言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「アルジャーノンに花束を」を見て――ラットレースの果てに

2012年08月26日 21時50分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫) アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)
価格:¥ 861(税込)
発売日:1999-10

  先日、神戸で「アルジャーノンに花束を」(キャラメルボックス)を見た。言はずと知れたダニエル・キイスの名作である。昴での公演を東京にゐた頃、二度見たが、チャーリーの切ない思ひがピアノの旋律に載つてひたひたと迫つてくる名演であつた。確か休憩をはさんで3時間の芝居で、チェス盤のやうな舞台に鉄のドア一枚といふ簡素な装置が印象的であつた。「私たちは他人の不幸にはたやすく優しくなれる」、チャーリーの知能が低いときと高くなつたときと、そして再び元の状態に戻つたときの周囲の変化は、私たちの姿を見てゐるやうで辛かつた。

 そして、今回の舞台。上演時間は二時間強であるが、内容は割愛することなく、テンポを速くすることによつて演じきつた。それによつて発話にも勢ひが生まれ、チャーリーの知能の激変を強烈に印象つけることに成功した。その一方、役者の若さとこの劇団の持ち味もあつて、コメディの柔らかさも随所に含まれてゐる。こちらの芝居は、「人間の悲劇」よりも、翻弄されるチャーリー個人の苦悩に焦点を当てて描いてゐるやうに見えた。激しい口調で登場人物同士の激突が至る所にあつて、それぞれの自我の衝突が印象的であつた。悲劇は個別具体的であるといふ現実を目の当たりにさせられたやうにも思へて、この作品の新しい側面を見事に描き出してゐた。ただ、テンポの速さを生み出すために、暗転が多用されたことには異論がある。観客の意識が分断されてしまひ、場面場面が切り取られすぎ統一感が失はれがちであつた。このあたり脚本のせいもあるかもしれない。

 ところで、「ラットレース」といふ言葉を御存じだらうか。働いても働いてもお金がたまらないことの比喩で、輪つかの中を走り続けるネズミの様子から譬えられたものである。この芝居のアルジャーノンとは実験に使はれたネズミの名前であるが、実験材料としてしか生きる価値を見いだせないアルジャーノンは、「生きる目的は生きること自体にある」としか答へを見出せない私たちの姿でもあらう。原作からは、現代人はそのラットレースを続けるしかないのかといふことを感じさせられた。ヒリヒリとするその感触が、どんな演出であれこの芝居にあるのはそのためであらう。そしてタイトルにあるやうに、最後にアルジャーノンに贈られる花束は、さういふ私たち自身に贈られた慰労の花束でもある。アルジャーノンは死に、元の低知能に戻つたチャーリーが、知能改善の手術をした博士に、「アルジャーノンの墓に花束を手向けてください」と依頼したのであるが、その花束を最初に手にするのは、博士である。博士自身もまたラットレースを生きてゐる存在であり、その存在は私たちの代身でもあるからである。

 さらに、チャーリーといふ青年の孤独が、アルジャーノンと脱走後出会つた自称芸術家の女の人にしか理解されなかつたといふ悲劇も、身近な人からは決して自分の価値を理解してもらへないといふ寂しい現実を描いてゐるやうに思へた。

 この物語の深みは、チャーリ-の母親とチャーリーの教育係の女性と自称芸術家の三人の女性によつて示される。そのあたりの演じ方が、この芝居の味はひを決めてゐる。

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韓国訪問

2012年08月15日 22時52分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 帰国の日に、竹島に李大統領が行つた。韓国にゐる間に、その報に接することがなくてよかつたと思つた。何とも不快な事件である。そして、陛下への礼を失する発言、あるいは今日の光復節での発言、どうかしてゐる、としか言ひやうがない。

 韓国は、二年ぶりであつた。想像以上に暑かつた。韓国語をもう一度習ひ直しての訪問で、自分でも以前よりは話せるなといふことを感じてうれしかつた。また、今は文字で友人とやりとりするモバイル活用時代だから、話せるだけでなく書けるやうにもなつてゐたのも収穫であつた。

 街は、どんどん発展してゐる。蚕室(チャムシル)で人に会ふことになつたので、オリンピックの時の様子ともさらに一変し、ロッテはなんと123階のビルを建て始めてゐた。明洞(ミョンドン)も相変はらずのにぎはひだが、ロッテ百貨店本店12階にあつた韓定食の店がなくなつてゐたのは残念だつた。あれはおいしかつたのに。

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ソウルの中央郵便局。韓国の友人はマジンガーZに似てゐませんかと言つてゐた。

 宿泊は、清涼里(チョンニャンニ)の安宿だつた。昨年改装したとHISの方に聞いたので頼んでみたが、値段通りであつた。天井の紙ははがれてゐるし、フロントの女の子は、なんだか知らない人と喧嘩してゐた。初日の男の人はとても親切だつたから、ホテルの責任といふよりその人の責任である。

 そのチョンニャンニがこれまたずゐぶんと変はつてゐた。かつて私が大学に通つてゐた頃の様子とあまりに違つてゐたので驚いた。じつに24年ぶりだから(その年はソウルオリンピックの時だつた)、当たり前と言へばそれまでだが。

 街は変はつたが、ホスピタリティはあまり変はつてゐなかつた。道を訊いて正確には教へてくれないし(彼らは「知らない」と言ふことは失礼だと考へるらしい。だから嘘でも何かを教へてくれる)、買ふ気がないと分かると急に不機嫌になる。あるいは、今回一番傑作だつたのが「??? ???(一生懸命やつてゐるのに、買つてくれないんですか)」といふ言葉である。一生懸命やることと、購入することとは何の関係もないだらうにと感じて失礼ながら爆笑してしまつた。こんなことを話す定員はたぶん日本にはゐないだらう。

 ただ、親切心の深さを感じるのも韓国ならではである。ホテルに行くとき、駅の案内所では「歩いて一時間かかる。バスでも20分ぐらゐ」と言はれたので、タクシーに乗つた。ホテルの名前を言つても運転手は分からないと言ふので、英語で書かれた住所を渡したら、「すみません。私は英語が分からないので」と何度も何度も謝つて来られた。電話番号を伝へると、電話をしてくれて了解したらしい。車を走らせると何と5分で着いた。分かつて見れば徒歩10分であつた。降りるときも「英語が読めなくてすみません」と連呼してゐた。こちらが恐縮するほどであつた。

 留学時代にも、ロッテホテル前を歩いてゐたら、ある老人が「あなたは日本人か」と話しかけてきて「時間があればコーヒーでも」といふことでラウンジに行つた。何を話したかは覚えてゐないが、じつに気持ちのいい会話をした記憶がある。飲んだこともなかつた泡立ちコーヒーを、異国の超一流ホテルのラウンジで、知らない人に頂戴する。不思議な体験であつた。見るからに貧乏くさい学生を見て、かはいさうに思つたのであらうか。さういふことがあるのが韓国である。あの御老人は、本当に人であつたのだらうか。

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ロッテホテルのラウンジから見える庭

 外国に、青春時代の悲しみを噛みしめた場所があるといふことは、とても貴重なことだと思つてゐる。様相は一変してしまつたが、その場に行くとすつとあの頃のことが思ひ出される。

 韓国は、懐かしい国である。

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