言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

假名遣ひの復活

2005年10月25日 10時01分26秒 | 国語問題
 歴史的假名遣ひの復活は難しいだらう。なぜなら、多くの人が、假名遣ひなどどうでも良いと思つてゐるからである。しかし、それを續ける人が一人でもゐる限り、消えることもまたない。その際に、重要な役割を擔ふのが作家や批評家であると思ふ。歴史的假名遣ひを使ふ作家や批評家が増えれば、ひとすじの燈明もやがて少しづつ太いものになつてゆくだらう。その意味で諦める氣持ちにはならない。
 あるいはかうも言へる。幸ひなことに古典のすべては、歴史的假名遣ひで書かれてゐる。言葉の榮養が傳統からしか吸收できないとすれば、歴史的假名遣ひを學ばずして、日本語はあり得ない。歴史的假名遣ひが求められるゆゑんである。

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言葉の救はれ――宿命の國語36

2005年10月25日 09時39分31秒 | 日記・エッセイ・コラム
 戰後の醜惡さを示す端的な例が、日本國憲法である。大日本帝國憲法について何も知らない異國のにはか憲法學徒たちが、わづか二週間で作り上げた憲法を、ほぼそのままで押しいただいた占領下の政府の構へは、そのまま戰後の私たちの構へでもある。西部邁氏がつとに言ふやうに、「押し附け」られたのではなしに「押しいただいた」といふのが、ほんたうだらう。
 その背景には、もちろん敗戰、具體的には「無條件降伏」がある。その意味は本來、日本の軍隊にたいしてのみ言はれたものであるにもかかはらず、それを國家そのものの解體として受け止めてしまつたのである。そして、私たちは今後主體的に國家の政策を判斷できないのだといふやうに、あへて誤解したのである。それも誤解とは知らずに。そこには、國家の主體性などといふことは一切考へられてゐない。

 「國民の多くはポツダム宣言を無條件降伏として受け取らされた。が、これは全く事實に反するものであります。(中略)明らかな事は、無條件降伏の要求とは日本帝國政府に對するものではなく、單に日本の軍隊に對するものであるといふ事です。それも決して日本軍の解體を意味するものではない。」
                           福田恆存「當用憲法論」

 ポツダム宣言は單なる占領政策の簡便を圖るための條件提示であつたもので、「日本國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化」(同宣言第十條)をしようとしたものにすぎない。そして、同宣言の第十三條には明確に「日本國政府カ直ニ全日本國軍隊ノ無條件降伏ヲ宣言」をすべきだと言つてゐるだけであつて、「軍隊の無條件降伏」以上を要求してゐないことは明らかである。
 それを「進歩的知識人」たちが、「ポツダム宣言の内容を伏せ、曖昧にし、それが無條件降伏を意味するが如き錯覺を國民大衆に與へ、平和憲法を謳歌強要して來た」。そして、それを唯々諾々と信じてきた。私たちは「ウカツ」であつた。こんな「常識」を忘れてしまつてゐたのである。國家の無條件降伏ではなかつたのに。
 このことは、忘れさせられてゐたのかもしれない。が、それでは忘却までも主體的ではなくなつてしまふ。そこまで私たちには主體性がないのか。
 このやうに聯合國側が何も考へてゐないことを、當時の政府の立案者たちが、勝手にさう受け止めたのである。そして、その内實は「戰爭中、軍部によつて苦しめられた文官達の復讐の表明」であるとすれば、ありがたく押いただいたとしか表現し得ないものである。私怨をはらすための絶好の大義名分が「平和憲法」であつたわけだ。
 日本人の自我の弱さを物語る哀しい歴史を語るのが目的ではないから、これ以上は立入らないが、福田恆存が現憲法の問題を「當用憲法」として論じたヒントが「当用漢字」にあるといふことは指摘しておかう。その意味は、昭和二十一年五月三日施行の現憲法と昭和二十一年十一月十六日制定の「当用漢字」の經緯とが「全く同じ」であるといふことだ。


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言葉の救はれ――宿命の國語35

2005年10月16日 17時55分20秒 | 国語問題
「百円札をもやして靴をさがさせた」といふ繪を、中學生の時代に教科書で見たことがある讀者も多からう。そんな大正時代の成金は一部の人々だけの醜態であつたが、戰後の成金は大衆すべてである。今日の状況は、醜態の再生産である。したがつて、生活から切り離されて空虚になつた言葉をもう一度正し、しらじらしいばかりの倫理や道徳といふ言葉を私たちの心に取り戻すことは、さう簡單に解決はできまい。さう思つてゐる。
 そして深刻なことに、保守派の言論でさへ、その處方箋についての主張が眞つ二つに分裂してゐるのである。
 世界の歴史に通曉し文明論を獨自の視點で描き出す、貴重な著者である山崎正和氏は、西尾幹二氏や西部邁氏が取り組む傳統を礎にした教育改革に眞つ向から異を唱へてゐる。それどころか、學校教育のなかから「歴史教育を外せ」とまで言ふのである。
 山崎氏の現状理解は、次のやうである。

 現代は何であれ一元的な原理が力を失い、全体を包むただ一つの社会秩序という観念が無効になりつつある時代なのかもしれない。秩序化の原理そのものをも多様に組み合わせ、同時に複数の秩序ある小さな共同体を連携させることのほかに、救済の途のない時代なのかもしれない。このような現実主義にたったうえで、いいかえれば可能性の限度を見限ったうえで、社交にそのための一つの役割を期待することはたぶん荒唐無稽ではないだろう。
                    「アステイオン」二〇〇〇年五四号

 歴史的假名遣ひで著作集を出版してゐたこの著者が、近年書き下ろしの原稿まで現代仮名遣ひにしてゐる。そのことが端的に示してゐるやうに、歴史といふものから距離をおき、個人と個人のむすびつきに期待しようといふのがその主旨である。「かもしれない」といふ推量の文末表現が、現状認識變更の可能性を殘してゐるが、これはいつもの山崎氏のやり方である。確信をもつて歴史性の喪失を見てゐるに違ひない。
 そこで現状克服の手がかりとしたいのが「社交」である。この言葉が近年の山崎氏のキーワードであるが、このことについては、引用文は連載第一囘目であるので、完結したをりにまた觸れることにしたい。
 ただし結論ははつきりしてゐる。「一元的な原理が力を失つ」たから、歴史教育がゐらない、必要なのはまつたうな社交の復活であるといふのは、あまりに「高等」すぎる。知識人のサロンにゐすぎて、現實が見えてゐないのらしい。社交の精神の復活を非難するものでもないが、それがどうして歴史教育の復活と同時に進めて行くことができないのか、大いに疑問である。つまり、「社交にそのための一つの役割」以上のものを山崎氏は「期待」してゐるのは明らかである。
 簡單に今日の醜態を改善することは難しい。だからこそ、その醜惡を矯正するために言葉を正していくといふことが必要だと考へるのが、私の立場である。
 山崎氏については、縷々觸れていく。が、ここでは「醜態」の話に戻すことにする。


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言葉の救はれ――宿命の國語34

2005年10月11日 14時48分23秒 | 日記・エッセイ・コラム
 言葉の意味を確かめ何を言はうとしてゐるのかを考へるのではなく、きはめて即物的な反應、しかも攻撃的な反應を見せるといふのは、知的怠惰もいよいよ病理の次元に移行して來てゐるとしか言ひやうがない。病膏肓に入るである。「神の國」と言つて支持率が下がる國が、聖書に手を置いて新大統領就任の誓ひをする國より勝れてゐるとでも考へてゐるのであらうか。神とは何か、私たちの國のあり方はどういふものなのか、それを問ふことなしに、いかにもステレオタイプの「軍國主義復活の兆し」などとレッテルを張り、失言として片附けようとする愚行は、知的怠惰も甚だしい。神道政治聯盟國會議員懇談會の結成三十周年の記念祝賀會の席上での發言である。そんなものを、いちいち取り上げて公表することに、どんな利益があるといふのだらうか。記事のための記事、事件のための事件、あるいは退屈な日常に刺戟を與へるための作爲だとさへ言ひたくなる。
 不況がつづき精神的餘裕を失ひ、豐かな人への嫉妬や不滿を解消する手立てとして、弱いものを徹底的に攻撃するといふ構圖が、今日の状況の説明としては最も正しいだらう。國民總じて弱いものいぢめである。自己の生活の不滿を、誰かを叩いて解消するといふのは、きはめて陰濕で汚らしい所行である。
 弱いものとは言はゆる「弱者」とは限らない。支持率だけで政權の正當性が云々される人もまた、弱いものである。彼をたたけば、だれもがカタルシスを得られるといふのが、今日の私たちの社會のやうだ。全く卑しい態度である。自分は名のらず正體を隱したまま、或る人を叩く、こんな不潔な精神が社會を暗くしてゐるのである。
 言はゆる「政治不信」などといふ言葉も、何とも聞いてゐて氣持ち惡い。さう言ふ人のどれぐらゐの人が、政治確信を持つてゐたのであらうか。あるいはどれほど政治を信じて協力し盡力したのであらうか。政治不信を語る根據によく投票率の低さを擧げるが、あれなどは本末顛倒である。まづ行つて票を投じて不信を表明すべきである。それが政治といふものの行動である。それを投票に行かない行動で「政治不信」を讀み取るのは、政治への冒涜である。すねて部屋に閉ぢこもつてゐる子供よろしく、じつは親の保護に甘えきつてゐる姿であり、じつは政治への輕信こそ讀み取るべきである。政治不信はむしろ政治家にこそ深刻なのである。支持率などといふ根據薄弱な數字を使つて政治を動かさうとする卑怯な存在を前にして、語る言葉を失ひつつあるのではなからうか。言葉を持たない政治家が多いことに私自身不滿を持つが、半ば同情もするのである。
 盡力しないで、口だけ出す。こんな愚民の前で語る言葉を探すはうがむづかしい。
 では、なぜこんな事態になつたのか。それもこれも國語を輕んじ、言葉の意味を確かめ正確に使ひ、言葉を手がかりに内省をはかり、自己を組立てるといふ作業をおろそかにしたからだと言つては、牽強附會と言はれるかもしれない。


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言葉の救はれ――宿命の國語33

2005年10月02日 22時16分25秒 | 国語問題
 國語問題がどうして「どうでもよい問題」として扱はれるかといふことの理由の底には、和語のなかに觀念を育てる言葉が育つ前に漢語が移入し、觀念語が漢語によつてしか表現できなくなり、なかなか私たちに身に附かないといふことがある。このことも論じなければならないが、それを考へてはいよいよ本論の主題は不明になつてしまふので、ここでは保留しておくことにしたい。ただ一言すれば、漢字が入つてきて一千五百年以上もたつてゐるのに、「身に附かない」などと言つてゐるのは、完全な思考怠惰である。身に附いてゐないのなら、身に附ければ良い。觀念を育てる努力をすることが大事である。
 とは言へ、觀念を尊重しない私たちには、言葉の正確性も假名遣ひの正統性もどうでもよいものであつた。食べられれば良い。それが戰後の生き方になつてしまつた。
 國が無くなつたまま二千年を經て、國を再建したイスラエルの民を、羨ましく思ふ。私たちに、そんな精神があるだらうか。
 貧して鈍した人間は、衣食足りても禮節を知らないのである。なぜなら、貧から脱出するために禮節を捨ててしまつたからである。仕方なく、禮節の看板を降して押入にしまつて置くのなら、いつの日か出してくることも可能だらう。しかし、捨ててしまつたものはどうしやうもない。
 戰後社會に蔓延した言葉は奇麗である。民主、平和、人權、平等、個性、自由、あげればきりがない。しかし、その内實はそれらで覆ひ隱さなければならないほど、内面が汚れてゐるといふことだらう。さうであるからこそ、それらの言葉の意味を深めることはできず、スカスカで輕い記號のやうな言葉になつてしまつた。
 民主、平和、人權などと叫ぶ人達が、暴力的にその思想を主張するといふ矛楯した行動が、なによりも雄辯にそれらの言葉の輕さを表してゐる。政治の世界で言へば、共産黨から自民黨までが民主主義を主張するといふ時、民主主義とは御都合主義の代名詞でしかない。政治の理念がその程度の輕さしかないのだとしたら、戰後の國語がその重みを保ち續けることができるはずはない。
 もちろん、生活世界において營まれる國語の正確な使ひ方が政治の言葉を支へるのが本當の姿である。が、何のことはない、その政治が生活世界の國語をまづ破壞して戰後を始めたのであるから、政治は言はばその養分の補給源をみづから絶やしてしまつたのである。それでは、政治の言葉がよくなるはずはない。もちろん、このことは政治に限つたことではない。今、世の中のどんな言葉が私たちの精神に記憶されてゐるだらうか。「癒し」などといふ微温的な言葉が音樂や文學を批評する言葉として使はれるが、慰めでしかない癒しなどといふものは、救ひをもたらすものではない。文藝の世界もまた言葉の力を失つてゐるのだ。
 舊聞に屬すが、森前首相の神の國發言にしたも、その「神」が「GOD」を意味してゐるなどと考へてゐる人などどこにもゐないのに、わざわざ戰後民主主義への挑戰であるかのやうな理屈を立てて、言葉狩りをしようとする。それがマスコミだけなら、ああまたかですむが、こんどばかりは大部分の人人も、それを問題視した。
 國民の言語感覺が痲痺してゐる。



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