言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

新村礼子さんの死を悼む

2011年03月30日 18時09分21秒 | 日記・エッセイ・コラム

 劇団昴の女優、新村礼子さんが亡くなつた。今朝、新聞を讀んで驚いた。名演「セールスマンの死」(アサー・ミラー原作)のリンダ役を思ひ出した。雨の降る夜、夫のウィーリー・ローマン(久米明)の遺體を埋めた後に、舞臺中央に傘を差しながらしやがみこみ、涙をいつぱいに溜めて客席のどこかの一點を見つめてゐる姿が忘れられない。平成四(1992)年の十一月だつたと思ふ。そのあまりの力にしばし座席から立てなかつた。前から二列目か三列目であつたと思ふ。觀劇の幸運に滿された時間だつた。それからもかなりの數の芝居を觀たが、未だその芝居以上の感動には出會つてゐない。

   昴の本據地だつた三百人劇場がなくなつたが、今も役者たちを束ねてゐる杉本了三さんには御會ひする度に、「再演を」と御願ひしてきた。しかし、役者の都合もあつて難しいと言はれてゐた。新村さんがいらつしやらなくなつたのでは、私ももう期待はしない。それほどに、彼女のリンダは素晴しかつたのだ。

  心から冥福を祈る。

新村 礼子さん(にいむら・れいこ=女優、本名内田礼子〈うちだ・れいこ〉)23日、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患で死去、83歳。葬儀は近親者で営まれた。喪主は俳優の夫内田稔さん。

 内田さんらとともに劇団昴を創立した。舞台「セールスマンの死」で1992年度に文化庁芸術祭賞、紀伊国屋演劇賞を受賞した。

  以上は、朝日新聞からの轉載だが、「創立した」と言ふのは間違ひだらう。

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時事評論石川――最新號

2011年03月22日 22時46分48秒 | 告知

○時事評論石川の最新号の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。

 震災についての評論は、残念ながらない。その直前の手詰まりになつた民主党政権への批判が多く盛り込まれてゐる。

 「コンクリートから人へ」といふ愚にも付かないスローガンを掲げた民主党政権下で、皮肉にもコンクリートが人を守つてゐるといふことを、地震・津波・原子力発電の事故が明確に示してくれた。何といふことだらうか。

 役者がゐなくなつた政界どころではなく、政治家がゐなくなつてしまつたのである。票の最高獲得者が政治家なのではなく、政治を行ふ人が政治家なのである。そのことを忘れてゐるのではないか。民意、民意、民意などといふものを訊ねて、為すべき道を失つてゐる――さういふ体たらくが、現状なのである。

 國敗れずして山河を壊す――これが平成23年の風景である。

役者がいなくなった政界

    ―失われる政治のダイナミズム―

            拓殖大学大学院教授 花岡信昭

劣化する政治

     再生の処方箋は                                    

                         評論家  伊藤達美

教育隨想       

領土問題と教科書 (勝)

愚者の群れに求められる政治家像

     政治の基本理念は何か                                    

                         評論家 三浦小太郎

奔流            

「メア発言」は意味がある

  ―安保感覚に目覚めよ―

          拓殖大学大学院教授 花岡信昭

コラム

        グローバリゼーションといふ逆説  (菊)

        報道人の眼力 (柴田裕三)

        政治不信などあり得ない(星)

        「竹島の日」「尖閣の日」「北方領土の日」(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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福田恆存を嶋田久作が演じる

2011年03月21日 23時01分33秒 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKドラマ『TAROの塔』を面白く見てゐる。岡本太郎は、自分の描く絵を果たしてどう思つてゐたのか、過信と不信とに揺り動かされ、戸惑ひ、引き裂かれてゐる姿が印象に残る。かういふ演出は、きつと彼が生きてゐたらできなかつたのではないか。決して彼の絵はうまくない。それは彼が「芸術はうまくあつてはならない。きれいであつてはならない」と言つた意味ではなく、ほんたうに上手くないのだ。私はさう思つてゐる。彼の真骨頂は、彫刻にある。あの造形力には力と美とがある。それに引き換へ、絵画にはない。

 岡本かの子が太郎に言つた言葉としてドラマの中で出てきた台詞――「自分のやりたいその他の事には絶望して、絵だけに専念しなさい」といふのは皮肉だけれども、一つの物事の成就のためには他を断念するといふことは難しいことだ。さういふ言葉を吐いて、子供を育てたかの子の人生もまた同じ断念の上にあつたのであらう。岡本太郎誕生の背景である。

 それにしても、太郎の秘書となつた敏子が、福田恆存とつながりがあつたとは思はなかつた。太郎と恆存とが対談をしてゐるが、それはかういふつながりであつたのか。ドラマの中で、福田恆存が登場したのには驚いた。福田恆存を嶋田久作が演じてゐたが、その風貌がとても似てゐた(身長はだいぶん違ふが)。そして、話す言葉が福田恆存らしかつた。

 ドラマはあと一回で終はり非常に残念だが、次回が楽しみでもある。

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芥川賞を読めなくて

2011年03月13日 21時26分44秒 | 文學(文学)

 もう十年ぐらゐになるだらうか。年に二回の芥川賞の受賞作品は読むやうにしてきたが、今回の二作はもういいだらうといふ思ひが強くて讀めなかつた。もちろん讀まうとはしてみた。掲載されてゐる「きことわ」「苦役列車」の順で讀まうと試みたが、前者は三頁、後者は十頁で挫折した。理由は、讀みたいといふ思ひが消え得せてしまつたからだ。

   特に、三頁で挫折した方は、丸谷才一が「文章がうまい、壓倒的に。最近の新人の中では出色」と彼女のデビュー作『流跡』を評した人のものであるから期待したが、まつたくダメだつた。古井由吉の朦朧體とにてゐるやうな、好きでない文章であつた。

   後者の方は、既に讀んでゐた作家なので、感想はない。「馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる彼」とは自分のことであらうが、さういふ自嘲癖は控へ目にする方が良いといふのが私の感覺である。

   これで芥川賞作品を讀むのをやめるかどうかは分らないが、ほんたうにつまらない作品が多いなといふのも事實である。小説好きにしてくれるやうな作品は、やはり新人賞に求めるのは邪道なのだらうか。

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石原都知事の憂国の情と大地震

2011年03月11日 22時21分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 まづは、東北地方を中心とした大地震で被害に遭はれた方への御見舞を申上げる。知り合ひがわづかだがゐるので個人的にも心配してゐる。明日は、大學の後期試驗である。東北大學を始めとした東北の國公立大學はどうなるのであらうか。新幹線も飛行機も止まつてゐるのであるからどうなるか。それも心配である。

   石原都知事が出馬を決め、これから記者會見といふところで地震が起きた。じつは私の住む大阪もかなり搖れた。氣持の惡い搖れ方でプレート型の地震の恐怖を間近に感じた。石原知事は、日本の現状を憂いてゐた。都議會での出馬宣言は、一國の首相が言ふべきやうなものであつた。そして、その日本の危機を實感させるやうな大地震。何の關係もないのだが、やはり何かあるやうにも思ふ。阪神大震災の時の村山首相、そして今囘の地震の菅首相、國を滅ぼす宰相はいつでも左卷きである。

   私は憂國の情を大仰に言ふ人物を好かないが、やむにやまれぬ思ひで七十八歳の身體に鞭つて四度立つ氣概には頭が下がる。大阪でも都にしたいと言つてゐる政治家がゐるが、あの人になくて石原氏にあるのは、理念と共にその氣概であらう。さうさう、そもそも天皇のゐない大阪を「都」にするといふのは、語義矛盾。江戸時代だつて都は京都である。現代において大阪は金輪際「都」にはなれない。そんなことも知らない若き知事は、本當に危い。無知なモーレツ人間はいちばん厄介である。

   國運を呼ぶ人物にしか日本を託せない。

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