(承前)
さらに、「人名漢字」(昭和二十六年)については、九十二字なのだが、九十二といふ中途半端な数は、百にしたかつた松坂忠則が、「空きがあるから」、国語審議会にうるさい大野晋の「晋」と、ローマ字会の会長の土岐善麿の「麿」を入れたといふのだ。
國語は、じつに「私語」になり、「死語」になりつつあつた。豐源太氏は、當用漢字の杜撰さを具體的に指摘してゐる。
彼はあつても誰がないのです。君があつて僕がないのです。そして僕がないのに我があり、しかし汝はないのです。犬があつて猫がない。鷄があつて兎がない。馬があつて鹿がない。好きはあるものの嫌ひがないのです。(中略)魚偏に至つては、鮮と鯨は何故かあるのですが、それ以外の字は全くないのです。
『國語の復權』
かうした事情を知れば、心ある人々が聲をあげない譯がない。福田恆存もそのうちの一人であることは、言ふまでもないことであるが、「漢字の選定について」ははつきりと、「使用度數によつて一ゝの漢字の重要性を決める事が果して出來るのか。いや、出來ないからこそ、それぞれの中から削るべき三十一字と加ふべき四十七字を選び出した筈で、それならその基準は何處に置いたのか。またその基準が明確であるなら、八囘だの九囘だのは問題にならず、一囘でも加ふべきものがあり、十囘でも削つても良いものがある筈ではないか」と「國語審議會に關し文相に訴ふ」(昭和四十一年)の中で記してゐる。
文中、「それぞれの中から削るべき三十一字と加ふべき四十七字を選び出した」とあるのは、昭和四十年に第七期國語審議會が出した「審議結果」を受けてのものである。「當用漢字の出し入れ」といふ、いよいよ醜惡な國語の永久革命を始めたといふことへの註である。
それにしても、「戦後」といふ時代は、どうにも悔しいことばかりである。敗戰とは戰爭に負けたことでしかないのに、精神を懸けて戰に挑んだかのやうに錯覺してゐた人々は、それは精神のあるいは文化の戰に負けたと進んで誤解しようとした。吉田茂は戰後の首相としては最も評價されてゐる人物であるが、その時代の風に煽られては、次のやうな告示を出さざるをえなかつたのであらう。彼は、國家を守つて、文化を破壞してしまつたのである。彼もまた進んで誤解した口である。
内閣訓令第七號 各官廳(當用漢字表の實施に關する件)
從來、わが國において用いられる漢字は、その數がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社會生活上、多くの不便があつた。これを制限することは、國民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが少くない。
それ故に、政府は、今囘國語審議會の決定した當用漢字表を採擇して、本日内閣告示第三十二號をもつて、これを告示した。今後各官廳においては、この表によつて漢字を使用するとともに、廣く各方面にこの使用を勸めて、當用漢字表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。
昭和二十一年十一月十六日 内閣總理大臣 吉田 茂
内閣告示第三十二號
現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範囲を、次の表のように定める。
昭和二十一年十一月十六日 内閣總理大臣 吉田 茂
當用漢字表
まえがき
一、この表は、法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍を示したものである。
一、この表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。
一、固有名詞については、法規上その他に關係するところが大きいので、別に考えることとした。
一、簡易字體については、現在慣用されているものの中から採用し、これを本體として、參考のため原字をその下に掲げた。
一、字體と音訓との整理については、調査中である。
使用上の注意事項
イ、この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。
ロ、代名詞・副詞・接續詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
ハ、外國(中華民國を除く)の地名・人名は、かな書きにする。
ただし、「米國」「英米」等の用例は、從来の慣習に從つてもさしつかえない。
ニ、外來語は、かな書きにする。
ホ、動植物の名稱は、かな書きにする。
へ、あて字は、かな書きにする。
卜、ふりがなは、原則として使わない。
チ、専門用語については、この表を基準として、整理することが望ましい。
さらに、「人名漢字」(昭和二十六年)については、九十二字なのだが、九十二といふ中途半端な数は、百にしたかつた松坂忠則が、「空きがあるから」、国語審議会にうるさい大野晋の「晋」と、ローマ字会の会長の土岐善麿の「麿」を入れたといふのだ。
國語は、じつに「私語」になり、「死語」になりつつあつた。豐源太氏は、當用漢字の杜撰さを具體的に指摘してゐる。
彼はあつても誰がないのです。君があつて僕がないのです。そして僕がないのに我があり、しかし汝はないのです。犬があつて猫がない。鷄があつて兎がない。馬があつて鹿がない。好きはあるものの嫌ひがないのです。(中略)魚偏に至つては、鮮と鯨は何故かあるのですが、それ以外の字は全くないのです。
『國語の復權』
かうした事情を知れば、心ある人々が聲をあげない譯がない。福田恆存もそのうちの一人であることは、言ふまでもないことであるが、「漢字の選定について」ははつきりと、「使用度數によつて一ゝの漢字の重要性を決める事が果して出來るのか。いや、出來ないからこそ、それぞれの中から削るべき三十一字と加ふべき四十七字を選び出した筈で、それならその基準は何處に置いたのか。またその基準が明確であるなら、八囘だの九囘だのは問題にならず、一囘でも加ふべきものがあり、十囘でも削つても良いものがある筈ではないか」と「國語審議會に關し文相に訴ふ」(昭和四十一年)の中で記してゐる。
文中、「それぞれの中から削るべき三十一字と加ふべき四十七字を選び出した」とあるのは、昭和四十年に第七期國語審議會が出した「審議結果」を受けてのものである。「當用漢字の出し入れ」といふ、いよいよ醜惡な國語の永久革命を始めたといふことへの註である。
それにしても、「戦後」といふ時代は、どうにも悔しいことばかりである。敗戰とは戰爭に負けたことでしかないのに、精神を懸けて戰に挑んだかのやうに錯覺してゐた人々は、それは精神のあるいは文化の戰に負けたと進んで誤解しようとした。吉田茂は戰後の首相としては最も評價されてゐる人物であるが、その時代の風に煽られては、次のやうな告示を出さざるをえなかつたのであらう。彼は、國家を守つて、文化を破壞してしまつたのである。彼もまた進んで誤解した口である。
内閣訓令第七號 各官廳(當用漢字表の實施に關する件)
從來、わが國において用いられる漢字は、その數がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社會生活上、多くの不便があつた。これを制限することは、國民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが少くない。
それ故に、政府は、今囘國語審議會の決定した當用漢字表を採擇して、本日内閣告示第三十二號をもつて、これを告示した。今後各官廳においては、この表によつて漢字を使用するとともに、廣く各方面にこの使用を勸めて、當用漢字表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。
昭和二十一年十一月十六日 内閣總理大臣 吉田 茂
内閣告示第三十二號
現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範囲を、次の表のように定める。
昭和二十一年十一月十六日 内閣總理大臣 吉田 茂
當用漢字表
まえがき
一、この表は、法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍を示したものである。
一、この表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。
一、固有名詞については、法規上その他に關係するところが大きいので、別に考えることとした。
一、簡易字體については、現在慣用されているものの中から採用し、これを本體として、參考のため原字をその下に掲げた。
一、字體と音訓との整理については、調査中である。
使用上の注意事項
イ、この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。
ロ、代名詞・副詞・接續詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
ハ、外國(中華民國を除く)の地名・人名は、かな書きにする。
ただし、「米國」「英米」等の用例は、從来の慣習に從つてもさしつかえない。
ニ、外來語は、かな書きにする。
ホ、動植物の名稱は、かな書きにする。
へ、あて字は、かな書きにする。
卜、ふりがなは、原則として使わない。
チ、専門用語については、この表を基準として、整理することが望ましい。