もうだいぶん日が経つてしまつたが、今月の十日に生徒らと42㎞を歩いた。渥美半島の付け根から先端の伊良湖岬までである。学校からバスで移動し、朝の6時過ぎにスタート、夕方の4時過ぎに到着。雨、雪、アラレの降る中であつたが、ひたすら歩くといふことの素晴らしさを感じた。
歩くといふ単純な作業がとても心地よいのは、無心になれるからであらう。もちろん足は痛い。お腹は減る。雨や雪で体は冷える。だから、瞬間瞬間は雑念の連続である。だが、それは身体の感覚であり思念ではない。ただひたすらに次の一歩を前に出すことに集中するうちに、雑念は通り過ぎていく。その心地よさがあつた。
もちろん、十分な準備は必要であつた。歩くことを馬鹿にはできないと思つたからである。大きく準備して小さく期待する。このことを改めて知つた。
生徒たちには、翌日、短歌を書かせた。行事のたびに歌を詠ませるが、今回ほど力が入つた歌はなかつた。どれも素晴らしいが、次の歌が秀逸だと感じた。
バスの中小一時間の帰路につく靴紐をまた結び直した
彼は、ずつと歌を歌ひながら歩いてゐた。疲れを見せることなく先頭グループにゐて楽しんでゐる様子であつた。しかし、期するところがあつたのだらう。充実感と決意とが歌から感じられる。秀歌だと思ふ。
私の歌には、さういふ感動はない。生徒たちの完歩して興奮する姿を見た喜びを詠んだものである。
歩き来てはしやぐ生徒のスマホには怒濤に浮かぶ赤玉があり
寒風に荒立つ波の上には綺麗な夕陽があつた。
歩くといふ単純な作業がとても心地よいのは、無心になれるからであらう。もちろん足は痛い。お腹は減る。雨や雪で体は冷える。だから、瞬間瞬間は雑念の連続である。だが、それは身体の感覚であり思念ではない。ただひたすらに次の一歩を前に出すことに集中するうちに、雑念は通り過ぎていく。その心地よさがあつた。
もちろん、十分な準備は必要であつた。歩くことを馬鹿にはできないと思つたからである。大きく準備して小さく期待する。このことを改めて知つた。
生徒たちには、翌日、短歌を書かせた。行事のたびに歌を詠ませるが、今回ほど力が入つた歌はなかつた。どれも素晴らしいが、次の歌が秀逸だと感じた。
バスの中小一時間の帰路につく靴紐をまた結び直した
彼は、ずつと歌を歌ひながら歩いてゐた。疲れを見せることなく先頭グループにゐて楽しんでゐる様子であつた。しかし、期するところがあつたのだらう。充実感と決意とが歌から感じられる。秀歌だと思ふ。
私の歌には、さういふ感動はない。生徒たちの完歩して興奮する姿を見た喜びを詠んだものである。
歩き来てはしやぐ生徒のスマホには怒濤に浮かぶ赤玉があり
寒風に荒立つ波の上には綺麗な夕陽があつた。