約束の日 LAST APPEARANCE 完全版 [DVD] 価格:¥ 4,935(税込) 発売日:2000-07-05 |
お墓参りのことから、書くことになろうとは思わなかった。ほかのことから書き起こすことも、考えていたのに、いま自然と筆は尾崎豊の墓について書いている。<o:p></o:p>
あっさりと白状してしまえば、私はこの書きはじめに思案して二年ほどが経ってしまったのである。そして色々なことが頭に浮かび、実際書きはじめてもみたのであるが、いずれも十枚を満たずして、筆がぱたりと止まってしまうのである。それはちょうど、ピラミッドの秘宝を掘りあてるべく探検していきながら、あと一歩のところで行き止まりになってしまうといった感じであった。確かにそこに尾崎豊はいるのであるが、そのときの私ではどうにもそれ以上は迫れないという限界であった。死後のファンである私には、どうしてもひけめがあったのかもしれないのである。<o:p></o:p>
しかし、尾崎豊に対する私の接近が彼の死であったとしたら、やはりそのことについて書いたほうがいいだろうと思った時、意識は自由になった。まさにお墓から私と尾崎豊との関係は始まったのである。<o:p></o:p>
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はじめにお墓を訪れたのは、平成六年の十月である。日曜日の昼下がり、友人の車で行った。当時私は、尾崎豊が中学時代を過ごした練馬区の春日町の近くに住んでいた。これはまったくの偶然であったから本当に驚いた。<o:p></o:p>
彼の墓がある所沢には、関越道で行くのが一番早いから、それに乗るのだが、関越は練馬が始点である。私の家から、というより尾崎豊の幼少の頃の家からも、関越には十分ほどで入れる。しばらく行くと途中には、かれが高校時代を過ごした埼玉県の朝霞市が右手にあって、何やら彼の生涯をたどっているような気さえしてくる。<o:p></o:p>
そして目的地は墓地だ。誰かが意図的に仕組んだのかと思われるほど、それは出来すぎた巡礼の道であった。<o:p></o:p>
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はじめて行くところなのに、まったく道に迷わなかった。西部球場の手前の道を左に曲がって、小高い山なりに道を登ると霊園がある。車が十分通れる道沿いに、尾崎豊のお墓がある。一番手前にあって、花に覆われた彼のお墓は一目でそれとわかる華やかさがある。ファンの人たちが置いていったノートや手紙がたくさんあった。掃除をしている女性もいた。たたずんでいる青年もいた。<o:p></o:p>
彼らは一様に物静かで、一人尾崎豊と対話しているような姿であった。孤独を知り、そして自分だけの孤独を知ってくれる一人の人物に出会い、はじめて心を開いて話せる存在をつかみながら、その存在が勝手に消えていってしまった。だから、その別れにはある種の儀式が必要である。墓前にたって、一人一人が別れの挨拶を交わしている様は、まさしく孤独な彼らの儀式であるように思われた。<o:p></o:p>
そういえば、尾崎豊が亡くなったときもそうであった。葬儀が行われた東京の護国寺には、四万人という参列者が訪れていた。列の長さが二キロにもなった。中には地下鉄の護国寺駅では降りられないと知るや一つ前の駅で降りて歩いて来た人もいたという。<o:p></o:p>
冷たい雨の降る平成四年(一九九二年)四月三十日のことである。<o:p></o:p>
歌を歌い、あるいはそれを聴いている若者が多くいた。嘆きの心情をどうにかして抑えようと必死にあがいている人間の姿であった。<o:p></o:p>
「受け止めよう」<o:p></o:p>
しかし、彼らは静かだった。<o:p></o:p>