であり、朝日の記者がどれほど偉いのか知らないが、現職の自衛官に対して「お前を飛ばすのは簡単だ」と罵倒したことがある田岡氏となれば、慰安婦の強制連行の捏造記事を書いた植村隆記者などと同様の運命をたどることになるであろう。
(2014/09/20)

写真:現職の自衛官を罵倒した朝日新聞の田岡俊次氏