言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語155

2007年04月30日 12時27分02秒 | 福田恆存

九 田中克彦氏の言語観を嗤ふ

  今囘からは、しばらく田中克彦氏の言語觀を取上げる。田中克彦氏といふのは、あまり知られてゐないかもしれないが、モンゴル語が専門で、各國各民族の文化や言語を尊重し、多様性を尊重する立場の言語研究者である。構造主義的な立場といつて良いだらう。岩波新書に『ことばと国家』『言語学とは何か』『名前と人間』、ちくま学芸文庫に『ことばのエコロジー』などがある。現在は、中京大學の教授である。

  田中氏は、言葉が亂れるのは言葉が生きてゐるからだと言ふ。じつにさつぱりとしてゐて耳に心地よく大衆受けする結論であるが、こんな言語觀でそもそも言語學が成立つのかどうか疑問である。

 田中氏は、『ことばと国家』で次のやうに書いてゐる。

「ことばがくずれていくのは、それが生きている証拠である。生きていくためには変化しなければならない。死んだことばは決してくずれず、乱れることがないのである。」

「死んだことばは決してくずれず、乱れることがない」といふのは眞實である。なぜならば、誰もその言葉を使はないからだ。つまり死んでしまつたといふことは存在してゐないのだから、存在しないものが生きてゐるわけがない。存在しないものは「決してくずれず、乱れることがないのである」。當然のことである。

では、田中氏に訊いてみたいが、古事記や萬葉集や源氏物語の言葉は決して崩れず亂れることもないけれども、死んでゐる言葉であらうか。もちろん、古語を使つて書いたり話したりしてゐる人はゐまい。したがつて、田中氏の傳でいけば死んでしまつた言葉といふことになる。しかし、それは本當だらうか。

あるいは、「生きていくためには変化しなければならない」といふのも本當だらうか。死んだ魚も變化はする。川を上り受精を終へた鮭たちは、全精力を使ひ果たし水流に乘つて流されていく。岩に當たり、全身傷だらけになり、まさに身は「くずれ」、形は「乱れる」。そしてどんどん下流へと移動していく。それにたいして、上流を目指してゐた頃の鮭は全精力を傾けて流れに逆ひ上流へと向ひ、體に傷をつけながらも上へ上へと上らうとしながらよじのぼつて行く。

  いづれも移動であり變化である。しかし、その質はまつたく違ふ。前者は死んで、後者は生きてゐる。

つまり、變化そのものは生きてゐるかどうかといふことに關係がないのだ。變化の中身を見なければならないのである。生きていくためには變化しなければならないのではなく、生きていくためには變化を覺悟しなければならないといふこともあるといふことである。もちろん覺悟といふ言葉が適切ではないかもしれない。しかし、何等かの目的を持つて變化してゐる時に、それは生きてゐると言へるのであつて、變化そのものが生死を決めるのではない。これは眞實である。西周や福澤諭吉が飜譯語を作り出した時、何等かの必要があつて苦肉の策としてそれはあつた。それぞれの言葉の當否とは別の次元で、欠く可からざる必要があつたのである。再び鮭の比喩で言へば、川の流れに逆つてでも上へいかうとした、本能だか意志だかの力があつての變化なのであり、川の流れに身をまかせて死骸が下に移動してゐるだけの變化とは違ふのである。

名前と人間

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価格:¥ 663(税込)
発売日:1996-11

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言葉の救はれ――宿命の國語154

2007年04月28日 07時10分34秒 | 福田恆存

中村元氏は、かう書いてゐる。
「非論理的ということは、シナ語の最も著しい特徴の一つである。句と句とを結合して完全な文章とするための前置詞、接続詞、関係代名詞などに相当する語は、西洋の言語にくらべると非常に少ない。またもともとシナ語の名詞および形容詞には、単数、複数、あるいは男性と女性の区別がない。(中略)動詞の時制についても正確な規定がない。格の表示もなされない。語の順序が格の代用をなすものではあるが、これも厳密には守られていない。(中略)シナ文においては、格や語の順序が文章の意味を決定するのではなくて、その文章を構成するいちいちの単語の表示する概念と概念との関係がそれを決定するのである」(『東洋人の思惟方法2――シナ人の思惟方法』三十六頁・春秋社。ただし、ここでは加地伸行『中国人の論理学――諸子百家から毛沢東まで』中公新書からの孫引きである。)
かういふ論理性の缺如した言語ではなくとも、言葉は話し言葉に傾いて使用されれば、おのづから亂れてくる。書字の文化圈である東洋の文化ならまだ文字がその流れを食ひ止める役割を擔えるが、音聲文字の文化圈であれば、言葉はどんどん亂れてしまふ。
逆説的であるが、さういふ事情を踏まえて、ヨーロッパでは正書法といふ考へ方が生まれたのである。
そして私たちの國においては、亂れた言葉を元に返さうと古代や中古の歌や文章を手がかりに擬古文を編み出したのである。契冲や宣長などが、「假名遣ひ」といふものに苦慮した背景がそれである。「日本といふものを大事にしなかつた」のは、「忙しかつた」からではなく、日本語に對する愛情がなかつたのであり、それゆゑに思考怠惰だつたからである。そして、それはもちろん國家の國語政策に大半の罪があるが、しかし、やはり個人の責任もまつたくないわけではない。個人的に使はなければ良い「現代かなづかい」を、人人は後生大事に使つてゐる責任は重い。
戰後の國語政策に限つて見ても、これまでにも縷々述べてきたやうに、それは個人に強制されたものではなく、官廳や公共機關への通達でしかなかつた。それを、人人が受入れてしまつたのであつた。
丸谷氏は文明のせいにしたがるが、これらを文明のせいにするといふのは、間違つてゐる。言葉の使ひ手=思考する主體は個人なのであるから、個人が切磋琢磨する以外に文章をうまくする方法はない。
 福田恆存は丸谷氏に對してかう言つてゐた。
「日本語では達意を事とする散文は書けぬなどと、そんな馬鹿な話はない。何處の國の文章でも、散文は書ける、『障子を閉めろ』『茶を零さぬやうに持つて來い』『この腰拔けめ』から『馬子にも衣裳』『弓は袋に太刀は鞘』『犬が西向きや、尾は東』に至るまで、これだけ見れば、その國の文化の程度は十分にわかり、その國に散文が確立してゐないなど、誰にも思ひはしない。たゞ日本人は、書ける散文を嫌ひ、歌を上においただけに過ぎない。その點、西洋でも同じ事である。誌、劇詩、そして散文と、いよいよ品下れる世界になつた。第一大戰後と第二次大戰後とを較べて見るがいい、後者には、いい散文小説が殆どないではないか」。
(『問ひ質したき事ども』昭和五六年)

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言葉の救はれ――宿命の國語153

2007年04月25日 08時19分48秒 | 福田恆存

 自分の言葉に責任をとらない大作家が、他人や他人の作品に對しては「昔書いた作品だから、いまの彼が責任をとる必要は必ずしもない」と許すことをせずに堂堂と批判を言つてのけるあさましさに、寒寒とした思ひになる。もちろん、寛容であるべきではなく間違ひは間違ひで正さなければならない。問題は自分のことを棚にあげて平氣でゐられる態度である。
 こんなていたらくであるにもかゝはらず、丸谷氏に文豪の名を冠する文學賞を次次と與へてしまふ日本文學の現状は、皮肉にも質の惡さを雄辯に語つてゐるやうである。
 もう一度引用するが、「現代日本文明の弱点は言語において現れてゐる。君主も、憲法も、代表的批評家も、言語面において水準が高いとは言ひがたい。民衆は、そこの所を漠然と感じ取ってゐて、ここがわれわれの弱点だなあ、ここが問題だなあと心の底で思つてゐるから、それで何度も何度も日本語ブームが起こるわけなんですね」などと言つてのける作家に、自己欺瞞を感じ取る纖細さはないだらう。
 水準が高い文明だから、私たちはこの日本に生きてゐるのでも、生きる價値があるのでもない。この國に生まれたから生きてゐる、それで十分である。
 丸谷氏が、もし御自分の文章が下手だと自覺するのなら、自分の文章をよくすれば良い。それは日本語の弱點でも、日本文明の弱點でも、「われわれ」の弱點でもない。丸谷氏を含めた一人ひとりの弱點なのであつて、言つてみれば「私の弱點」なのである。「君主も、憲法も、代表的批評家も、言語面において水準が高いとは言ひがたい」といふ不安を、日本の民衆が感じ、さらにさうだそれはそもそも日本語自體が持つてゐる弱點なのだと考へて、日本語ブームを起してゐるなどといふのでは斷じてない。どこからさういふ推論が成立つのかさつぱり分らない。
 自分の言葉がをかしいと感じてゐるから、正しい日本語を求めてゐるのだ。民衆はもつと謙虚である。そして、もう少し身近な問題で考へるのである。自分の言葉遣ひがをかしいのではないか。息子や娘の言葉遣ひも美しくないと感じる。「言葉が亂れ過ぎてゐるのではないだらうか」と感じ、誰かにそれを確かめてみたいといふ思ひがあつて、その答へを確かめてみようとしたり、同感する思ひを分かち合ふために、その種の本を讀むのである。
 これは私たち日本人の對象にある日本語の問題ではなく、使ひ手たる日本人の主體の問題である。主體の問題を、言葉(對象)の問題にすり替へて、さらにそれを君主や政治家や批評家の問題にすり替へるといふのは、ためにする議論であつて、眞摯なものではなくまつたく故事附けのものでしかない。
 丸谷氏は、文明といふ言葉がたいそうお好きのやうで、文明論を書きたがる。それはそれで意義ある御仕事であらうが、この言葉のことに關しては、それはまつたく文明の問題ではなく、肯んずることのできない問題だ。

 そして、そもそも「日本語といふものを大事にしなかつた」のは、「近代化」以降の日本人だけではなく、江戸時代もあるいはそれ以前もさうである。文字を意識しないで話し言葉に傾いて言語を使用すれば、どんどん言葉は變化してしまふ。
 そして、このことはどこの國でも同じ事情であらう。さらに言へば、言語の性格においてそもそも「論理性」を嚴密に表現できない言葉もある。御存じの『魏志倭人傳』、あの解釋がなぜあれだけ多樣であるのかは、つまるところ表現媒體である古代の支那の言葉に、嚴密な意味での論理性がなかつたからである。

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渡部晋太郎さんの新著『大学院つれづれ草』

2007年04月22日 13時13分11秒 | 告知

大学院つれづれ草 大学院つれづれ草
価格:¥ 3,000(税込)
発売日:2006-06
  先日、あの大著『國語國字の根本問題』の著者である渡部晉太郎さんから、新著の御寄贈を受けた。當方の事情で、御紹介が遲れてしまつたが、ここに紹介する。感想は、追つて記すことゝしたい。

  今囘も大部な書籍である。851頁といふのは、竝大抵の筆力ではない。氏の日ごろの研鑽と、強靱な意志の力とにまづは敬服する。事を成すにおいて、まづもつて必要な事柄である。

出版社/著者からの内容紹介
これから学問に志そうとする大学院生を念頭に置きつつ、具体的なアドバイスを交えながら、学問にまつわる様々なトピックについて縦横に論じたエッセイ集。
文部科学省により大学院重点政策が進められ、ロースクールなどの専門職大学院が次々と誕生する中、時代に左右されない研究者のあるべき姿を探求する。

内容(「MARC」データベースより)
大学院を取り巻く世の中の「流行」が如何様であろうとも、大学院の存在理由が学問研究という「不易」の部分にあることは今後とも変わることはない-。これから大学院で学ぼうとする人や大学院在学生を念頭に書き綴ったもの。

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言葉の救はれ――宿命の國語152

2007年04月22日 12時24分11秒 | 福田恆存

前囘引いたのは、『半日の客一夜の友』といふ山崎正和氏との對談集の一節である。氣の合ふお二人が對談百囘を記念して編まれた本で、前書も後書もないずゐぶん造作がお手軽な本である。ここら辺りのことを、丸谷氏流の推測で考へてみると、かう言へるだらう。

「木村尚三郎との鼎談も四十二囘分も入れての『對談百囘』であるし、看板に僞りありといふ気がしないでもない、これぢや木村氏に失禮であるな」。

そこで、「これは出版社の意向で出したもので、私たちの方から出してくれとは言つてゐませんよ」といふ姿勢を示したのではあるまいか。まあ下種の勘繰だが、丸谷先生の推測もこんな程度ではあるまいか。

もちろん、内容については興味深い分析もある。だが、御自分の作品がその「程度が悪い」近代日本文學には入つてゐない口ぶりにまづ驚いてしまふ。あるいは、「私にも程度の惡い自覚がある」といふのなら、それでよく作品を書き續けてゐられるものだと揶揄したくなる。

そもそも「程度」は「惡い」ものではなく「低い」ものであり、「質」は「低い」ものではなく「惡い」ものである。さういふ私たちの國語の作法と丸谷氏の用法が違ふのに驚いてしまふ。そんな程度の國語の常識も知らないで、「上流階級がないから近代日本文明は質が低いし、したがって近代日本文学は程度が悪い(笑)」などと言はれるのは、まさしく(笑)である。

日本文明の程度の低さを、一方では天皇のせいにし、一方では下層武士のせいにする。自分の都合の良い方向に結論をもつていくために、材料を適當に使ひ分けてゐるやうにしか私には見えない。ここでの文脈からすれば、どうやら氏は、三島を批判したかつただけのやうにも見える。それも故人である吉田健一の發言を使つて。三島も吉田も死者である。彼らからは絶對に反論はこない。それを良いことにこんな三島論や日本文明論を言つてもそれは卑怯といふものである。

それに、この本の中には、こんなことも書いてゐる。私は驚いた。それは昭和三十八(一九六三)年に丸谷氏が書いた「市民小説への意志」といふ自作に對するコメントである。

「あれは、昔書いた評論だから、いまの僕が責任をとる必要は、必ずしもないんだけれども」と言つてゐるのだ。

  四十年も經つてゐるのであるから、主張が變はることはあらう(もちろん、四十年で變はつてしまふ言説をあまり信用したくないが)。しかし、責任は取らなければならない。福田はかつて、「自分の發言にとらはれる必要はないが、責任はとらなければならない」と書いた。今、出典を探したが見つからない。正確な表現ではないが、意は盡されてゐると思ふ。一見似てゐるが、この徑庭は思ひの外大きい。

言つたり書いたりした本人が責任を取らないといふのでは、自分の言論に誰が責任を取るといふのだ。丸谷氏は、『笹まくら』で河出文化賞、『年の殘り』で芥川賞、『たつた一人の反亂』で谷崎潤一郎賞、『後鳥羽院』で讀賣文學賞、『忠臣蔵とは何か』で野間文藝賞、『樹影譚』で川端康成賞、『新々百人一首』で大佛次郎賞そして最新作『輝く日の宮』で泉鏡花文學賞を取つた。それはその本人が書いたものでもらつたものであらう。書くとはさういふことである。賞はもらふが、責任は取らないなどといふことはあつてはならないのである。

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