言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

知恵が多ければ悩みが多く、

2012年09月23日 11時15分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

  福田恆存の生誕百周年である。生まれたのは1912年8月25日、そして亡くなられたのが1994年11月20日。したがつて、誕生日から命日のこの期間にいろいろなところで、その記念の行事が行はれる。すでに案内した通り、今月30日には、「福田恆存とその時代」と題されたシンポジウムが新宿の紀伊國屋サザンシアターで催される。それぞれの福田恆存が語られるこの機會をたいへんに嬉しく思ひ、楽しみにしてゐる。そして、11月10日には國語問題協議會主催で講演會を開き、金子光彦さんにお話をしていただくことに決まつた。金子さんの福田恆存の年譜作りは、今はまだひろく知られてゐないが、いづれ公開されることになるだらう。今もなほ毎日補充され續けてゐる資料の数数の多さは、金子さんの福田恆存への思ひの強さであり、驚嘆するばかりである。当日のお話がどのやうなものになるのかは分からないが、楽しみにしてゐる。

 さて、私の福田恆存についての思ひであるが、それはすでにいろいろと書いて来たので今は改めて書くことはない。「論」についてはすでにその興味を失ひ、ますます福田恆存の文章を讀むことにのみ心がけてゐる。聖書を讀むやうに今も福田恆存を讀んでゐる。先日も、「自由について」を讀み、生徒たちにも与へた。宿命と自由といふ、福田恆存讀みならどなたも知つてゐる内容であるが、改めて感じるところがあつた。

 

 最近の内外の情勢を見ると、気鬱することが多い。秋空のすがすがしい空が、却つて心に影を落とすのである。

人間が

こんなに

哀しいのに

主よ

海があまりに

碧いのです

 東シナ海を背にして建てられた遠藤周作文学館の碑には、自筆でそのやうに書かれてゐた。語りかける主人を持つた遠藤には、絶句せざるをえないやうな人間世界の悲惨を訴えることができた。しかし、それを持たない人びとはどうだらう。ますます気鬱することしかできないのではあるまいか。人を呪ひ、あげつらひ、力を用ゐて人を平伏させ、溜飲を下げることで満足してゐる一群もゐるだらうが、それも一時の気晴らしにすぎない。あるいは、耐へて耐へて耐へて生きることを選んだ一群もゐるであらう。しかしの抑圧が心を解放する日は来るのだらうか。心理学が人の心を解き放たうとしても、哲学がいくら人間を精密に解釈しても、倫理学が正しい道を探るための熟議を奨励しても、肝心の良心が発動しない人間が大量に誕生してゐる現在には有効な手立てを提示できない。

 旧約聖書の「伝道の書」にはかうある。

 伝道者が、世の中を見まはして感じたことは、「曲がつたものは、まつすぐにすることはできない、欠けたものは数えることができない」といふことであり、自分の内に向かつて言ひ聞かせたことは「知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂ひを増す」といふことである。

 伝道者とは、エルサレム王であつたソロモンのことである。栄華を極め、地上世界のすべての栄光を得た人物が憂ひたことは、人間の、良心が発動しない、といふことである。知恵や知識が何の救ひももたらさないといふことである。

 

 ソロモンから三千年、沈黙の日は今も續いてゐる。

 

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近代150年の途で

2012年09月10日 09時42分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

 明治人の文章を読んでゐると、息苦しくなる時もある。誰もが知つてゐるやうな作家なら漱石はその典型であるが、何とか日本をしなければならないといふ自責の念が強い自負に支へられて言葉に力が込められてゐる。

 それは今の時代から見れば肩に力が入りすぎではないかと言はれかねないほどのものである。現代の青年批評家(私の念頭には古市憲寿氏がある)なら「どうしてそんなに一生懸命なのですか」などと真面目に言はれてしまふだらう。

 しかし、その肩に力が入つた人の文章こそ正統である。かつて新保祐司氏が『日本思想史骨』といふ文章のなかで、しゃがみこんだ時に腰骨が表面に出てくるやうに、歴史の激変期に人びとに動揺が見られ思想が混乱する時にこそ、人物が表はれてくると書いてゐたが、まさに明治の文筆家はその「骨」に値する存在であつたらう。

 してみると、現代作家にどうしてさういふ存在がゐないのか。理由は二つ。

 一つは、今が激変期でないから。

 もう一つは、激変期であるにもかかはらず、さういふ人物が出てこないほど、日本の思想が脆弱化したから。

 である。もちろん、先に挙げた青年批評家群に属する存在からは、「明治型の思想のありやうでは、今日の問題は乗り越えられません!」との主張が出てくるであらう。しかしである。彼らの書く『絶望の国の幸福な若者たち』やら『暇と退屈の倫理学』やら『リトル・ピープルの時代』やら『私たちはいまどこにいるのか』やら、少し古いが『動物化するポストモダン』やらを讀んでも(一生懸命讀んではゐませんが)、現代の問題を言ひ当て人間の生き方にまで及んで論じてゐるものは少ない。あるのはせいぜい自分はかう生きていかうと思ふ、といふ宣言であり、ただし他人には干渉しませんよといふ腰の引けた独り言のやうなものである。仲間が大事、友だちが大事、さういふことは感じるし、一人でゐることの寂しさを紛らはす処方箋は書かれてゐても(しかもとても自然体で肩に力が入つてゐない)、決して魅力ある言説とはなつてゐない。誰かがどこかで一所懸命やつてくれてゐるから、僕らは言葉遊びで楽しみませうといふお気楽さが漂つてゐる。

 批評言語といふものが、さういふお気楽さを醸し出してゐる、それが現代である。詩にもならず、歌にもならず、かと言つて文章が彫刻刀で掘り出されてくるやうな鋭利な感触もなく、ふわふわとして讀みやすい、知識は豊富で目くらましには十分であるが、心に種として植ゑ付けられる力がない。かつてよく使はれた言葉で言へば、すぐに消費されてしまふのである。

「天下言を要するもの多し、然れども言すべき所に却つて黙を守るは、言の要せらるるよりも要せらるるなり。」

「願はくは大黙者あれよ。大黙者は即ち後の大唱者なるべし。軽浮なる唱説は丈夫のいさぎよしとせざるところ。言はば必ず其の鳴を天に達せしむる事を期すべし。記して以て諸友に質す。」(北村透谷「『黙』の一字」)

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