言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 2022年10月(822)号

2022年10月30日 09時27分03秒 | 告知

今号の紹介です。

 世のマスコミの偏向振りは、度し難いものとなつてゐる。左翼が勢ひづいてゐるといふ構図である。きつかけは7・8事件であるが、そのことの解明はどこかに行つてしまひ、安倍憎し、保守憎しのルサンチマンの炎が日本の言論界・世論を焼き尽くしてゐる。3年後に訪れる冷静な振り返りは、きつとさう記録するであらう(さうあつて欲しい)。あるいは、まさに戦時中になつてゐて、それどころではないかもしれない(今は戦前の様相でもある)。

 まさに惨状である。そんな中で本紙だけは、そのことに異を唱へてゐるやうに見える。現状は、世界的には第三次大戦前夜であり、国内的には左翼の跳梁跋扈であり、「個人主義をうまく利用した全体主義」と「個人を相対化する共同体主義」とが対立してゐる。個人、国家、世界でこの世界観の対立してゐるといふ深層の構図を明確に示してゐるのが、今号の主題のやうに読み取れた。もちろん、それは意図的に組まれたといふのではなく、執筆者の主張が見事に編集者によつて引き出され、編まれたといふのが本当のところであらう。かういふ思潮は決して言論の、あるいは世論の主流にはならないだらう。が、法灯として保存され、点され続けてゐることに希望を感じてゐる。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
            ●   

ウクライナ戦争は世界大戦への序章か?〈上〉

   過去の「大戦」を顧みての今後

        軍事史家 山本昌弘

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コラム 北潮(少数民族問題は、法の支配の下でのみ解決できる)

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『日本共産党暗黒の百年史』を上梓して

   「党史」を「真実」とするカルト信仰から開放されて

       元日本共産党板橋区議会議員 松崎いたる

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教育隨想  指導者と忠誠心ー菅前首相の弔事に思ふこと(勝)

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池上彰・佐藤優対談『日本左翼史』への疑問

   池上・佐藤両氏の思想基盤は何なのか

       NPO法人アジア母子福祉協会監事 寺井 融

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コラム 眼光
   岸田氏に足らざるもの(慶)
        
 
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コラム
  弔意の表明(紫)

  戦果報告・報道の難しさ(石壁)

  「保守」であることの難しさ(星)

  かはいさうな安倍元首相(梓弓)
           

  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009

   北国銀行金沢市役所普235247

   発行所 北潮社

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いよいよソフトファシズムの時代へ

2022年10月23日 21時21分12秒 | 評論・評伝

 岸田首相の言説がいよいよ怪しくなつてきた。検討使と揶揄されてゐるうちは、良くも悪くも「変化」を来たさない。静かな後退は、それはもちろん政治的には悪であるが、それでも時間に余裕があるから、そのうちに次世代が育つ可能性があつた。与党の衆議員がいまどれぐらゐゐるのか知らないが、大臣に指名されるやうな人物でもほとんど見知らぬ人ばかりであるから、まつたく知らない人ばかり。その中には多少はまともな人もゐるだらうから、三年後の衆議員選挙の時には頭角を現してくる方もゐるだらうとの期待を、もちろんそれはかすかな期待であるが寄せてゐた。

 しかし、それまで宗教法人の解散請求には民法の不法行為は該当しないと言つてゐたのに、旧統一教会への批判が高まつたことに伴ひ、次の日には突然「該当する」と答弁を変更してしまつた。これでは政局に勝ち残れまい。

 大衆迎合主義に見えるこの変更には、何か深い意図でもあるのだらうか。そもそもこのことは、政府が判断すべき内容なのだらうか。

 内心の自由は、自由の権利のなかで最も尊重すべきものである。これはむしろ立憲主義を掲げる野党の方が声高に叫んでゐたことではなかつたか。憲法とは、国家=政府を縛るための法であるとあれほど主張してゐた彼らが、真つ先に宗教法人の解散請求を掲げる不可思議さ。

 しかし、野党にとつては不可思議でもなんでもない。彼らが掲げる立憲主義も、宗教被害者の救済策も、要は反共団体である旧統一教会への憎悪から出たものである。その意味では一貫してゐる。つまり、彼等の信条の第一条は、左翼思想の普及である。そして、第二条は、そのために政権与党を打倒することである。第三条は、それに資する思想を喧伝することである。その第三条の第一項にあるのが、立憲主義であり、第二項が弱者救済であり、第三項が性差別撤廃である。言はば、これまでの「常識」への痛撃である。

 旧統一教会は、彼らの憎悪の対象であり、これほどまでに執拗に攻撃してくるのは、ルサンチマンがそこにあるからである。

 愚かなのは、大衆である。被害者救済、弱者救済といふ大義名分がいつたいどういふ根つこから生み出されたスローガンであるのかが分からないから、大衆は正義感をもつてその主張に賛同する。「分からない」といふことは「見えない」といふことであり、さらには「存在しない」といふことである。夜空の星座は神話を知らなければ「分からない」し、いくら網膜にその星々が映つてゐても「見えない」のであり、結果的に「存在しない」といふことである。

 神話(物語)のことを最近ではナラティブといふが(ナレーターと同じ語源である)、まさに今起きてゐるナラティブが「分からない」人には真実が「見えない」のであり、結果的にそこには真実が「存在しない」のである。

 さういふ大衆に、もしヒントを与へることができるとすれば、今回の事件によつて当該宗教団体が「解散」されることによつて利するのは誰かを考へてみることだけだらう。野党議員、左翼知識人、左翼弁護士、左翼マスコミ人、左翼活動家である。今日の血祭りを楽しんだ大衆が利することは何もない。しかし、近い将来きつと被害だけは受けるはずである。

 そして、「政治なんて信じられるか」といふ無責任な発言がますます大手を振ることになり、大衆は政治など金輪際信じたこともないくせに政治に責任を押し付けていよいよ自分の頭で考へることをやめていく。さうなれば、左翼の思ふツボ。一気に全体主義へと舵を切る。その時には万事休す。弱者救済も差別撤廃のスローガンもことごとくゴミ箱に捨てられる。最大の強者である独裁者によつて大差別主義が繰り広げられていくのである。

 これが妄想であることを願ひたいが、ナラティブが見えない岸田首相の答弁の変更は、ソフトなファシズムの始まりのホイッスルのやうに感じてしまふ。二〇二二年七月八日から、日本は大きく変はつてしまつた。私はさう見てゐる。

 

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實朝の歌

2022年10月16日 23時01分10秒 | 評論・評伝

 歌に救はれ、歌によつて生きられた人が實朝だらう。

 大海の磯のとどろに寄する濤割れて砕けて裂けて散るかも

 この一首で實朝は永遠を生きることが出来た。もちろん殺害されなければ、もつと多くの名歌を残せただらうが、永遠は先の一首で摑み得た。

 今後予想される、この激しい波濤の様を實朝自身に重ねて詠むのが常識であるが、私としては彼の眼に映つたありのままの姿であると思ふ。彼を預言者にする必要はないからである。

 これほどに波濤の荒々しさを、リアリズムで描いた才はもはや中世を超えてしまつてゐるやうにさへ思はれた。そんなことがどうして可能であつたのかは分からない。が、實朝はそれを成し遂げたといふことだけが大事なことである。

 歌の力はかういふ才によつて磨き続けたれて来たのである。

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久しぶりの九州

2022年10月06日 16時29分48秒 | 日記

 昨日深夜に義父が亡くなり、急遽帰宮することになつた。随分と久しぶりだ。

 義父の弔ひでの帰郷は仕方ないとは言へ、心の準備なく帰るのはやはり落ち着かないものである。父を失つた娘としてはどのやうな思ひで車中を過ごしたであらうか。義父は娘を待つて逝つてくれた。

 そんなことをあれこれと思ひつつ、列車に乗り込んだ。日豊線は本線であるが、単線である。駅で待ち合はせることが多く、進みは遅い。この感覚も本当に久しぶりである。

 緊張して神経がささくれだつてゐるやうに感じる。

 曇り空に、沈痛な思ひは滞つてゐる。

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『勉強できる子は○○がすごい』を読む

2022年10月03日 21時16分37秒 | 本と雑誌

 メタ認知についての非常にわかりやすい書である。

 非認知能力といふ言葉を学んだのが、5年前である。そして職場で伝へ保護者にも伝へて、社会的にも「認知」されてくるやうになつて一気に浸透して来たそれはそれで大変良いことで、学力をつけるにはコンピテンシーの要素が重要だといふことは当然と言へば当然のことである。

 が、ここに来て非認知能力といふのはやはり認知能力なのではないかといふ思ひも出て来た。忍耐力はともかく批判的能力(クリティカルシンキング)といふのは認知領域であることは間違ひない。

 したがつて、学力とは別の能力とは、メタ認知が出来る力とした方がいいやうに思ふ。

 本書はそのガイドとしては最適である。一般書なので出典が明らかでないのが残念だが、それはネットで調べれば良い。

 関心のある方はどうぞお読みください。

 

 

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