先日、元京都市立堀川高校の校長で、大谷大学の教授をされてゐる荒瀬克己氏の講演を聞く機会があつた。
以前、勤めてゐた学校では、この堀川高校の動向を気にしてゐたから、公立高校でどういふ指導をされてゐるのか気になつてはゐたので、突然の機会を得て、名古屋まで出かけてきた。
国語の先生であり、御自身は洛南の出身であることもあつて、仏教の法話のやうな話で面白かつた。教師に話すといふのは思ひのほか緊張するのであらう。理路整然とといふより連想ゲームのやうに話が移り変はり、強引に結論に持つていくといふスタイルであつた。一時間半たつぷりと時計を一度も見ることなく聴けたのであるから、お話はうまい。自信がみなぎり、それでゐて威圧的でもなく、カリスマといふのだらうか、これでは普通の先生は適はないなといふ印象である。
「生徒は、よーく先生を見てゐますよ」と言はれ、人の話を聞かない先生が、生徒には「話を聞け」と言つてゐる姿を何度も見ました、とは耳が痛い。誰にも心当たりがある事柄であらう。
しかし、ころころ意見が変はるのはよくないといふ件で、現政権を批判してゐたのは、行き過ぎである。政治は妥協の産物だとは言はないが、事態を一歩前に進めるのが政治であるのだから、朝令暮改結構ではないか。さう思ふ。たぶん、御自身だつて、変節しながら改革を進めてきたはずである。それを取り上げて「生徒は、よーく見てゐますよ」と私が言つたとしても、それは当たらないのと同じである。口が滑つたのであらうが、反体制の親分的な雰囲気があつたから、政治的な本音がつい出てしまつたのであらう。
今の職場の同僚に、京都の府立高校での教員経験者がゐて、彼から後日荒瀬氏について話を聞くと、すばらしい方だと聞いてゐますとのこと。ただ、市立高校で進学校を作るためには、相当に市立中学校に圧力をかけたといふことも聞いてゐますとのことであつた。それ以上は言はないが、教育とは理想的な教育制度によつてのみなされるのではないといふことは事実のやうだ。一人勝ちの発想では、どこかにひずみが起きるのも事実である。一つの高校の奇跡の中に見出すべきは、もつと違ふ何かであらう。もちろん、それは奇跡の主人公には見えないものであるかもしれない。京都市の教育がいまどうなつてゐるのか、少なくともそこまで視野を広げて見ることによつて、却つて見えてくるものがあると感じた。
![]() |
奇跡と呼ばれた学校―国公立大合格者30倍のひみつ (朝日新書 25) 価格:¥ 756(税込) 発売日:2007-01 |