言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ドラマ「しずかちゃんとパパ」が面白い

2022年04月27日 20時56分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ドラマを観るのが息抜きの一つである。

 今期のドラマの随一(といふかこれ以外は見てゐない。あとは大河か。あらら2つともNHKだ)は、NHKBSの「しずかちゃんとパパ」である。

 初めから観てゐたわけではない。ほかの番組を観てゐるときに出てきた宣伝を観て一度観てみようと思つて観たのがきつかけだ。鶴瓶が好きなのと、吉岡里穂がいいし、「SUITスーツ」で観た中島裕翔がよかつたからである。もちろん、ドラマはまづは本。それが駄目ならいくら役者がよくてもいいものにはならない。この確信を揺るがす芝居やドラマに出会つたことはない。しかし、オリジナル作品の場合には、役者でドラマを選ぶほかはない。

 それで観たのが、一ヶ月ぐらゐ前だらうか。いいなと思ふほどでもなかつたが、悪くはないから観続けてゐた昨日、第7回「パパの深い海の底」が良かつた。

 そのことに振れる前に、まづは全体のあらすぢ。ホームページから。

「舞台は父一人娘一人の父子家庭。 父は生まれながらに耳が聞こえないろう者。 父の耳代わり口代わりを務めてきた娘が、 ひょんなことから出会った男と恋に落ち、 結婚するまでの親離れ子離れのてんまつを 明るく温かく描くホームコメディです!」

「ひょんなこと」とは、中島が演じる男が所属する開発業者が、この父子の住む町の再開発に乗り出した。当然ながら地元住民と対立するが、この「男」はやや発達障害のある感じで、周囲の気持ちが分からないことが幸ひして徹底的に町の人の意見に耳を傾けようとする。そこに好感を寄せる娘と恋仲になる。耳の聞こえない父と離れて、男と一緒になるかどうかに悩むのが今回の話。タイトルでもある「パパの深い海の底」とは、娘が感じる父親の世界である。

 番組がまとめた第7回のあらすぢは次の通り。

「圭一(中島裕翔)から「東京に戻るときは一緒に暮らしたい」と言われた静(吉岡里帆)だが、まだ返事をできずにいた。圭一のことを話そうとすると純介(笑福亭鶴瓶)がそっぽを向くためだ。一方、圭一は海外赴任のチャンスが巡ってきたことを静に相談できずにいた。静が純介を一人にすることを心配しているのが痛いほどわかるためだ。お互いが相手を思いやり身動きできずにいると、圭一の母(宮田早苗)が野々村写真館を訪れる…。」

 このすれ違ひに伴ふ、人人の心の向き合ひ方が美しかつた。

 静に話さうと思ひながら、父親のことを考へる静にどうしていいか迷ふ圭一。圭一を慕ひながら、一緒に海外に行くことになれば「お帰り。行つてらつしやい。いただきます。御馳走様。」を言ふ相手を失ふ父の悲しみを痛いほど感じる静。自分のせいで嫁に行くことを躊躇する静への申し訳なさと、それでも別れることに込み上げる悲しみとに引き裂かれる父。圭一の母親は、どんな娘と出会つたのかを知るために誰にも言はずに純介の営む写真館を訪れる。そこで筆談を交はしながら、障害のある子供が生まれる可能性を知らされる。しかし、そんな時は「お父さんに、どうしたらそんなに明るく生きていけるのかを相談したい」と語る。

 ここには、誰一人自分には真似のすることができない人物はゐない。したがつて、親近感を持てる人物は一人としてゐないけれども、それでも言葉に力があるのが不思議だつた。しらじらしい感じは一切なく、人が生きてゐるといふことを感じた。

 ドラマはあと1回で終はつてしまふけれども、もうこの回で終はりでもいいやうにさへ感じた。

 最終回は、5月1日(日)夜10:00。いかがか。

 

放送予定 - しずかちゃんとパパ

放送予定 - しずかちゃんとパパ

「しずかちゃんとパパ」の今後の放送(再放送を含む)予定一覧です

しずかちゃんとパパ - NHK

 

 

 

 

 

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韓国映画『82年生まれ キムジヨン』を観る

2022年04月26日 20時49分28秒 | 映画

 本当に久しぶりに韓国の映画を観た。とは言へ、映画館ではなくPRIME VIDEOで観たので、家のテレビで観た。

 一人娘が生まれ、産後にありがちな物忘れに違ひないと思つてゐたが、夫は単にさういふことでもないと思ひ始める。何かと無理をさせたせいではないかと自分を苛(さいな)む夫は、自分の実家に正月に帰省すると長男の嫁として家族や一族の世話をしなければならなくなる妻のことを思つて「疲れてゐるから実家に帰りたくない」と妻に伝へる。しかし、妻は「長男が帰らなければ、それはきつと嫁が嫌がつてゐるからに違ひないと義母に思はれ、ひどいことになるから帰りませう」と語る。そして、実家に戻ると予想通り妻は酷使される(ここら辺りは韓国らしいなと思ひながら観てゐた。夫よ、しつかりしろ。いつまで母親の言ひなりなんだ!)。

 やうやくソウルに帰らうかといふ時に、夫の姉の家族が来る。またまた「お世話が始まる」。とその時、妻は何かに憑依されたやうに別人となつて、語り始める。夫は、ついに来てしまつたと思ひ、取るものも取り合へず、実家を後にして出て行く。途中で、妻の実家に寄るが、妻は疲れたせいかずつと休んでしまふ。妻の家族は温かくそれを見守るが、夫の不安はそれでも拭へない。

 家に戻る。夫は、妻に精神科に行つた方が良いと語る。「産後にありがちな物忘れよ」と妻は語り、せつかく予約した病院も検査を受けないまま帰宅。それを聞いた夫はますます不安になる。夫を演じるコン・ユの演技が切々と伝はる。妻の、無垢でありながら、その背後で静かに進行する病を暗示させる奥行きのある姿を見事に演じたのがチョン・ユミが素晴らしい。

 妻の状況は変はらない。いつもいつも症状が出ると言ふ訳ではないが、或る晩、飲めないお酒を飲んで、また別人のやうになつた妻を観た夫は、別の日に妻に迫る。取り憑かれたやうに不思議なことを語る妻をスマホで撮影したものを見せ、妻も覚悟を決める。

 精神科とのやり取りが温かい。受容と激励とで、妻は自分の病気と闘ひ始めた。

 そして小説を書くやうになる。『82年生まれ キムジヨン』とはそのタイトルなのであらう。

 2時間ほどの映画だが、薄氷の上を歩く私たちの生を感じさせてくれる。ひりひりするやうな痛みを感じるが、生きるとはかう言ふことだよなとも感じさせてくれる。傷つかなければ生きてゐることを実感できないほど私たちの生には手ごたへがない。その逆説・皮肉を描いてゐる。

 かういふ映画は日本にはあるのかないのか。私には分からない。そしてかういふ映画を日本で作られたとして入場者が入るのかどうか。それも分からない。

 しかし、韓国にはかういふ映画がある。それを羨ましく思ふ。

 

 

 

 

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時事評論石川 2022年4月号(第816号)

2022年04月25日 08時45分43秒 | 告知

今号の紹介です。

 1面の「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)批判」には、驚いた。もう20年近く前に筆者の吉田好克氏が聞いた講演会での話。当時のアメリカでは肥満体型を「fat」と言つてはならず、「horizontally handicappd」つまり「水平方向に難あり」と言はなければならなかつたといふのだ。看護婦を看護師に言ふやうになつたし、ビジネスマンをビジネスパースンに、メリークリスマスはキリスト教に限るから一般にはハッピーホリデイと言へ、といふのは聞いたことはあるが、デブと言つてはいけないといふのには驚いた。政治的な正しさとは、つまりはハラスメント感情を抱く人からの攻撃への対処法として正しいのは何か、といふことであつて、その場合の「政治的」とは、「誰にも批判されない」といふことである。聖書が語る「神のものは神に、シーザーのものはシーザーに」といふ時の「シーザーのもの」でさへない。神にしかできない救ひをシーザーは諦めたから二者を区別したが、ポリティカル・コレクトネスの立場では誰も救ふことはしないといふことである。誰も救はない代はりに、誰も救はれてゐないのだから「不公平はないですよね」といふことである。「皆で死んで行きませう」といふことなのである。

 ポストモダンの時代の生き方としては当然である。多様性の果ての無、持続可能性の果ての停止。排気ガスを吐くけれども自動車は進む。糞はするけど生きていく。さういふ当たり前のことを拒否するのが「政治的正しさ」といふことである。

  どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
            ●   

際限なき自由の追求 「ポリコレ」の背後にあるもの

  コラムニスト・元宮崎大学准教授 吉田好克

            ●

コラム 北潮(三木清『戦間期時事論集』発刊 全体主義者の影)

            ●

聖戦としてのウクライナ侵攻

  駒沢大学教授 村山元理

            ●

教育隨想  「生命尊重」か、「生命尊重」以上の価値か?(勝)

             ●

脆弱な岸田政権を脅かす野党無し

  ジャーナリスト 伊藤達美

            ●

コラム 眼光
   性別は人為的に変えられない(慶)
        
 
            ●
コラム
  人の心が決める(紫)

  ポーランドかと思いきやフィンランド(石壁)

  病の「自己肯定感」(星)

  平和主義といふ病(梓弓)
           

  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

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4月30日(土)宮崎で「ウイグルの人権問題を考へる講演会」を実施

2022年04月21日 15時37分42秒 | 告知

 宮崎大学の元准教授の吉田好克先生よりご案内をいただきましたので、ご紹介致します。

 来たる4月30日(土)、宮崎市内で「ウイグルの人権問題を考へる講演会」を実施するとのこと。

 詳しくは、上のチラシをご高覧ください。

 現在は、ロシアのウクライナへの侵略に目を奪はれてゐますが、同じことが中国によつてウイグルでも行はれてゐます。多くの人に関心を持つていただきたい事柄です。

 お近くの方は、是非ともご参加ください。よろしくお願ひ致します。

 

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第109囘 國語講演會

2022年04月16日 15時03分42秒 | 告知

 國語問題協議會主催の講演会が、5月21日(土)に東京都千代田区丸の内1-1国際ビルヂング8階の日本倶楽部で開催される。

 今回の講師は、当会常任理事の安田倫子氏と評論家の呉智英氏である。

 安田氏は「美しい國語」、呉氏は「祖國とは言葉である」といふ題でお話をしてくださる予定。時間は午後1時から3時45分まで。お話はそれぞれ一時間ほど。質疑応答もあり、その後4時からは茶話会を予定してゐる。コロナ禍以前は、軽食を取りながら懇親会があり、その後銀座に流れて二次会といふのが定番だつたが、最近はお茶とお菓子での茶話会になつた。呉氏とお話する絶好の機会なので、ご関心があればご参加ください。

 講演会の費用は、2,000円。茶話会は1,000円となつてゐる。

 参加申込・問合せは、chair@kokugomondaikyo.net

   場所は、守衛さんのいらつしやるところのエレベーターでしか上がれません。

 谷田貝会長がお亡くなりになり寂しいが、正統仮名遣ひの伝統を守る法灯を点し続けたいと思ふ。

 

 

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