先日、同僚と話をしてゐて、生物の教科書がとても詳しく、厚くなつたといふ話題になつた。
そこには、生物の教員がゐなかつたので、ざつぱくな話ではあるが、体育の教師がそこにいゐらしたので疲労の話をした。「例へば疲労といふ現象も、以前は乳酸がたまつて起きると説明されてゐたが、今では脳の認識の問題が大きいさうですよ」。「なるほど、さうですね。筋肉に乳酸がたまつたといふ事実と、疲労感が生じるといふ事実が二つ同時に起きたら、そこに因果関係があるとして疲労のメカニズムとして説明したといふことですね」。
「鶏が鳴いた」と「朝日が昇つた」との関係は因果関係でないのは明らかだから、さう言ふ人はゐないが、疲労の場合には、結果的現象である二つの事柄に因果関係を見出してしまつたといふわけだ。少し話題が違ふかもしれないが、歴史の教師にからめて、「今は、日本史の教科書に士農工商を身分制度と関連付けて説明はしてゐませんよね」と振ると、「その通り。武士とそれ以外といふ区分はあるが、それが身分制度であるとは説明しない」とのこと。現象を意味づけるのは、見る側の観念である。観念はじつに巧妙な論理をまとつて表出されるから、人は惑はされる。論理といふものは、じつに厄介である。
はじめに結論ありき。その結論を根拠づけるために論理が用ゐいられる場合には、よほど警戒が必要だ。裁判といふことの難しさもそこにある。冤罪を防ぐためには正確で公正な審理が必要だが、はじめに無罪ありきで理論武装した弁護士や、はじめに有罪ありきで証拠を探してくる検察官との言葉のやり取りを、正確で公正に判断するのは極めて困難だ。論理でカモフラージュすれば、人は平気で嘘をついてゐられるからである。
自己欺瞞といふものには、こちらが相当に警戒してゐてもからめとられてしまふのである。
1968年、「プラハの春」があつた。チェコスロバキアのプラハをソ連の戦車が侵攻し、人々を弾圧した。ソ連は東欧の秩序を維持し当面の安定を獲得した。しかし、その時代を生き、一部始終を見届けてゐたゴルパチョフによつて、ソ連の改革そして崩壊といふ時代を迎へたのである。つまり弾圧した側が、そのことによつて内部に内省の力を生み出し、自らを瓦解させるといふことである。そこに働いてゐた力は「論理」ではない。じつに「良心」の働きである。少々荒つぽい説明であるが、私たちが自己欺瞞や論理の脆弱性から身を遠ざけるためには、やはりこの「良心」といふ小さい力に頼るしかない。
強いものが強いが故に内包してしまふ矛盾=自己欺瞞は、論理によつては打ち破られない。弱いものが良心によつて生き続けるか、強いものがその声を聴き続けるか、そのどちらかが歴史を作り上げてきたのである。
しかし、それには時間がかかる。長い時間の単位で物事を見つめる必要がある。それができないから、多くの場合、弱いものが死に、強いものがより一層の悲劇を生み出し、その悲劇にまみれて自壊していくといふスタイルになりがちなのである。