先日、ある読書会に参加した。4年ほど前にも参加したことがあるが、どんな風に進めていくのかもすっかり忘れてゐたのでしばらくは様子を見てゐた。
テーマとなつた本について順々に感想を述べてゐるやうだつた。それはまあ普通に答へて、一巡し終はつたところで、何か仰りたいことがある方は御自由にといふので、少しのべさせてもらつた。
すると70歳ほどの常連らしきお方が、「そんな事を発表者に訊いて時間をかけてここで話し合ふ意味があるか」と言つて来た。
話し合ふ意味とはどういふ意味なのか、私には全く分からなかつた。意味なんかないと言へばない。そもそも読書会にいやいや読書自体に意味があるのかどうかも分からない。意味がなければ何もしないといふのが私には暴言のやうに思へた。
何のことはない。その御仁は自分の話がしたいといふことに過ぎないといふのがその後の様子を見てゐて分かつた。
読書会にはかういふ仕切り屋といふ人がゐるのだらう。その人の意向に添へるかどうかで読書会が楽しいものになるのかどうかが決まる。私にはこの会は合はないやうだつた。論争的なやり取りが全て素人談議。どこかで誰かが書いてゐることをさも自分の意見のやうに言つて自己満足に耽つてゐる。こんな趣向よりは、それぞれの感想を聞くだけの方がいい。
自我の権化を量産する読書会には警戒したい。