しばしの夏休みである。昨年は有吉佐和子を読んだ。読むのが遅い私には、ひと夏をかけて数冊を読んだだけであるが、とてもいい読書生活であつた。
今年はと言ふと、誰の作品をといふスタイルにはなりさうもない。読むべき本を五冊ほど机の上に置いてあるが系統はばらばらである。読んで面白ければ、またここに書かうと思ふ。
さて、今は生徒に出した宿題をやりつつ、入試問題を解いてゐる。手始めに京大の今年の問題を解いてみた。文理共通の大問一は、阿部昭の『短篇小説礼讃』であつた。かういふ文章を入試で出すところが京都大学の面白さであるが、「文章でも写生ということがよく言われるが、その喩えはむしろ誤解を生みやすい」に傍線が施され、「筆者はなぜこのように考えるのか」と問うてゐる。「文章でも写生ということがよく言われるが」とあっても、受験生はさういふことが「よく言われる」世界には住んでゐない。「えっ、さうなんですか」である。だから、受験生は困つただらう。事実、予備校の集めた再現答案でもこのことの説明は不十分であつたやうだ。
「写生」とは、文学史的には「写実」のことである。明治二十年代、坪内逍遥、小説神髄と思ひ出し、自然主義から私小説へとつながる日本文学の一方の流れのことであると思ひ至り、「ありのままに現実を写し取ること」と定義できれば、しめたものである。先の京大の問題でもさう書いてあれば高得点が望める。
ちなみに福田恆存や中村光夫なら、リアリズムを現実主義と訳さずに写実主義と訳してしまつたがゆゑに、小説(藝術)が現実の投影でしかなくなり、日本近代文学が貧困になつてしまつたと記すところである。丸谷才一なら「日本の文学が暗くてじめじめしてしまつたのは、リアリズムを写実主義と訳したからだ!」と大声でどなり散らすことである。
ところが、「文章でも写生ということがよく言われる」世界に生きてゐない生徒たちは、何のことですか? である。
この一学期、昨年度の三学期に『こころ』を読んだから、一度日本近代文学史を整理しておかうと思ひ、珍しく五時間ほどを使つてその内容を扱つた。彼らの顔は、一応にその「何のことですか?」といふ顔つきであつた。
戯作文学で始まった明治の文学は、現実と理想とが見事に交差しながら「成熟」して行つた。前者は、翻訳・政治小説→啓蒙主義→写実主義→自然主義→私小説→新現実主義・プロレタリア文学、後者は、擬古典主義(紅露の時代)→浪漫主義→反自然主義(高踏派・白樺派・耽美派)。かうしたことを話しながら、文学の流れが日本近代の思潮を示してゐるといふことを話した。しかしながら、文学が国民文化の象徴であることを経験したり、さういふ在り方を考へたりしたこともないので、彼らにはまつたくピンとこなかつたやうだ。漱石の『こころ』の「明治の精神に殉ずる」なども当然分かるはずはない。しかし、さういふ言葉が作家によつて書かれ、それを読者がおぼろげながらも了解するといふ構図が近代日本社会にはあつたといふことは知つておいていいことだと思ふ。したがつて私の授業の眼目も、「歴史を見る眼」の涵養に重きを置かざるを得なかつた。作品を時代の相で見るといふことは、私の高校時代にはまだ出来てゐた。小林秀雄がそのことを教へてくれてゐたからだらうか。
現代文といふ科目においても、読解と表現といふ二次元的な「解釈」を超えて、歴史といふ時間軸を加へた三次元的な「理会」といふスタイルが必要になつてきたと感じる。これまでのやうな授業では通用しないのである。生徒に「厚み」を養成していかないと立ちゆかない、そんな気がしてゐる。文章を読むとは、その文章を歴史の中において読むといふことである。作者と「私」といふだけでは、きつと正確な解釈はできないほどに、「私」が歴史から引きはがされてしまつてゐるのである。比喩で言へば、二階に置かれた本を読めと言はれて読めるはずはないのだから、二階に上がるだけの土台の厚みが必要だといふことである。
今年はと言ふと、誰の作品をといふスタイルにはなりさうもない。読むべき本を五冊ほど机の上に置いてあるが系統はばらばらである。読んで面白ければ、またここに書かうと思ふ。
さて、今は生徒に出した宿題をやりつつ、入試問題を解いてゐる。手始めに京大の今年の問題を解いてみた。文理共通の大問一は、阿部昭の『短篇小説礼讃』であつた。かういふ文章を入試で出すところが京都大学の面白さであるが、「文章でも写生ということがよく言われるが、その喩えはむしろ誤解を生みやすい」に傍線が施され、「筆者はなぜこのように考えるのか」と問うてゐる。「文章でも写生ということがよく言われるが」とあっても、受験生はさういふことが「よく言われる」世界には住んでゐない。「えっ、さうなんですか」である。だから、受験生は困つただらう。事実、予備校の集めた再現答案でもこのことの説明は不十分であつたやうだ。
「写生」とは、文学史的には「写実」のことである。明治二十年代、坪内逍遥、小説神髄と思ひ出し、自然主義から私小説へとつながる日本文学の一方の流れのことであると思ひ至り、「ありのままに現実を写し取ること」と定義できれば、しめたものである。先の京大の問題でもさう書いてあれば高得点が望める。
ちなみに福田恆存や中村光夫なら、リアリズムを現実主義と訳さずに写実主義と訳してしまつたがゆゑに、小説(藝術)が現実の投影でしかなくなり、日本近代文学が貧困になつてしまつたと記すところである。丸谷才一なら「日本の文学が暗くてじめじめしてしまつたのは、リアリズムを写実主義と訳したからだ!」と大声でどなり散らすことである。
ところが、「文章でも写生ということがよく言われる」世界に生きてゐない生徒たちは、何のことですか? である。
この一学期、昨年度の三学期に『こころ』を読んだから、一度日本近代文学史を整理しておかうと思ひ、珍しく五時間ほどを使つてその内容を扱つた。彼らの顔は、一応にその「何のことですか?」といふ顔つきであつた。
戯作文学で始まった明治の文学は、現実と理想とが見事に交差しながら「成熟」して行つた。前者は、翻訳・政治小説→啓蒙主義→写実主義→自然主義→私小説→新現実主義・プロレタリア文学、後者は、擬古典主義(紅露の時代)→浪漫主義→反自然主義(高踏派・白樺派・耽美派)。かうしたことを話しながら、文学の流れが日本近代の思潮を示してゐるといふことを話した。しかしながら、文学が国民文化の象徴であることを経験したり、さういふ在り方を考へたりしたこともないので、彼らにはまつたくピンとこなかつたやうだ。漱石の『こころ』の「明治の精神に殉ずる」なども当然分かるはずはない。しかし、さういふ言葉が作家によつて書かれ、それを読者がおぼろげながらも了解するといふ構図が近代日本社会にはあつたといふことは知つておいていいことだと思ふ。したがつて私の授業の眼目も、「歴史を見る眼」の涵養に重きを置かざるを得なかつた。作品を時代の相で見るといふことは、私の高校時代にはまだ出来てゐた。小林秀雄がそのことを教へてくれてゐたからだらうか。
現代文といふ科目においても、読解と表現といふ二次元的な「解釈」を超えて、歴史といふ時間軸を加へた三次元的な「理会」といふスタイルが必要になつてきたと感じる。これまでのやうな授業では通用しないのである。生徒に「厚み」を養成していかないと立ちゆかない、そんな気がしてゐる。文章を読むとは、その文章を歴史の中において読むといふことである。作者と「私」といふだけでは、きつと正確な解釈はできないほどに、「私」が歴史から引きはがされてしまつてゐるのである。比喩で言へば、二階に置かれた本を読めと言はれて読めるはずはないのだから、二階に上がるだけの土台の厚みが必要だといふことである。