間もなく大阪を離れるので、昨日は大阪城に花見に出かけた。例年だと三月中の花見は難しいが、今年は一週間ほど早く開花して今が見頃。平日でもとんでもない人出。外国人の多さも9年前に出かけた頃とは大違ひ。社会が変化してゐることを感じた。
桜の花はいつまでも側で見てゐたいと思はせるから不思議だ。柔らかな色合ひが心の鎧を外してもいいと思はせるからであらうか。
もう少し、春の速度が遅くなれば。
間もなく大阪を離れるので、昨日は大阪城に花見に出かけた。例年だと三月中の花見は難しいが、今年は一週間ほど早く開花して今が見頃。平日でもとんでもない人出。外国人の多さも9年前に出かけた頃とは大違ひ。社会が変化してゐることを感じた。
桜の花はいつまでも側で見てゐたいと思はせるから不思議だ。柔らかな色合ひが心の鎧を外してもいいと思はせるからであらうか。
もう少し、春の速度が遅くなれば。
承前
「処女降誕が信ぜられないとか、何とか言つてますが、このやうに科学的に説明出来ないことは何でも信じないといふ合理主義が生き詰まつたところに、現代の思想的危機があるのではありませんか。(中略)科学の進歩によつて宇宙の秘密は見な解ると思つたが、科学が進歩すれば進歩するほど、科学の及ばない世界の存在が知られて来た。」
今日の言葉で言へば、価値相対主義こそ「現代の思想的危機」であらう。科学主義に基づき科学的でないものは信じるに値しないとの割り切りが、一般的な常識となり、教養となつてゐる。それはじつに貧しいことではないのか。分からないことは分からないとし、それを保留にしておくといふことはどうしてもできないのである。科学的でないことは非科学的である。それはさうであらう。しかし、その非科学的であるといふことが非現実的であることとは本来全く違ふことである。科学的には分からないことがあるといふのが現実であるのだから、それは「科学の及ばない世界の存在」である、さう言へばいいだけのことだ。
信じるといふことの内実は、科学といふ側面では測れようはずがない。
この文章は、昭和17年、1942年に書かれてゐる。76年前である。「現代の思想的危機」は一向に解決してゐない。
「真の意味に於いて人間が歴史を作るといふことは、ただ日常の営みをする、何かを行動するといふことではありません。根本的意味に於いて歴史を作る者たる宇宙的意思へ、己の意思を合致せしめ、歴史作成者たる絶対者の定めたる歴史の目標に向つて己の行動を向ける時に、人は始めて真の意味に於いて歴史を作る者であり得る。」(矢内原忠雄「歴史と人間」)
同じ行動でも、時代を画することになる場合とならぬ場合とがある。それを一般に「彼が活躍できるには、少々時代が早すぎた」といつた言ひ方で説明されることがある。しかし、その「早すぎた時代」といふ言ひ方には誤魔化しがあるといふふうに矢内原には思へるのである。
時(宇宙的意思)と人の営み(己の意思)とが「合致」しなければ、歴史は生まれないといふことだ。
したがつて、その「時」を知らなければならない。しかしながら、その「時」を知ること自体がたいへんに難しい「人の営み」であるのだから、私たちは絶望的な時間の浪費を覚悟しなければ生きていけないといふことであらう。聖書を例に挙げれば、イエスはその死後に「私はまた来る」と再臨を約束したが、その「時」がいつであるのかを知らない私たちはその「時」を絶望的に待ち続けなければならない。内村鑑三は晩年、再臨を信じて赤城山にこもり、天を仰いでゐたといふが、「歴史を作る者」となることはできなかつた。
矢内原忠雄全集を読み続けてゐる。
彼は神学者ではないけれども、世界は体系的であるといふ信念から、さまざまな事象を解釈して、かうあるべきであるといふ理想を提示する。したがつて、勢いその文章は演繹的でもあるし、極めて論理的に文章を書いた構築物のやうでもある。
トマス・アクィナスはほとんど知らないけれども、神学を体系立てるにはかうした構築物として言葉を組み立てることが必要なのだらう。
岩下壮一はその傾向が強いやうに感じるし、内村鑑三にはその意識は薄く、吉満義彦はその中間のやうに思ふ。そして矢内原は内村と吉満の中間くらゐだらうか。
さて、何が言ひたいのかと言へば、どうしてキリスト教にはかうした構築物としての神学が誕生したのかといふことを考へたからである。
仏典は観念か物語である。言はばキリスト教の聖書に当たる。その仏典を読誦し、悟りを待つ。しかしキリスト教には聖書の他に構築物としての神学書がある。それは何故か。
結論をあつさりと言へば、キリストの不在に耐へるためではないかといふのが私の見立てだ。イエスは33歳で亡くなつた。公的な活動はしかもわづか3年。しかし、その存在の大きさは時空を超えて後代の人々に伝へられていく。フランチェスコのやうに啓示が降りてくるやうな篤信の信者でもなければ、救ひ主は自らに訪れない、その渇望が神学を生み出したのではないか。でなければ、矢内原もあそこまでの文章を書き続けなかつたであらう。もちろん、未信者への伝道の意味もあつたであらう。しかし、本質的には自己の内にある欠損感を埋めようとして書き続けたのであらうと考へてみた。
まづは感想に過ぎないが、しばらくこの営みを続けていく。
「時事評論石川」3月号のお知らせ。
今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)
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世の中、またぞろ森友学園問題である。
もはや何が問題なのかが不明である。八億円の値引きが問題だといふのであれば、それは隣の豊中市への払ひ下げが、さらに安い2000万円であつたことも同列に論ずべきであるし、さうであれば安倍氏もその夫人も麻生氏も関係ないことははつきりする。財務省の財務省による財務省のための「値引き」であらう。有り体に言へば、あの男に引つかけられたといふことである。その尻拭ひを上からの命令でさせられてゐるといふことである。
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米朝対話と日本の姿勢――核そして拉致問題は
韓国問題研究家 荒木信子
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憲法第9条第2項は削除するべし――安倍首相の「加憲」は改悪である
宮崎大学准教授 吉田好克
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教育隨想
奢る朝日は久しからず――集団訴訟敗訴の報に(勝)
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立憲民主党は左翼集団――政策なき選挙互助会政党
政治評論家 伊藤達美
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「この世が舞台」
『革命前後』(其の一)火野葦平
早稲田大学元教授 留守晴夫
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コラム
「多い方が正しくなります」か? (紫)
兵器の攻撃・防御性(石壁)
近代とはどういふ時代なのか(星)
配慮といふ名の怠惰(白刃)
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問ひ合せ
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