言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

長谷川三千子女史が新仮名で「正論」

2012年12月06日 20時42分52秒 | 国語問題

 昨日、職場でコーヒーを飲みながら産経新聞の「正論」を讀んでゐたら、長谷川三千子さんが新仮名遣ひで書いてゐた。あれ、どうしたのだらうか、といふ疑問が浮かんだ。歴史的仮名遣ひを使つて来た人間に新仮名を強制したのだから、仮名遣ひについて説明をする必要があるのは、むしろ新仮名論者の方と言つてゐた方のこの「異変」である。何か事情があるのだらうか。ただ不思議といふことだけは書き留めておかう。

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『かなづかい入門』はトンデモ本

2008年09月01日 09時51分32秒 | 国語問題

 今年の六月に平凡社新書の一冊として出た『かなづかい入門』を今朝から読みだした。そのあまりのひどさに興奮が収まらない。今日は、防災の日だが、これを論駁するのは国語問題における防災である。まあ、まつたく売れないだらうから、あまり取り上げる意味もないかもしれないが、読後に批判をひとくさりしたい。

 その前に一言。

「日本語ココロを、『許己呂』と書き表したばあいと『心』『情』と書き表したばあい、どちらが日本語を正確に表記しているかというと、それは『許己呂』のほうである。『心』『情』は意味をつたえるだけで、文字面からは日本語のすがたは見えてこない。」

 どういふことであらうか。漢字は国語(日本語)ではないといふことか。あるいは「こころ」は国語(日本語)ではないといふことか。「心」と書いて「しん」とだけ読む日本人がかつてゐたといふことか。「意味をつたえるだけ」とは暴言に近い。「こころ」といふ音は「許己呂」と書く前からあつたのである。であれば、「許己呂」でも「心」でも「こころ」でも「日本語のすがた」は見える。かういふ誤謬から導かれる「かなづかい入門」は、決して「日本語入門」とはなるまい。

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宇野精一先生逝去――國語問題協議會名誉會長

2008年01月09日 07時55分26秒 | 国語問題

 私も所属してゐる國語問題協議會の名誉會長である宇野精一氏が逝去された。享年九七。冷戦時代の末期、私の大學生時代、今から二十五年ほど前のことであるが、宇野先生は御自身の専門分野から離れ、左翼的な発想や共産主義的政治宣伝に真つ向から闘つてをられた。私は謦咳に接したことはないが、その文章の気骨に触れ、私淑してゐた。木内信胤先生や福田恆存先生とはまた違つた趣があつた。

 明治は遠くなりにけり――このありきたりの表現を今改めて使ふしかない痛恨事である。合掌。

 明治43年(1910年)、東京に生まれる。東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。東方文化学院東京研究所助手、東京高等師範教授、東京大学助教授を経て教授。現在、同大学名誉教授。儒教思想を中心とする中国古典学の研究を専門とする傍ら、国語教育問題に関する評論活動でも知られる。GHQの主導で行われた戦後の国語改革に一貫して反対する立場をとり、正字・正仮名(戦前の漢字・仮名づかい)の活用を呼びかける。昭和34年(1959年)、小汀利得、福田恆存らとともに國語問題協議會を設立。会長をつとめた。昭和36年(1961年)、国語改革推進派が多数を占め、毎回同じ委員が選出される構造となっていた国語審議会の総会を、舟橋聖一、塩田良平、山岸徳平らとともに退場し、注目を集めた。皇太子に漢学を進講した。 2008年1月7日、午前8時死去。享年97。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア』)

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言葉の救はれ――宿命の國語40

2005年12月01日 22時15分17秒 | 国語問題
 戰後の國語改革がどういふ状況下で行はれたのかといふ興味深い文章がここにある。「戰後」といふ時代の性格を明確に示すこの證言に、愕然とする。
 文中の「私」とは、作家の今日出海である。

 私がはじめて吉田さんに会ったのは第一次吉田内閣が出来た時で、私が文部省の役人をしていた時だ。用紙統制委員会の主事だか幹事をしていたが、GHQが赤ハタには無制限に紙をやるが、他の新聞雑誌には統制を厳にして、やらぬのに憤激したものの、役所の下ッ端がどう奔走しても、当時のGHQが動くものではない。そこで総理大臣に米国は日本を赤くするつもりかどうかと直訴に及んだ。
 吉田さんは知らん顔して官邸で飯を御馳走してくれた。そして私を残して何処かへ行ってしまった。私はそこにあったウィスキーを……

 これは詩人太田行蔵の『日本語を愛する人に』からの孫引きである。原文は「文藝春秋」昭和三一年五月號であるが、いろいろと探したが見つからず、國會圖書館には遠方ゆゑ行く事ができず、致し方なくの孫引きである。したがつて、もしかしたら句讀點の打ち方などに若干の違ひがあるやもしれぬが、その點については讀者の御寛恕を願ひたい。
 引用者の太田は、これにつづいてかう記してゐる。

 ちょうどそのころが、現代かなづかいのでるときだったわけだ。そのころの空気が、いかにアカハタ的なものに有利であったかは察しがつく。現代かなづかいが、この空気を利用しなかったと言えるか。問題は学問上のことでなく、そこにある。(中略)そういうドサクサした時代、アメリカの占領政治方針が今から見ればまちがっていた時代の産物に、このままで、いつまで国民がついて行かれるか。
       (太田行蔵『日本語愛する人に』三光社・昭和三十一年) 

 戦後とは、「アメリカ的なるもの」と「アカハタ的なるもの」の見事な合作なのである。その後、昭和二十五(一九五〇)年に起きた韓國動乱(朝鮮戰爭)によつて、占領軍は後者の排除を急ぐが時すでに遲し、「アメリカ的なるもの」の表層の下に「アカハタ的なるもの」は内向し、合理主義と社會主義との二層に分かれた戰後の日本人を形成するに至つたのである。
「自由」「平等」「民主」「平和」といふ言葉は戰後の時代を明示するキーワードであるが、その言葉は見事にこの二層構造によつてできあがつてゐる。冷戰構造は地球を二分する平面の鬪ひであつたが、私たち日本人においては精神を二分する立體の鬪ひであつた。したがつて左翼がゐなくなつても、自身の心が左翼的である日本人はここそこにゐる。薄められた左翼は世俗的人本主義にそまり、歴史や國家や傳統や儀禮を、言はば自己を否定する手がかりになるものを破壞する仕儀に出てきたのである。


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言葉の救はれ――宿命の國語39

2005年11月24日 22時08分21秒 | 国語問題
 丸谷氏のやうに、憲法を題材にして文章を語るといふ意識は、何とも暗い。達意といふことを示すのに、日本国憲法をもつて論じるといふことには、何か別の意図があるのではと思ふのである。そもそも、憲法を文章の見本とするなどといふのがいただけない仕儀である。
 ちなみに言へば、福田恆存がアメリカ人に「独立宣言」を読ませたら、五十人中四十九人が「ヒッピーか共産主義の嘘言だらう」と言ひ、理念に贊成なら署名をと言つたら一人しかしなかつたと言ふ(「問ひ質したき事ども」)。丸谷氏が言ふ「達意」の本家のアメリカの文章をして、かういふ事態である。
 つまり、憲法で大事なことは達意であるかどうかよりも、それを通じて何を書いてゐるかである。福田恆存は、丸谷氏にはつきり言つてゐる。

 丸谷氏は新憲法にふれ、それを達意の文章と言ひ、その可否を論じない。が、憲法を論じて、それを言はずに濟ませると思つたら大間違ひである、どこかでそれに答へて貰ひたい。
                     福田恆存「問ひ質したき事ども」

 しかし、丸谷氏は答へてゐない。
 『文章読本』を書いた當時、丸谷氏の念頭にあつた「文章を云々する柄ではない」とされるのは、同じく『文章讀本』(昭和三十四年)を書いた三島由紀夫であり、「當用憲法論」(昭和四十年)を書いた福田恆存である。
 三島は、なかでかう記してゐる。
 
 皆さんは終戰後のマッカーサー憲法の直譯である、あの不思議な英語の直譯の憲法を覺えておいでになると思ひます。それはなるほど日本語の口語文みたいなもので綴られてをりましたが、實に奇怪な、醜惡な文章であり、これが日本の憲法になつたといふところに、占領の悲哀を感じた人は少くなかつたはずです。もし明治時代に日本が占領されてゐたとしたら、同じ飜譯であつても、もつと流麗な美文で綴られたことでありませう。
            三島由紀夫「第二章 文章のさまざま」

 憲法が必ずしも美文で書かれる必要はないと思ふが、ここで三島は、日本国憲法にたいして「覺えておいでになると思ひます」「をりました」と過去形で表現してゐるところは、皮肉が利いてゐる。彼の意識のなかでは、すでに過去のものだつたといふことだらう。
 達意かどうかなどといふことは、この際どうでも良いのである。たとへは不謹愼だらうが、犯罪者の反抗聲明について「達意の文章かどうか」を議論しても致し方ないのと同じである。この場合、文章の善し惡しは問題にならない。
 丸谷氏は、文學觀の違ふ三島由紀夫を貶しめたいのであるし、嫌な思ひ出のある戰前の日本を貶しめたいのである。しかし、さう率直に言へるほどの眞情がないから、大義名分として「法律における文章の善し惡し」を持つてきただけである。知識人の自己欺瞞は、ここに健在である。これを以て「論理的」と自稱するが、讀者は瞞されない。
 現憲法において問題なのは、それが占領者の押付けであつたかどうかといふことだ。


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