言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「祟り」は神様からしか由来しない。

2016年10月31日 16時21分14秒 | 日記

 テレビを見てゐたら、大江篤といふ学者(園田学園女子大学人間教育学部教授)が出てゐて、「怪異学」といふ学問について語つてゐた。それがとても面白かつた。

 霊的存在がゐるかゐないかを考へるのはオカルトで、霊的存在がどのやうな働きをしてきたか(と人々が思つてきたか)を考へるのが怪異学であるといふ。前者がオカルトかどうかは措くとして、後者の視点はとても大事だと思ふ。「現象」こそすべてであるからである。実体があるかどうかに議論を進めると、それこそ神学論争になつてしまひ、議論は決して深まることはない。歴史的な事実を検証することは大事なことであるが、それと同じくらゐかそれ以上に大事なことは、その事実を人々がどう受け止めたかといふことである。

 さて、その先生がおつしやつてゐたことでとても興味深かつたのは、「祟り」といふのが本来神様が人に及ぼすものであつて、人が人に及ぼすものではなかつたといふことである。

 その先例が崩れたのが、桓武天皇の弟である早良(さはら・サワラ)親王の祟りからである。兄の桓武天皇からある嫌疑をかけられ、潔白を証明するためにか、桓武天皇から強いられたのかは定かではないが、絶食し亡くなつた。その後、桓武天皇の母と后とが相次いで亡くなり、それが「祟り」として認識されたと言ふ。

 祟りとは「立つ」「あり」が約(つづ)まつたものであるとのことで、神が現出するといふのが本来の意味であるといふ。それが何を元に言はれたのかは言はれなかつたが、とても興味深かつた。

 

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再會の日

2016年10月30日 08時20分54秒 | 日記

  今朝は平塚にゐる。昨日は、大磯の福田恆存の墓参をした。九州に行く前に来たはずだから、20年近くになる。墓地の中の場所はまつたく記憶になく、ずつと広いと思つてゐた境内も思ひのほか狭かつた。11月20日が命日である。先生におうかがひしたいことばかりであるが、お答へをいただけるわけもなく、ただ墓前で質問ばかりしてゐた。

  そして夕方からは九州時代の教へ子たちが集まり、「同窓会」があつた。今は全国に散らばつてゐる彼ら彼女らとの再會である。その学校は共学校だつたので、女子たちには可愛い子供を連れて参加する者も多く、とても華やいだ會であつた。来られなかつた生徒の近況もそれぞれに託して伝へられ多くの話題に華が咲いた。とても楽しい時間であつた。彼らは13年前の卒業生である。今は三十歳を過ぎ、私が九州に行つた歳になつてゐる。そのことを彼らも意識してゐたらしく、あの頃の先生が今の私たちの年齢だつたのですねと言はれて少し恥ずかしい気がした。生意気な生徒たちでご迷惑をおかけしましたと言つてくれたが、さういふ記憶はもうまつたくない。偉さうに話してゐただらう自分のことを思ふと穴に入りたいくらゐである。

 

  明日は、現役の高校生との再會である。全寮制の学校であるがゆゑに秋休みといふものがあるのだが、それも今日まで。全国から生徒が戻つてくる。

 

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この百年の間に。

2016年10月29日 14時45分43秒 | 日記

  母親の眼の手術も無事終はり、出がけに母親の昼食の話になつた。冷蔵庫の物を温めて食べてと言つたが、朝の残りで十分だといふことだつた。そんな話の流れの中で戦前の弁当の話になつた。昭和四年生まれの母は国民学校(?)に通つてゐたらしい。東京市内の学校であるが、昼はお弁当を持つて行つたといふ。保温庫のやうなものがあり、弁当はそこに入れて温めてくれてゐたといふのだ。驚いた。

  中身はどんなものなの?  と訊くと、それはサツマイモ入りのご飯のやうなものが多かつたなといふ記憶のやうだ。もちろん、イモの方が多かつたやうではある。

  今87歳である。相当に昔であることは間違ひないが、一人の人間の一生の間の出来事である。二人して目を合はせて、すごい時代だつたねと言ひ合つた。懐かしい訳でもなく、憎らしいでもない。不思議な時間の経過である。

  さう言へば、話の中で戦時中の恐怖体験が話題になつた。機銃掃射で母親の家の辺りを襲つて来たことがあつたやうで押入れの中で祖母と一緒に隠れてゐて怖かつたといふ話があつた。そして焼夷弾の話も出て来た。それがふるつてゐる。焼夷弾が落とされ火を祖母と一緒に消してゐる中、祖父は目の前の家の未亡人の家に手伝ひに行つて心細かつたといふ話の方が強く印象にあるらしい。男の人はどうしてあのやうにいいカッコしいなのかといふ非難の気持ちを話してくれた。我が家だつて祖父がゐなくなれば女二人になつてしまふのではないか、さう言ふことである。

 

    かういふ話をしてくれたのが嬉しかつた。私にはまつたく想像もできない時代であるが、さういふ時代を生き抜いて来てくれた人が母親であるといふことに、妙な喜びがある。時代を非難するのではなく、祖父への怒りを語つて生きてゐる母親が誇らしい。今はだから、せめて美味しいものを食べてゐて元気でゐてほしい。食ひ道楽の我が家ならではの感謝の思ひである。

 

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国会論議のお粗末ー怒りを託せる人がゐない。

2016年10月28日 21時17分55秒 | 日記

  今日は、事情があつて夕方テレビで国会中継を見ることになつた。TPPの審議である。パネルを使つてテレビを意識した質問は、もうお馴染みであるが、やはり不可解である。テレビを見てゐる人よりも見てゐないより多くの人々を意識して、もう少し誠実に質疑をすべきである。重箱の隅をつつくやうな質問者。自説を朗々と力説する質問者。しどろもどろになつて、後ろからささやく官僚の操り人形よろしく答弁する大臣。もう悲惨といふしかない。

  政治不信といふ言葉がもう白々しくなるくらゐ国民の政治への無関心は深まつてゐるが、その何よりの証拠が、こんな体たらくの論議が全国放送で中継されても非難や暴動が起きないことである。例へば、プロ野球の日本シリーズで、選手が怠慢なプレーをしたら視聴者は相当に怒りテレビ局や球団に抗議を言ふだらう。何故なら人々が彼らに期待をしてゐるからである。

  大事なことが次々に決まつて行く。人々の無関心の中で。

  今の政治家で、この人に託したいと思減る人が誰もゐない。これは相当に辛いことであるのに違ひない。なのに怒りが湧いてこないのである。怒りを託す人がゐないのである。

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(ご案内)現代文化會議の講演会

2016年10月27日 10時46分08秒 | 日記

現代文化會議の講演会のご案内です。由紀草一さんからお知らせいただいたので、こちらに載せます。直前の告知ですdが、能ならお出かけください。

 

 

「開戦七十五周年に問うー日米戦争はなぜ避けられなかったのかー」

                                         講演の御案内

  当會議では、本年が開戦七十五周年に当たることに鑑み、『危機のなかの協調外交』の著者である井上寿一氏(学習院大学学長)を講師にお迎へし、左記の要領で開講致しますので奮って御参加下さい。

                                                 記      

一、日時・講師・テーマ 十月三十日(日)  午後二時~   

       井上寿一氏(学習院大学学長)

            「対米戦争はなぜ避けられなかったのか」   

                ※講義(二時間)、シンポジアム(一時間)

 

二、会 場 ホテルグランドヒル市ヶ谷(JR市ヶ谷駅下車 徒歩三分)  

三、受講料 二千円(※電話又はメールでお申し込み下さい。)

 

 

平成二十八年十月吉日                  

    現代文化會議     新宿区市谷砂土原町三―八―三―一○九

                                       電  話 ○三―五二六一―二七五三

                                       E-Mail: bunkakaigi@u01.gate01.com   

 

各 位

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