言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

やはり「待つ」しかない時代

2019年06月16日 21時30分33秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今から8年前の2011年の2月に、次のやうな文章を書いた。時事評論石川に掲載していただいたが、その感慨は一層深い。何もかも結論が出ずに、消しゴムで字を書いてゐるやうな時代である。しかし、それはいつしか訪れるだらう本物の時代が来るまでは仕方なく過ごさねばならない時代である。私たちの責任のすべてはそこにある。保守にしても守るべきものがすでにない。革新にしても改めるべきものがない。何もかもが「人ぞれぞれ」の時代には、共有すべきものが見つからない。壊してしまつたのだから仕方ない。しかも、その破壊は「創造的破壊」などとうそぶいて行はれ、破壊してゐる意識すらもない。壊された時代に出来ることは、ひたすら「待つ」ことだけである。

 「いつまで待てるかな」

 

「待つ」しかないではないか――代用の近代の終り

文藝批評家 前田嘉則

  この十年の間に總理大臣が八人誕生してゐる。小泉純一郎氏の五年半の在任期間を除けばその他の首相は一年にも滿たず、いかにも短い。しかもいづれも自滅型。現首相などは、言ふに事缺いて「これまでは假免許」などと言ふ始末で、まつたく政策に「疎い」のだから早晩自滅する。

  かうして見ると、確かに近年の政治家の不手際や稚拙さは疑へない。しかしながら、さうした政治家の不手際を承知の上で、私たちの輕信や短慮も省みる必要は大いにある。議員を選んだのは我我であるといふ民主主義の第一義を思ひ出せといふのではなく、他人任せの言動が習性になつてゐては、政治家をとやかく言へる筋合ひではないといふことである。かういふ愚行を繰り返してゐるうちにとんでもないことが起きるといふのが歴史の教へるところではないか。

時の訪れを待つ林達夫と太宰治

かつて林達夫は眞珠灣攻撃を前にした昭和十五年に『歴史の暮方』を書いた。日本の戰勝が傳へられ國民の意識が對米參戰へと昂揚していく時代、それは言つて良ければ多くの人人にとつて「歴史の明方」に思へた時期に書かれたものであつた。林はかう記してゐる。

 

絶望の唄を歌ふのはまだ早い、と人は言ふかも知れない。しかし、私はもう三年も五年も前から何の明るい前途の曙光さへ認めることができないでゐる。だれのために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさつぱりわからなくなつてしまつてゐるのだ。

 

  もちろん、林の慨歎は今とは逆である。人人は希望に溢れて浮かれてゐた時に彼はそれを憂いたといふことである。かうした感慨は或る種の知識人の中にも共有されてゐるものでもあつて、太宰治は同じ年の小説「鴎」にかう書いてゐる。

 

  「待つ」といふ言葉が、いきなり特筆大書で、額に光つた。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は、沖をさまよひ、さう思ひつつ、けれども無言で、さまよひつづける。

 

 聲の出ない、いや出せない鴎に太宰は自分を見、時代に流されて生きていかざるをえない自身の荒廢の姿を見てゐる。それほどに浮かれた世相を訝しむのであらうか。そこには戰後の作品に露骨に出てくるやうなあのデカダンスは現はれずに、時を「待つ」ことに救ひを見出さうとしてゐるかのやうである。この鴎のなんと健氣なことか。

 二年後の昭和十七年には、その名も「待つ」といふ掌篇小説を太宰は書いてゐる。主人公の「私」にかう語らせてゐる。

 

    一體、私は、誰を待つてゐるのだらう。はつきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしてゐる。けれども、私は待つてゐる。

 

  林にしても太宰にしても、眼前の世相を越えて次の世界を見つめてゐた。林の方が絶望は深く、太宰にはわづかな期待があつたのかも知れぬ。あるいはそれが、思想家と小説家との資質の違ひかも知れぬ。ただ一つ注意しなければならないのは、戰前の社會は決して今日の我我が思ふほど暗黒な社會ではなかつたといふことだ。時は對米戰が始まる意氣揚揚とした時代である。昭和十五年は紀元二千六百年。國民は御祭りムードであつたといふのは端的な例である。彼等は「歴史の明方」を見たのである。しかし、林は「歴史の暮方」を見、先のところに續けてかう記してゐる。

 

 流れに抗して、溺れ死することに覺悟をひそかにきめてゐるのである。(中略)選良も信じなければ、多數者も信じない。みんなどうかしてゐるのだ。(あるいはこちらがどうかしてゐるのかも知れない。)こんなに頼りにならぬ人間ばかりだとは思つてゐなかつた。

 

「選良」とは代議士のことである。流れる世相は「選ばれし優れた人人」や「みんな」を撒き込み溺死させる。頼りになる人間は誰もゐない。どうして流れに抗する人は誰もゐないのか、慨歎と無力とを感じながら、ただ現實をよく見て考へよと叫んでゐるやうだ。だから「要望と現實とをすりかへてはならない。無いものはあくまでも無いのだし、缺けてゐるものはあくまでも缺けてゐるのだ。率直に先づそれを凝視することから始めるべきだ。冷酷無慙に」と言へたのだ。

絶望氣取りの「お調子者」

  では、現在はどうか。安直な「絶望の唄」ばかりが巷に聞かれ、思想家や選良は格差や貧困を取り上げ、同情と慰めとをテーマに書き上げてゐる。「無いものはあくまでも無いのだし、缺けてゐるものはあくまでも缺けてゐる」と「冷酷無慙に」言ふ者はゐない。

 大學生の就職率が低いことを稱して「超氷河期」などと叫ぶが、絶望氣取りとしか聞えない。彼等の就職率の低さの要因はマッチングの問題がほとんどで、高望みさへしなければ就職先はいくらでもある。愛社精神のかけらもないやうな大學生が大企業の安定性(それもどこまで保證されるか不透明な時代であるにもかかはらずに)だけを求めて、ひたすらそこからの内定をもらふために奔走する構圖は、喜劇のそれである。その上親が一緒になつて「絶望の唄」を歌ふといふのであれば、それは場面を盛上げるBGMにしか聞えない。學生時代はさんざカラオケで馬鹿騷ぎをしてゐて、それで就職がうまくいかなければ時代を憂ふ、そんな人間こそが氷河である。就職に至らない原因を内省する、それこそが氷河を解かす早道であらう。

 

    生命を捨てるといふことは人人が想像するほどそんなに苦痛ではないが、生死の苦勞を重ねるといふことは持續的な緊張ゆゑに生易しいわざではない。我我は後者の點で未だ深刻な試煉を經てゐない國民であることを遺憾ながら認めねばならぬ。逆境に入つて取り亂すものは、要するにお調子者に外ならない。我我はそのお調子者だつたのであらうか。

 

  この「新スコラ時代」を林が書いたのがやはり昭和十五年である。その後敗戰があり、占領時代へと續くのであるが、林は「未だ深刻な試煉を經てゐない國民である」との認識を變へてゐない。そして私は今もさうだと思ふ。敗戰が終戰に言ひ換へられ、押付け憲法が押戴き憲法になつてしまひ、國語を表音化し、人間關係を平板化し、國旗を掲げずガムを噛みながら國歌を聽いて平氣な國民が、自分の自分だけの未來に暗雲がたちこめると途端に大聲で「絶望の唄を歌ふ」といふのはその證據である。「いつまで經つても歴史の夜明けが來ない」と明るい電燈の下で嘆いてゐる。電燈がやや暗くなつてきて「取り亂し」てゐる姿は「お調子者」そのものである。

他人任せの似非近代との決別

 さうであれば、今は「待つ」しかないのだ。自由でも民主主義でも何でもいい、私たちが近代の中で作り上げたものが代用品でしかないといふことを自覺して、叮嚀に誠實に作り直すといふ手順を辿る以外にはない。自分の心根を振り返つてどうだらうか。例へば、自由といふ言葉を考へてみればいい。他人に取り入らうとする心根との決別なしには自由の確立など起き得ないとは思はぬだらうか。始まりはそこからである。その上で他者への期待はすべきだ。

 政治家に對して期待するのは、國民を恐れるなといふことである。「民はこれを由らしむべくして知らしむべからず」と「論語」が言ふのは、國民に眞實を知らせることは難しいのだから、默つて從はせればよいといふことであつて、それを斷行する氣概こそが必要なのである。

 誰も彼もが他人任せの批評家氣取りになつてしまつた。そこには左右の別なく、現代日本人の作法なのである。しかし、もうこの作法ではやつてはいけない。精神の構へこそが必要なのだ。その心構へが生れるのに時間がかかるといふのであれば、それは待つしかないではないか。いやもう待ち續けたではないか、いい加減にしろ、トンネルはまだ拔けないのかとの聲も聞える。しかし、それが出來てゐない以上待つしかないではないか。見渡してどこに信頼に足る人がゐるか、いやその前に信頼に足る自分になつてゐるか。なつてゐないのであれば、それを實現することは、それだけで十分に一大事業である。時間をかけるしかあるまい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『教育幻想』を読む。

2019年06月15日 16時56分50秒 | 本と雑誌
教育幻想 クールティーチャー宣言 (ちくまプリマー新書)
菅野 仁
筑摩書房

 本は読んでゐないわけではないが、最近はブログに書く心のゆとりも時間もないので、読んだ本について書くこともない。いや、やはり読書量は減つてゐるかな。雑誌や新聞の記事を読んだり、国語も問題集や大学入試の過去問題を解いてゐたりして、断片的な読書が続いてゐる。継続して分厚い小説を読んでゐるが、いつ読み終はるか分からない。

 さう言へば、この本も入試問題に取り上げられてゐた抜粋がとても印象に残つたので読んでみることにした。それも今の職場の状況がよくないから、「教育」に変な「幻想」を持ち込むなよといふ思ひが引き寄せたのかもしれない。さう言へば、最近手にしたり購入したりする本はほとんど「教育もの」である。

 作者の菅野仁さんは、1960年生まれだから私より少し上の人。宮城教育大学の先生だつたが、2016年に亡くなつてしまつた。そのことは、この本を読んでゐる途中で気になつて調べたら分かつた。56歳での死は、いかにも若すぎる。大事なことを書いてゐるから、もつと発信し続けてほしいと思つてゐたのに残念だ。

 教育は理想を追ふことは大事だが、現実を蔑ろにしてはいけない。あるいは、現実に流されて理想を追ひかける信念がない教師であつてはいけない。私が理解したこの本のメッセージである。そして、そのことに私は完全に同意する。いくつもいくつ例を挙げながら、そのことを丁寧に丁寧に論じていく。その忍耐力ある筆耕に敬意を表する。

 完全に同意するからもう二度と読まないかと言へば、さうではない。何度も読むべき本である。それほどに、支へを失つた現代日本の教育なのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一か月の休みがあれば

2019年06月09日 18時02分56秒 | 日記

 昨日、あるセミナーに参加した。教員や教育行政の公務員たちが集まつて学びを深めようといふ主旨で、初めて参加したが面白かつた。

 かういふセミナーに来る人は、普段は知らないがその場では「善人」になつてしまふからちょつと気が引ける。「本音で話しませう」と言はれても、とてもとても本音でなんて話せない。初対面で本音で話されたら、こちらも引いてしまふ。だから、当然こちらも本音でなんて話せない。お互ひに値踏みしながら少しづつ話せる深度を深めていくといふのが作法である。

 4時間ほどのセミナーなので、多少「きれいごと」で終はつてしまつたところもあるが、結構面白いものだつた。一つ得た収穫は、非認知能力と呼ばれる資質が学びには大切だといふ知見だつた。お恥づかしいが、さういふ言葉を知らなかつた。「認知能力」の開発や「メタ認知」といふことは学習理論として知つてゐたつもりだが、非認知能力といふのが今どきの子供たちには特に必要らしいといふことを初めて教へてもらつた。そして、その開発には「自己紹介」を徹底的にするとよいといふことあつた。自己紹介をしながら、自分とはさういふことを考へてゐる存在なのかといふこを知ることができる。それがよいのらしい。そこで、実践をしてみた。

 それは単純な自己紹介ではなく、「一か月間の休暇があれば、あなたは何をしますか」といふものであつた。3分ほど考へて、1分間話せといふ課題であつた。

 6名でグループを作り、それぞれの話をうかがふ趣向。かういふが苦手である。今どきのセミナーは、かういふ「実践」があるのが好かない。でも仕方ないからやつてみた。

 私が話したのは、「本の整理」といふこと。ストレスがたまると本を買つてしまふ。ストレスのほとんどは、授業がうまくいかないことによるもので、それが知識の不足に拠るものと感じるから、あれこれと本を買つてしまふ。それでゐて読むスピードは遅いから、いきおひ読んでゐない本が山積みになつていく。それがさらにストレスになるといふ悪循環をもう何十年も続けてゐるから、本はときどき捨てなければならない。そんなことを話した。

 ほかの人は、海外に行くとか、料理の勉強をするとか、言つてゐた。

 かういふ話を何回もやつていくうちに、「気づき」が生まれるのだらうか。それでも少しだけ興味が沸いた。

 今日は、これぐらゐにしておかう。

非認知能力 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする