言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

小谷野敦さんについて3

2004年09月28日 11時18分58秒 | 文学
私は歴史的假名遣ひを用ゐるが、これは親が使つてゐたからでも、學校で教へてもらつたからでもない。もし保守の思想が、過去の傳統を保守するだけの謂ひなら、私は現代假名遣ひを保守しなければならない。歴史的假名遣ひで私は文章を書くが、西部邁さんや西尾幹二さんや亡くなつた江藤淳もそれを用ゐない。しかし、ともどもに保守を名乘る。松原正さんなら、西部や西尾を斬つて濟むが、私はそれも思考怠惰だと思ふ。彼我の保守の違ひを明らかにしなければならないはずなのに、假名遣ひを守らずに何の保守か、と言ふだけであるからである。松原さんは、御自身の母親が使つてゐる假名遣ひだから、私もそれを用ゐると書くが、それなら、私のやうな年代の者は、歴史的假名遣ひを用ゐる必然性がないといふことにならないか。
かつて、福田恆存は、これも保守派の渡部昇一さんを批判した時に、「過去と未來の時間を超える」「縱軸が全く見えないらしい」と書いた。まさにその「縱軸」があるかないか、私はそれをキエルケゴールの『現代の批判』を援用して「垂直軸」と名附けたが、その有無こそ、保守の思想の眞僞を分ける視點だと考へてゐる。
小谷野さんの、近世を捉へ直せといふ指摘は、その意味で、じつに有益な視點である。歌舞伎を愛した、福田恆存にあつた歴史感覺が、近年の保守にはないと言ふことである。

この項、もう少し續けます。


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言葉の救はれ・宿命の國語

2004年09月24日 21時29分05秒 | 福田恆存
一「國語問題」といふこと
 「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある。私たちはもう少し自分の身についた言葉で喋るやうになれないものか。」 福田恆存『批評家の手帖』二二

この作品は、昭和三十四(一九五四)年に「新潮」に十囘に亙つて掲載されたもので(ただし、連載時には、「言葉」のことばかりではなく、「人生のこと、社會のこと、その他いろいろな問題に觸れて」ゐたが、出版時には削られた)、「言葉の機能に關する文學的考察」と副題がつけられてゐる(副題といふよりも、表紙一面にはこの文字が裝丁されてをり、「批評家の手帖」といふ字句の大きさは、副題の一文字分である。ただし、後年出版された『福田恆存全集』(文藝春秋刊)の著者目録には、この副題はなく、晩年にはその考察に不足を感じたのかもしれない)が、まとまつた論考ではなく、斷想である。本書の出版された經緯については、後書で書かれてゐるが、言語學者の河野與一を圍んで、中村光夫の肝煎りで始つた勉強會で啓發されたものが多かつたやうである。もちろん、劇作家の面目躍如で、人生を演劇として捉へ、言葉を臺詞として考へるといふ構へは、本書全体に通底してゐる。
 冒頭に、なぜこの言葉を引用したのか、それは最後までお讀みいただいて、自然にお分かりいただくといふのが本來であるが、はじめにあつさりとお傳へしてしまへば、西洋發の言語學といふ學問形式によつて私たちの國語を捉へた「國語學」が、じつは國語を破壞してしまつたといふことを暗示したかつたからである。「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある」といふのは、日本近代のあらゆる場面で見られるものであるが、「科學としての國語學」が、精神の軸ともいふべき言葉の傳統を斷絶させたといふ意味で、これほど「自他を苦しめる」ものはない。國語の音韻を音素に分解し、表音化することをもつて國語の近代化(西洋出自の言語學として國語學を成立させようとしたこと)を達成しようとしたのは、西洋化への「適應異状」「過剩適應」である。言葉は、言語學などといふ學問が成立する以前からあつたといふ單純な事實を忘れ、わざわざ狹い「言語學」といふ枠から言葉を見ようとする愚を犯してしまつたのである。
 そしてなほ恐ろしいことに、このことをもはや私たちは自覺しないやうになつてしまつたのである。「國語の破壞」などといふことを言つても、分かる人の方が少ないだらう。理解できないほどに、國語の命脈は斷たれてしまつたのである。
 そこで、かうした現状を指摘し續けた福田恆存の言説と行爲とを囘想しつつ、「言葉を救ひ、宿命としての國語」を考へていかうと思ふのである。福田恆存が、「假名遣ひ」になぜあれほど心をくだいたのか、その内實に迫ることができればと思ふ。「思ふ」でも「思う」でも、どうでも良いではないか、さう思ふ人が多數を占めてゐたとしても「思ふ」が正統であることを主張し續けた、やむにやまれぬ思ひを探つていきたい。
 言葉は、通じれば良いのか――皆さんにも、考へてもらひたい問題である。


コメント (2)
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小谷野敦さんについて2

2004年09月24日 21時26分12秒 | 文学
果して日本の保守は、何を守るのか――
御覽の通り、私は歴史的假名遣ひを用ゐる。少少怪しいところもあるが、用ゐようと努力してゐる。
西部さんや西尾さんは、保守を言ふが、全くそれに頓着しない。だから、松原正さんからこつぴどくやられる。假名遣ひを守らずに何の保守か、と。まつたくその通りである。がしかし、では、日本の保守は、假名遣ひしか保守するものがないのか。
産經新聞の論調は、私は嫌ひである。オヤジの現状肯定主義を保守と名乘つてゐるだけのやうに見えるからである。ヒューマニズムを禮讚するのは、右も左もない。それぢあ駄目だと思ふから、私は産經に贊同しない。
では、何を守るのか。ヒューマニズムではない、日本の傳統とは何か。これからそれを縷縷書いていかうと思ふ。

で、まづは、小谷野さんである。『中庸、ときどきラディカル』で、次のやうに書いてゐた。

「大衆レベルで、『結婚前の純潔』が規範として成立したのは、大正期から昭和の初めにかけてに過ぎない」(大意)

ならば、男女の貞操などどうでも良いといふのが、日本の傳統的な考へ方である。保守派は、これをどう見るか。私は、もちろん、「結婚前の純潔」を規範とすべきと言ふ。この傳統は、もちろんたかだか80年ほどのものである。そして、もはや完全に崩れてしまつてゐる。だが、これを傳統として保守したい。
それは、なぜか――。

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小谷野敦さんについて

2004年09月22日 22時55分23秒 | 本と雑誌
小谷野敦さんは、新近代主義者宣言をした人として『中庸、ときどきラディカル』といふ書を買つてはゐたが、讀まずにいたところ、近著の『すばらしき愚民社會』を讀んで、じつに面白く、今『中庸、ときどきラディカル』を讀んでゐる。いちばん感心したのが、近代について論じる識者が近世の日本社會について知らないでゐることである、といふ指摘である。私も保守主義を標榜する論に近いが、それでも近世については疎い。かつて、西部邁さんを招いて研究會をしたをりに「先生の言ふ傳統といふのは、いつのことを指すのか」と訊いた某大學の先生がゐたが、そのとき、西部さんは、「私の言ふ傳統は、さういつた具體的なものではなく、精神の平衡術のことだ」と言ひ、私もよく西部さんの著書を讀んでゐたから、さうださうだと思つてゐた。しかし、西部さんの言説の自己正當化論調が鼻につくやうになつてきて以來、やはり西部さんには歴史感覺がないな、と思ひ始めてゐる。
小谷野さんの、かういふ當たり前の言説に感心したのである。
しばらく、小谷野さんについて書いていかうと思ふ。

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はじめまして

2004年09月21日 11時00分53秒 | 本と雑誌
村上春樹の『アフターダーク』讀みました。面白いか面白くないかと言へば面白くなかつたといふことになります。ですが、一册を一氣に讀ませるのは、さすがですね。ただし、あれが村上春樹の作品でなければ讀んだかと言へば讀まなかつたでせう。春樹といふ名前の方が勝つてゐた作品でしたね。
先日の朝日新聞の書評だつたでせうか、あれが良い書評でしたね。
『海邊のカフカ』がいろいろとこちらを刺戟してくれましたが、今囘のものは、今のところ刺戟を受けませんでした。

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